89話 ペルソナ・ノン・グラータ
――チリン。
カフェハウスの入口の扉に付いている小さな鈴が鳴りました。
「いらっしゃいませ」
お客さんは庶民の男性、に扮している魔法士さんです。
「いつもありがとうございます。お好きな席にどうぞ」
お客さんの応対は給仕係のキャリーさんとプリスさんがやってくれています。
よほど忙しくならない限り、店長である私はカウンターの内側にいて、カフェを煎れたり、カウンター席のお客さんの注文を聞いたり会話をしたりしています。
「こんにちは、ルネさん」
庶民に扮している魔法士さんはカウンターの席に来ました。
「とりあえずカフェとティー・ビスケットをお願いします」
「はい!」
私はいそいそとカフェとティー・ビスケットの用意をしました。
「ハムスターも少しは礼儀をわきまえるようになったようだな」
カウンターの席に座っているホバート様が、魔法士さんを見て言いました。
ホバート様ご自身は庶民のボブ兄さんに扮していらっしゃいます。
最近のホバート様は、カウンターの席に陣取るようになりました。
カフェハウスに来てくださるお客さんが増えて、従業員も増えて、私がテーブルのお客さんとはお話がしにくくなったせいでしょうか。
ホバート様はカウンターの席に座り、昼食をとりながら私と雑談をなさいます。
「あ、スタイン小公爵でしたか。ご機嫌麗しゅう」
ハムスター呼びをされた魔法士さんが、ホバート様に気付いて挨拶をしました。
「庶民に馴染んでいらして気付きませんでした。失礼いたしました」
「無粋な呼び方はやめるのだ。私はボブだ」
「失礼いたしました、ボブさん。では私のことはモルとお呼びください」
「ハムスターのくせにモルモットとは紛らわしい」
「モルモットではなく、モルガス・ヴェイルと申します……」
眉を下げて少し悲しそうな顔をしたモルガスさんに、ホバート様は尊大な態度で言い放ちました。
「ふん、覚えておいてやろう。この店の服装基準を守っていることは評価してやる」
「魔法塔に抗議されて、店先に注意書きまで置かれましたから。出禁にされてはたまりませんので、魔法塔の者たちは皆、服装には気を付けております」
魔法塔に抗議したのはスタイン公爵夫人たちです。
魔法士さんたちがローブ姿でカフェハウスに来店することについて、それぞれの爵位と家名で魔法塔に苦情を入れたとのことです。
(スタイン公爵夫人のお友達は貴族の奥様たちだものね)
そしてカフェハウスでは、スタイン公爵夫人の助言に従って店頭に注意書きを置くことにしました。
ニーナと一緒に行ったお洒落な茶房を参考にして、カフェハウスも店頭にメニューを書いた立て看板を出しているのですが、その立て看板の一番上に『庶民の憩いの店。身分を示す服装はご遠慮ください』と注意を書いています。
(最初はどうなるか不安だったけれど、上手く行っているわ)
最初は閑古鳥で、その後は繁盛したとはいえ男性のお客さんばかりだったカフェハウスですが。
スタイン公爵夫人のおかげで今は女性のお客さんも増えています。
見た目は庶民の女性ですが、よく見ると仕立ての良い服で、ただの庶民とは思えない品の良い女性たちが来店するようになりました。
(女性のお客さんが来てくれるようになって、お洒落な茶房に少し近付いたわ。本物の庶民ではないけれど……)
店内の様子を見ながら、私がそんなことをぼんやりと考えていると。
――チリン。
入口の扉の鈴が鳴って、新しいお客さんが入って来ました。
何となしに、お客さんのほうを見た私は……。
(シェイラ様っ?!)
吃驚しました。
お客さんは女性たちの集団で、その中に神殿の貴族巫女シェイラ様がいました。
庶民風に身をやつしてはいましたが、シェイラ様でした。
シェイラ様の後ろにはメレディス様とナタリア様も続いています。
その他に三人女性がいますが、おそらく彼女たちの小間使いでしょう。
(メレディス様とナタリア様まで!)
三人揃っているのですから、他人の空似ではないでしょう。
私は彼女たちから顔が見えないように、入口に背を向け、カウンターの席にいるホバート様に小声で言いました。
「ホ、ホバート様……」
「妹よ、私はボブ兄さんだよ」
「ボブ兄さん、メレディス様が来ています……!」
メレディス様はホバート様の元婚約者なので、一応知らせました。
「ほう……」
ホバート様は、メレディス様がいるシェイラ様たちの集団を一瞥しましたが、興味なさそうにすぐ目を逸らしました。
「妹よ、案ずるな。私が付いている」
メレディス様の実家バーナム子爵家が、私を探していることを知っているからでしょうか。
ホバート様は余裕の笑みを浮かべて、私の心配をしてくださいました。
「私が此処にいるのだ。私の目の前で妹に手出しするほどメレディスも馬鹿ではないだろう」
そして少し考えるような顔をして、独り言のように言いました。
「ルネが此処にいることを突き止めたというわけか。……護衛を増やすか」
「いいえ、従業員は足りていますので。大丈夫です」
「ふむ……」
「ボブ兄さんは、気まずくないのですか?」
「何がだ?」
「メレディス様とは婚約破棄なさったのに、居合わせてしまって……」
「婚約破棄したのだから赤の他人だ。気にする必要などない」
「そ、そうですか……」
シェイラ様、メレディス様、ナタリア様の三人は私を知っています。
私は彼女たちに顔を見られないように、彼女たちから顔を背けました。
「……」
彼女たちが険しい表情でこちらを見ている様子が、視界の端に見えます。
こちらをチラチラと見て、彼女たちは何やらヒソヒソと話をしています。
(私がルネだってことに気付いているのかな。視線が痛いわ……)
私がシェイラ様たちに気を取られていると……。
「入店出来ないだと! どういうことだ!」
入口で怒声が上がりました。
(……!)
私は反射的に振り向いてそちらを見ました。
給仕係のキャリーさんが、上等の装いをした男性二人組の応対をしています。
(服装が!)
上等の生地に煌びやかな刺繍のある上着や、ひらひらのレース付きのタイは、どこからどう見ても貴族です。
庶民向けのこの店では、彼らは歓迎されざる人たちです。
「申し訳ございませんが、当店には服装基準がございます。上流階級の装いをなさっている方は入店をご遠慮いただいております」
「は? 服装基準だなどと、ふざけたことを言うな。私の服装のどこが不満だというのだ。見たところ、私が一番上等な服装ではないか」
「庶民の店にふさわしくない服装のお客様にはご遠慮いただいております」
「庶民のくせに貴族を追い出すというのか? 私はシャックリー伯爵だぞ!」
シャックリー伯爵の怒声に、店内はしんと静まり返りました。
静寂が張りつめる中、ホバート様がゆらりと立ち上がりました。
「ふふふ……」
ホバート様はシャックリー伯爵たちに向かってゆったりと歩を進めました。
そして不敵な微笑を浮かべながら言いました。
「身分の話をしているのは、だーれーかーな?」




