第八十六話
――祈っても奇跡は起きない。
物語の様な救済も在り得ない。
故に。
この幸運は必然である。
バーテンすら居ない酒場で、一人の女がグラスを揺らし、氷がカランと鳴る。
グラスを持ち穏やかに微笑む女は、“幸運の魔女”。幸運の女神に抱かれしもの。偶然を、奇跡を必然にする魔女。
例えそれがどの様な御都合主義であろうとも引き寄せる奇跡の魔法。“吾身神光戻給”をその身に宿した女。
彼女が死に際に祈った一つの奇跡。
其の身に宿りし神光失ひしとき貴き貴き大神の御愛以て、彼のものの身に神光取り戻し給へ。
『私に死を与えてくれた優しい魔女に奇跡の祝福を』
「な……!?」
「え……!?」
――奇跡の発現は、一瞬。
偶然九尾の魔女の攻撃が外れ。
偶然悠の攻撃が九尾の魔女を捕え。
偶然、“死想其総救済”を発動し損ねた。
それは万に一つ、いや、億に一つ、兆に一つの可能性だったかもしれない。
しかし、“吾身神光戻給”は奇跡を司る魔法。例えそれがどんな小さな確率でも、引き起こす。
幸運とは、不幸の先にある。
ならば、この絶体絶命の窮地という不幸において、幸運の女神に抱かれしものの抱擁が発動する事は、必然の幸運であった。
◆◇◆◇◆◇
「当たった!?え、何が起きたの!!」
攻撃を当てた僕自身が大きく動揺する。そして攻撃を受けた九尾の魔女も、それを見ていた皆も。
自分でも当たるとは思っていなかったけど、気合を入れるために相当の力を入れていた一撃は、彼女に小さくないダメージを与えていた。
「あ……いた、い?……ぐ……」
苦しそうに呻く九尾の魔女。彼女が最後に“攻撃”を受けたのは何年前だろうか。百年。いや、もしかしたら千年前かもしれない。
遠く忘れていた痛みと言う記憶。それは動きを止めるには十分すぎる要素。感触として肋骨が数本は折れている。そうそう動ける様になるはずは……
「痛、みを、“殺す”……」
ちょっと!?そんなことも出来るの!
「貴様、よくも……!!」
痛みを消しただけで、折れた肋骨や痛んだ内臓はそのままだ。無理は出来ないと言え痛みが無ければ無理やり動くことは容易い。くそっ、まだ足りないか……!
そんな事を考えていたら、いち早く動揺から復帰していたエランティスが、九尾の魔女の背後から口に咥えた日本刀で斬りかかっていた。
背後を取っても、死角を殺している九尾の魔女には通じず、既にエランティスの攻撃に気付いている九尾の魔女。
「オオォォォッ!!」
「そんな攻撃効くはずが――」
油断ではなかった。本来ならその攻撃は確実に殺される攻撃だった。
「…………?あ、え?ゴホッ」
そんな九尾の魔女の想定とは別に、エランティスの振るった刀は、その刀身を殺され、削られながらも九尾の魔女を袈裟がけに切り裂いていた。
「は、ハハハハハ!一泡吹かせてやったぞ!“九尾の”!!」
「――な、ぜ……」
疑問に思う九尾の魔女。その疑問の答えは僕が魔女になってすぐのころ
“誰我接触不叶”が正面からやぶられたのは数えるほど。
ティアナちゃんが殺された時、“九尾の魔女”の概念の殺戮。
僕が闘った“幸運の魔女”の確率操作。
……そして、切り裂き魔と呼ばれた青年の一撃。
これが、エランティスの用意した切り札。
魔法は、同じく魔法で上回る以外の突破法は無い。だからこそ、これは魔法の産物。魔術が“力”を司る世界で、ただ純粋に『己の打った刀が輝く戦場が欲しい』という女の願いのカタチ。
“錬鉄の魔女”の打った刀は、魔法も切り裂く。
魔術の支配する世界を生き延びる為、切り裂き魔の青年の手にした武器はソレだった。そして持ち手が死に、押収されたそれは、警察署に保管され、そしてエランティスの手に。
「ぐっ、カハッ」
九尾の魔女が、苦しそうに咽せ、血を吐く。エランティスの一撃は肺まで届いたのか、呼吸をするのも絶え絶えという様子だ。
「死ぬ、のか。妾は」
恐らくは致命傷。切り裂かれた傷は浅くは無く、すぐに病院に飛び込んでも一命を取り留めるかどうか。
「負ける、のか。妾は」
もう立っている事も出来ないのか、半分倒れ込む様な様子でしりもちをつく九尾の魔女。その間にも大量の血が傷口から溢れ、綺麗な和服を赤く、赤く染め上げていく。
「嫌じゃ、嫌じゃ…… 妾はまだ、まだ……」
九尾の魔女の口から零れる言葉も、既にうわ言の様なか細さになり。
「ころしたりない」
そして、最悪の化け物がうまれた。
「『殺生花・曼珠沙華』」
それは身長十メートルはある巨大な九本の尾を持った狐の化け物。
……僕たちが切り札を残していたように、九尾の魔女もまた、切り札を残していた。
「ッ、そうか獣神化か」
「な、なにそれ!」
「半獣のものが己の理性と寿命を捧げて行う暴走だ!気を付けろ、先までの数倍は速いぞ!!」
獣神化。獣人族の中でも一握りの選ばれたものが行える一種の自爆技。個体差によるものの、主に数倍の大きさの元となった獣の姿と膨大な生命力と身体能力を得る状態。
代償は術者の理性と命。その状態では刻一刻と寿命が削られ、やがて老衰する。
命を賭して発動させた術式で、その目が狙いを定めたのは…… 僕。
「――――――」
高周波となり可聴域を超えた咆哮をあげながら九尾の魔女。エランティスの忠告通り、さっきまでとは比べ物にならない程の早い突進。
「は、やっ!?」
自分を弾き飛ばす、という久々の方法で緊急回避気味に飛び上がりその突進を躱す。それを追うように9本の尾が滅茶苦茶に振り回され、辺り一面が滅茶苦茶に薙ぎ払われる。
「きゃっ」
「“界渡りの”!」
『――!?ごめん、門を全部、壊された。新しいのも、繋げれない!』
っ、本当の狙いは愛緋ちゃんの門か!滅茶苦茶に振り回されたように見えて、その実的確に愛緋ちゃんの門を全て叩き落としていた。
「貴様は……」
「うそ、喋れるですって!?」
アーニャが驚きの声をあげる。
「貴様は、結局!喪わなかったのであろう!その貴様が、失ったものの慟哭を、守れなかったのの嘆きを!分かるはずがないだろう!」
零れ落ちそうになる正気を振り絞り、九尾の魔女が吠えたのは、嫉妬。理不尽な八つ当たり。
何故私は失ったのに、お前は失わなかったのだと。
何故私は間に合わなかったのに、お前は間に合ったのだと。
「そんな貴様が、妾より上だと?認めぬ、断じて認めぬ!あの子の、アリアの死はそのように軽くなど無いッ!」
――故に殺す。故に終焉せる。
愛しきものを葬った弔いの一手は何者にも穢させない。
間に合わなかったものの慟哭が天を震わす。同時に少女の纏う空気の重さが変わる。
森羅万象其の悉くを救済せしめんと。
「ッ、まだこんな、隠し玉を」
慌ててエランティスとアーニャの前に割り込み、全力で斥力を発生させる。弾くのは、声。九尾の魔女に触れたものは総て死ぬ。これは彼女の声を媒介に“死”を与える術式。さらに声だけでなく、絶え間なく尾の鞭のような打撃が“誰我接触不叶”を叩き付けてくる。
これは、九尾の魔女が死ぬまで、持ちそうにないな……
取れる手段は、全て取った。
皆の切り札は、尽きた。
残った手は、一つだけ。
「ごめん、アーニャ。エランティス。やっぱり、使うよ」
言葉の意味を理解した二人が、悲壮な声をあげる。
「ダメッ!!悠!お願い、やめて!!」
「竜胆悠!やめろ!!」
二人が動揺している内に発動は終わらせていた。使うと分かれば、二人は阻止すると分かっていたから。
「ありがとう、ごめんね、みんな」
魔法が広がる。いや、魔法を広げる。
身体を覆うようにしていた魔法が、膨れ上がる。それは、魔女が死んだときと同じ現象。
「……死んだ?いや、違う、お主、一体何を」
瞬間、段々と膨れ上がっていた魔法が爆発的に広がり、一瞬のうちに消え去る。まるで風船が割れるかのように。
そして、この世界から、僕は消えた。九尾の魔女と共に。




