第八十四話
――最初に気付いたのは、一人の土木作業員だった。
東京に現れた謎の鉄塊の巨人。突如現れ、突如その動きを止めた謎の存在。その解体作業に従事していた彼は、頭上を走る影の様なものに気を取られる。作業の手を止め、顔を上げた先はここ数週間で見慣れた鉄の塊。気のせいかと作業に戻ろうとした瞬間、カラカラと小石の様なものが転がるのに気付く。一つだった転げ落ちる音は二つ、三つと増え、やがてカラカラはガラガラと大きな音へ。
「くっ、崩れるぞ!!逃げろォ!!」
叫びと共に走り出した作業員。それを追うように異変に気付き、同じように我先にと逃げ出す他の者達。
「急げ!!」
膝立ちの巨像の突然の崩壊。自らの命を守る事で精いっぱいだった彼らは気付かなかった。
その巨像の頭頂に、一人の少女が立っていた事を。
「鬼ごっこも飽いた。燻りださせてもらうぞ、“拒絶の”、“御使いの”」
最早人型であった事すら分からぬ程崩壊した瓦礫の山で、“九尾の魔女”が呟く。
彼女は許せない。
死を望んだものが生き延びる事を。
殺すと決めたものが生き延びる事を。
だから、早く、殺させよ。
◇◆◇◆◇◆
巨像が突如崩れた。それは大々的にニュースとなり、テレビやスマホを持っていない僕たちの耳に入るほどの騒ぎとなった。
まず予想したのが、“九尾の魔女”の罠。続いて新たな魔獣の出現。
けれど、アーニャの予知ではじき出された内容では、『九尾の魔女の気まぐれ。罠ではない』と言うものだった。
「うわぁ、酷い有様……」
気まぐれ、と言っても何か目的があるのかもしれない――手掛かりを求めて僕達は現場を探る。
10階建のビル程のサイズの巨像が崩れたとなれば、その瓦礫の量は凄まじい。周囲は鉄の様な巨像だったものの破片と、それを解体しようとして組まれた足場の材料の山、としか言えない有様だった。
「予知では“九尾の”は現れないとなっていましたが、何が目的でしょう」
「僕たちをおびき寄せるにしては、ここに現れないのは変だね?」
辺り一面の瓦礫から手掛かりになるようなものを見つけられるのだろうか、と不安になる。
尤も、その不安は一瞬で跳ねのけられる。
「いや、その予想であっておるぞ」
――ドクン、と心臓が跳ねた。
「――――ッ」
声を掛けられた瞬間、自分は死んだのだと思った。
そう錯覚するほどの悪寒。声を掛けられただけで全身に寒気が走り、情けなく泣き叫びたくなるような絶望感。僕が恐怖心を拒絶していなければ、まともに向かい合う事も出来ないであろう化け物が、そこに立っていた。
反射的に距離を取れたのは、今までの訓練のたまものだろうか。声を掛けられるまで、全く存在に気付かなかった。
「久しいのぅ。“拒絶の”“御使いの”」
「“きゅう、尾の”……」
アーニャが最大限の警戒をしながら呟く。
“九尾の魔女”
その名の通りの金色の狐の尾と耳、病的に白いかんばせ、朱の着物と黒い和傘。全てが見るだけで“死”を連想するような少女。
「なんで!?予知には現れないって!」
「簡単な事、その予知を殺したのじゃ」
「――“前知の”が殺された時に予想すべきでした。あの魔法、予知を覆します!」
また反則な!
「アーニャ、逃げるよ!」
「――――はい!」
アーニャやエランティス、愛緋ちゃんとみんなで決めた約束事の通り、撤退を図る。その約束事とは、不意に“九尾の魔女”と遭遇した場合、絶対に戦わず距離を取り、撤退する事。
戦うなら万全の状況で――そんな当たり前の作戦は、撤退しようとする僕たちの身体を縛るナニカによって失敗した。
なにこれ!?身体が、泥の中にいるみたいに重くてうまく動かない!
「無駄じゃ。逃げ道は殺させてもらったぞ」
そんなことできるのズルくない!?要するに「逃げれない」って結界みたいだけど、破るにはそれなりの時間がかかりそうだし、手間取ってる間に殺される。
「アーニャ……」
「……ごめんなさい、悠。私、ちょっとホッとしてます」
アーニャが、複雑そうに言う。仇を前に、逃げるのは苦痛だ。それが何十年も追ってきた相手ならなおさら。
「……あー、もう!」
ぐしゃぐしゃと頭をかく。これは覚悟を決めるしかない。
負け筋は無数にあるけれど、勝ち筋は確かにある。逃げ道はない。なら……
「やるよ!アーニャ!!」
「えぇ、行きましょう、悠!!」
なら、ここが決戦の地だ。
「我は触れられざるもの。
嗚呼寄るな触るな近付くな。あの日の慟哭を彼方へ。
此処は汝等の触れてよい夢に非らず」
「我は天衣無縫を纏うもの。
穢れを祓い、救いを齎す無垢なる使者。あの日の救済を此処に。
此処は二度と戻らぬ曾ての望郷」
故に――
「誰我接触不叶」
「天衣無縫乃理」
僕たち二人の魔法が起動する。それをどこか満足げに見ながら、“九尾の魔女”が詠唱を始めた。
「我は永劫の安らぎを求めるもの。
死よ。甘き死よ。汝は終わり、結末、救い。
其の抱擁を以って万物万象の救済と成す――」
詠唱に込められた思い。それは殺意。
「故に」
殺す事が救い。殺す事が善行。
ただ、ただ、ただ殺すことにのみ特化した魔法。
「死想其総救済」
それが、“九尾の魔女”の願いのカタチだった。
詠唱を終えると、一本だった狐の尾が九尾の名の通り、九本の大きな尾になる。そして頭にかぶる狐の面。それが、“九尾の魔女”の法衣。その姿を見て、とある妖怪を思い出す。
――白面金毛九尾の狐。
或いは三国伝来金毛玉面九尾。その名の通り、三国――中国、インド、日本と渡来し、悪逆を働いた傾国の魔女。
「さて、小手調べじゃ」
「――な」
「この程度で、終わってくれるなよ?」
攻撃、と言うには余りにも静かで、優しい行動。
ただ、鬼ごっこの鬼がタッチするように、一瞬で距離を詰めた九尾の魔女が優しく触れようとするだけ。
ただそれだけの行動を、僕は全力で拒絶する。
「耐えたか。よい、よい。それでこそ“拒絶の魔女”じゃ」
「悠ッ!気を付けて!触れられたら死にますよ!!」
「う、うん!!」
“九尾の魔女”の魔法。“死想其総救済”。
現時点で判明してるその能力は、『接死』。触れたものを森羅万象何であろうと殺す、鏖殺の理。例えばどんな強靭な鎧でも、強固な魔法の障壁も、何でもすり抜ける霊体でも、殺しても死なない不死の命も、触れれば何の抵抗も無く死ぬ。
「絶対に、触れさせるもんか!!」
だからこその“誰我接触不叶”。触れるものを総て殺す魔法も、触れる事を拒絶する魔法だけは簡単には破れない。……そう、あくまで簡単には。ティアナちゃんは、アーニャやエランティスを逃がす為時間を稼ぐ際、触れる事を拒絶するという理自体を殺され、死んだ。油断はできない。
「絶断・野分!!」
斬撃の両面を“拒絶”する術式を飛ばす。それをあっさりと受け止める九尾の魔女。いや、受け止めると言うか優しく撫でただけで術式ごと“殺された”。……なにそれ。
「美より来たれ、ミカエル!!燃え、ろおおおおおお!!!」
アーニャの六枚の羽に火が纏い、辺り一面を焼き尽くす炎が放たれる。燎原の火の如く、周囲は燃え盛る轟炎の海と化す。……九尾の魔女の周りだけ除いて。
「触れた攻撃が全て殺される、って反則すぎじゃない?」
攻撃面では一撃必殺。
防御面では無敵。
なるほど、千年生きる愛緋ちゃんがこれほど戦闘向きの魔法を知らないと称するだけある。事、戦闘においては最強だろう。
でも、それはあらかじめ知っていたことで。
「告死の刻……アズラエル!!」
「絶命・月蝕!!」
「……む」
常に余裕の微笑みを浮かべていた九尾の魔女の表情が初めて揺れる。
「なるほど、無策ではないと言う事か」
僕達の攻撃に対して初めて防御と呼べる行動をとった。それは確かに効果があるという証拠。それは、生命力を奪う術式。直接死という概念を与える術。
「貴女でも“死”は、殺せないでしょう」
「削りきらせてもらうよ!」
無敵に思える魔法の突破口を見つけれた。
それでも、慢心は無かった。
油断はしてなかった。
それでも、ニタリと笑う九尾の魔女に、僕たちは気付くことが出来なかった。




