57話 魔王の臭い
――カフェハウスを始めた、二日目。
その事件は起こりました。
「お客さん来ると良いね」
「宣伝チラシの効果があると良いね」
カフェハウスの宣伝チラシをローナさんの薬屋に貼らせてもらいました。
ですが、二日目の営業が始まっても、お客さんはぜんぜん来ませんでした。
「他のお店にも宣伝チラシを貼らせてもらえないか頼んでみよう」
「じゃあ私はホバート様に頼んでみる」
「貴族のお屋敷には宣伝チラシは貼れないと思う……」
私は今日もポットいっぱいにカフェを煎れました。
カフェ豆茶の入った金属製のポットは、火の魔石の熱板で保温しています。
お客さんが来たらすぐにカフェを出せるように準備をしています。
しかしお客さんは来ません。
店内には、カフェの香りと、私とニーナがおしゃべりをする声があるばかりです。
ですが、その日の午後……。
――チリン。
ついに!
入口の扉に付けている小さな鈴が音を鳴らし、扉が開かれました。
「……っ!」
「……!!」
(お客さんが来た!!)
私とニーナは同時に、弾かれたように椅子から立ち上がりました。
私は入口の扉に向かいました。
お洒落な茶房の女性給仕がお客さんを空いているテーブルに案内していたように、私もお客さんを案内するためです。
私のお店のテーブルは全部空いていましたが……。
(え?!)
扉を大きく開けて店内に入って来たのは、第二騎士団のエリオット様とダレス様でした。
(騎士様?!)
そして彼らの後にも、騎士たちが十人ほど続いて来ました。
皆、険しい顔をしています。
そして、開け放たれた扉の向こうに見えた表の通りには、ちょっとした人だかりが出来ていました。
この騒動を皆が見物しているのか、皆がこちらを見ています。
(え? え?)
「……!」
エリオット様とダレス様が、私とニーナを見て、少し驚いたような顔をしました。
ですが私たちの身元には触れずに、エリオット様は用件を言いました。
「失礼、店主に話がある。店主を呼んでくれ」
「店主は私です」
「君が……?」
エリオット様は戸惑っているようでしたが、私はきっぱりと言いました。
「私が店主のルネです」
「……!」
エリオット様は一瞬、はっとしたような顔をして戸惑いを浮かべました。
「あの……私に、何かご用でしょうか」
私がおずおずと尋ねると、エリオット様は気を取り直したようにして言いました。
「この店から、魔王の臭いがすると通報があった」
「えっ?!」
「魔王の臭い?!」
思ってもみなかったことを言われ、私とニーナは同時に驚きの声を上げました。
(魔王の臭いって……)
私は、伝説で語られている魔王の特徴を思い出しました。
魔王は、酷い悪臭を放っていると、伝説では語られています。
「この異臭は何だ?」
エリオット様は少し難しい顔をして、私にそう質問しました。
「異臭って、もしかして、カフェの香りのことでしょうか……」
カフェの入ったポットを熱板で保温しているので、カフェハウスの店内には、カフェの香りが漂っています。
臭いについて思い当たるのは、残念ながら、カフェです……。
「カフェ?」
エリオット様は首を傾げました。
「カフェの豆茶です。そこのポットに入っています」
私はそう答えると、カウンターの中に入り、ポットに入っているカフェ豆茶をカップに注ぎました。
そしてエリオット様に差し出しました。
「どうぞ」
「ふむ……」
エリオット様は私からカップを受け取ると、湯気を立てているカフェの香りを確認しました。
「これだな。……ダレス」
エリオット様はダレス様にカップを渡しました。
ダレス様もカフェの香りを確認しました。
「これですね」
ダレス様は苦笑いをしながら頷きました。
(魔王の臭いって、悪臭だよね……)
私は少し寂しい気持ちになりました。
(カフェの香りを、悪臭だなんて、失礼しちゃう……)
◆
「豆茶の臭いだそうだ」
表の通りに集まっている人々に、エリオット様が調査結果を伝えました。
「魔王はいない。ただの豆だ。安心しろ」
――ざわざわ、ざわ……。
人々は囁き合いました。
眉をひそめて、不審そうにこちらを見て。
「カフェの豆茶の香りです。これがカフェ豆です」
ニーナが袋に入れたカフェ豆を持って来て、ちゃきちゃきと説明しました。
(さすがニーナだわ。見習わなくちゃ)
薬屋の娘で商売に慣れているニーナのきびきびした応対に、私は感心しました。
「外国の豆なのでこの国ではまだ珍しいものですが、怪しいものじゃありません。外国では飲まれている豆茶です」
そう説明しながら、ニーナは袋の口を開けて、中のカフェ豆を皆に見せました。
人々はニーナの説明を聞きながら、ニーナが手にしている袋の中のカフェ豆をかわるがわる覗き込みました。
「外国の豆なのか」
「変わった臭いだな」
「ニーナちゃん?!」
集まっていた人々の中の一人が、そう声を上げました。
「薬屋のニーナちゃんじゃないか!」
「あ、仕立て屋のおじさん!」
「何してんだい?!」
「茶房を始めたんだよ。このお店で働いているの」
「へえ……」
(私も何か……)
ニーナが頑張っているので、私も何かできないか考えました。
(そうだわ!)
私は思いつきました。
「あの、良かったら、カフェ豆茶を飲んでみてください。サービスします!」
市場のお店では、お試しで味見させてくれることがあります。
カフェハウスのカフェも、みんなに味見してもらおうと思いました。
「ルネ、いいの?」
ニーナが少し不安そうにして私に問い掛けました。
カフェ豆はお茶としては高価なものなので、無料で配ってしまったら損になります。
計算ができるニーナはそれを心配しているのでしょう。
「うん。全然売れなかったら無駄になっちゃうもん。それなら味見してもらったほうが良いよ」
「わかった」
ニーナは頷くと、人々に向けて言いました。
「カフェ豆茶に興味があったら、ぜひ飲んでみてください。お騒がせしたお詫びに、今日は大サービスで一杯無料にします。カフェ豆茶には、眠気を吹き飛ばす効果があります。目が覚めて頭がすっきりします!」
ニーナがそう説明すると、興味を引かれたのか何人かが質問をしました。
「それって薬湯なのかい?」
「目が覚める薬?」
「味見できるの?」
興味を引かれてニーナに質問する人の中に、騎士ダレス様もいました。
「眠気が吹き飛ぶのかい? 本当に?」
「はい。カフェ豆茶は目が覚めるので、夜に飲むと眠れなくなります」
「書類仕事の眠気も吹き飛ぶ?」
「人によって効果に差があると思いますけど。カフェを飲むと目が覚めてすっきりするので、私は毎朝飲んでいます。興味があったら試してみてください」
「試させてくれ!」
ダレス様が食いつきました。
(エリオット様は、カフェをあまり気に入らないのかな)
ダレス様を始めとする騎士様たちや、集まった人々がカフェに興味を示している中で。
第二騎士団の団長のエリオット様だけは、ずっと難しい顔をしていました。
ロンドンに初めてコーヒーハウスができたとき「悪魔の臭いがする」と騒動になった史実が元ネタです。




