79話 違うビスケット
「母上も身をやつして行かれるのですか?」
ホバート様が怪訝そうな顔でそう尋ねると、スタイン公爵夫人は朗らかに微笑みました。
「もちろんよ。庶民に成りきって行くわよ。ボブちゃんも身分をひけらかすことは禁止ですからね。ちゃんと庶民に成りきるのよ」
「しかし母上……」
ホバート様は難しい顔をしました。
「最近あの店ではハムスターどもが幅を利かせています。あいつらの野放図を許さないためにも身分差ははっきりさせたほうが良いのでは?」
ホバート様の世界のハムスターはおそらく魔法士さんたちのことです。
「ハムちゃんたちにはビスケットをあげておけば良いのではなくて?」
スタイン公爵夫人はそう言い、ニーナに視線を向けました。
「ニーナさん、貴女が一人でお料理をしているのよね?」
「はい」
「下働きを雇ったら光魔法料理をもっと沢山作れないかしら。例えば、ビスケットの生地作りや、ビスケットを焼く作業を他の者に任せて、貴女は光魔法の味付けをする作業に徹したら、もっと沢山作れるんじゃないかしら」
スタイン公爵夫人の問いに、ニーナは少し考えるような顔をして答えました。
「ビスケットは、生地を作りながら光魔法を混ぜていますが。後から混ぜても出来るかもしれません。それで同じ味になるか、やってみなければ解りませんが……」
「では、やってみてちょうだい」
スタイン公爵夫人は怪しく微笑みました。
「味見なら私に任せてもらおうか」
ホバート様が自信満々に言いました。
スタイン公爵夫人は「ボブちゃんはポーション専門家ですものね」と誇らしげに言うと、さらに構想を語りました。
「それで上手く行くようなら、ビスケットを沢山作って魔法塔で売りましょう。ニーナさんはビスケットを納品してくれるだけでいいわ。後は私が手配する。どうかしら?」
「出来るのであれば……。それでかまいません」
「決まりね」
ニーナの承諾の返事を聞くと、スタイン公爵夫人はほくそ笑みました。
「魔法塔でビスケットを売れば、お店に来るハムちゃんたちの数は減るでしょう。ハムちゃんたちはビスケットが食べたいだけなんだもの」
「そのとおりです、母上」
ホバート様が喜色を浮かべました。
「ビスケットを与えてハムスターどもを足止めするのは良い考えです」
「でしょう? 早速試してみましょう」
スタイン公爵夫人は得意気に微笑むと、控えている給仕に命じました。
「手はず通り、ビスケットの生地を用意してちょうだい」
「かしこまりました」
(今日ここで実験するんだ?)
スタイン公爵夫人の手際の良さに、私は少し驚きました。
◆
他人が作ったビスケットの生地に、後からニーナが光魔法を混ぜて同じ味になるかどうかの実験は、その日のうちに行われました。
「ほほう、光魔法を照射しているのか?」
「そうやって作っているのねぇ」
ホバート様とスタイン公爵夫人は、ニーナがビスケット生地に光魔法を混ぜている様子を興味津々で観察していました。
ニーナはビスケット生地をこねて、広げたりまとめたりして光魔法を混ぜていました。
ニーナの光魔法が、細かい黄金の粒になりビスケット生地に混ぜ込まれて行きます。
木の実の粉を生地に混ぜるのと同じように、ニーナが発動した光魔法の粉がビスケット生地に馴染んでいきます。
「出来ました」
ニーナが完成を告げると、スタイン公爵夫人が使用人に命じました。
「この生地で、ビスケットを焼いて来てちょうだい。今すぐに」
「はい。直ちに」
◆
「少し違うが、大体同じだ」
焼き上がったビスケットを味見したホバート様が感想を述べました。
「繊細さに少々欠ける気がするが、ハムスターどもは気付くまい」
私もビスケットを試食しました。
「いつものビスケットとは違うけど、これも美味しい!」
ニーナのビスケットとは違う味ですが、美味しさはそのままのように感じました。
これはこれでとても美味しいです。
私もホバート様も、このビスケットの出来栄えに満足していました。
でもニーナは暗くなりました。
「私のより美味しいわ……」
ビスケットを試食したニーナは鬱々とした表情で、ぶつぶつと独り言を呟いていました。
「こくがある……。この焼き加減……。さくさく感……。さすがは公爵家の料理人が作ったビスケットだわ……。どうやって作ったのかしら……」




