第七十八話
魔女が死んだ時、“魔法”は暴走したようにその範囲を急激に膨らませ、そして世界からの修正を受けて収縮し、小さな“異世界”となって終わる。
これが魔女の死。魔法の死。
理を捻じ曲げた代償は、その理を閉じ込めた小さな異世界の管理人として永劫を過ごす事。
それが、唐突に発生した。僕達の関与しない所で。
「死んだって、誰が……」
「待って下さい。調べます!『ラジエル』!」
呆然と呟く僕に、アーニャは機敏に反応する。アーニャ自身もかなり限界に近い魔法に鞭を打って、ラジエル――知識の天使の力の込められた書を展開し、その内容を探す。
「“前知の”……死んでる。殺したのは…………ぇ?」
死んだのは“前知の魔女”。リモニウム・スターティス。僕達の戦いから早々と撤退して消耗した様子もないあいつがどうやって。
それを検索していたアーニャの動きが、ぴたりと止まる。身体が何かを堪える様に震え、様子のおかしい彼女に「だいじょうぶ?」と声を掛けようとその表情を覗き込み……
――笑っている?
アーニャの表情に、思わず手を止める。笑顔、そう、笑顔だ。だけどそれは、普段の彼女の優しい笑みでは無く、もっと残酷な笑み。
「……殺したのは、“九尾の”。違う?」
「“九尾の”ってティアナちゃんを殺したっていう、あの……」
その理由は愛緋ちゃんの口から語られ、その名前に僕は驚愕の声をあげる。
“九尾の魔女”。僕達の大きな目的の最後の一つにして、最難のもの。ティアナちゃんの仇討ち。
「“界渡りの”ッ!貴女、知ってたわね?!“九尾の”がこちら側に居る事を!」
冷静さを欠いたアーニャは、愛緋ちゃんの襟首を掴んで問い詰める。なすがままの愛緋ちゃんは、それを全く意に介さずに言葉を続ける。
「……知ってた。目的も、知ってる」
「目的?」
「あの日、殺し損ねたもの、その清算。彼女はそう、言っていた」
言っていた、って事は会った事あるのかな?出来ればもっと早く教えて貰いたかったな。そして、九尾の魔女の目的は……
「つまり、“御使いの”、貴女の、殺害」
「――――あは」
絶句したアーニャから、僅かに小さな笑い声が漏れる。
「ははは、アハハハハハハハハ!!」
零れた笑みは堰を切ったかのように溢れ、アーニャの笑い声が響く。
「私を殺すのが目的?殺し損ねたから?ああ、いいでしょう、なら今すぐでも……!」
よりにもよって詠唱破棄で再び“天衣無縫乃理”を展開し、“九尾の”元へ向かおうとするアーニャの手を、すんでのところで僕の手がしっかりと掴む。
「アーニャ」
名を呼ぶ。魔法も身体強化の魔術も発動していない、華奢な少女のものである僕の手など、羽虫よりも簡単に払う事が出来るだろう。けれどアーニャは先ほどまでの笑みを忘れ、ただ泣きそうな声でただ呟く。
「……止めないでください、悠」
「止めるよ。自殺行為は見過ごせれない」
少しは冷静になったのか魔法を解除して、へたりと座り込む姿に力は無い。元々限界間近の魔法を無理に発動させたせいで、もう普通に歩く体力も残っていないかもしれない。
そんなアーニャの姿を、愛緋ちゃんは大きなため息を吐きながら見下ろす。
「……だから、言いたく、なかった。“九尾の”の、存在を知れば、貴女は暴走する。悠さんは、それを追う。その先は、無駄死に」
「…………」
もしアーニャがあのとき掴んだ手を振り払って飛び立ったなら、僕もためらわず追っただろう。ただでさえ強い、勝ち目は薄いと言われてる相手に満身創痍で立ち向かったのなら、結果の予想は容易い。
「……悠」
「なに?アーニャ」
「手を、繋いでいてもらえますか?そうでもしないと、私は……」
「うん。帰ろう、アーニャ」
彼女の震えるような弱弱しい手をしっかりと握る。手を放してしまえば消えてなくなってしまいそうな程に儚く白い手の感触が、とても怖い。
◆◇◆◇◆◇
いつもの高架橋の下。目覚めたエランティスに、彼が気絶してからの事を説明する。
最後まで静かに、そして冷静に聞いていたエランティスは、聞き終えると深く、大きくため息をつく。
「……そう、か。“界渡りの”と和解し、“前知の”は死に、そして」
「えぇ、“九尾の”……やっとその尾を……」
「あぁ、長かった。長い間、彷徨った。深手でなければ、飛び出してしまいそうな程、待ちわびた」
先のアーニャの様子を思い出し、てっきりエランティスも飛び出すのかという心配は杞憂だったようだ。以前エランティスが見せた“九尾の魔女”への憎悪の深さは冷静さを欠いてもおかしくないと思ったけど。
「……世話をかけた。竜胆悠、アーニャ・ガランサス」
「まぁ、あの不意打ちは仕方ないって」
深く頭を下げ謝罪をするエランティス。“前知の魔女”の攻撃で早々に退場してしまった事を悔やんでいるようだ。
でも、あの不意打ちは本当に仕方がない。そもそも前知の魔法であらかじめ成功するタイミングを見てから行なっているから、僕みたいに常時展開でもないと防ぎようがない。
「で、これからどうする?」
空気を変えようと、別の話題を振ってみる。
「無論、“九尾の”を討つ。問題は……」
「いつ、攻めるか?」
コクリとエランティスとアーニャが頷く。その表情は固く、それが容易い事じゃないのを物語る。
「あぁ。現状の戦力は完全な魔法を取り戻したアーニャ・ガランサス、竜胆悠、そして我。直接の対峙は無くとも、“界渡りの”のサポート」
「『百年級』2人、『名付き』の魔獣1匹。『千年級』のサポート1人。随分と大所帯になりましたね」
「まぁ僕の『百年級』はなんちゃってだけど…… 勝てそう?」
並みの相手なら、過剰戦力も良いところだ。僕の疑問に二人は少しだけ考え、視線を逸らしながら答える。
「……勝ち目は、無くは無い」
「……神風が吹けば、あるいは」
「勝ち目無いって言うんだよそれは?強い強いとは聞いてたけど、そこまで?」
同じ『千年級』である愛緋ちゃん位のレベルを予想していたけれど、どうやら千年級にもその強さはかなりの玉石混合らしい。
「単純な戦闘力で言えば“界渡りの”は『千年級』でも下位だ。前にも言ったが、あれの魔法は逃避に特化している。時間を稼ぎ、逃げる。その事においては誰よりも“強い”」
「逆に“九尾の”は戦闘に特化した理です。詳しい能力は不明ですが、ある程度の予測はついています」
そんなに強い能力なのか……
「……だが、海底の砂を探すほどの勝機と比べれば雲泥の差だ」
「せめてあともう幾つか、カードが欲しいですね」
カード……カードねぇ。すぐに見つけられるなら今までもこんなギリギリの戦いはしていない。思い返せば一歩間違えれば殺されていたような戦いばかりだ。……うん、僕よく生き残れたな。
「……獲物を前に耐えねばならぬが、すぐに見つける必要は無い。勝機を見出し次第、攻勢をかける。定期的に“九尾の”は見張るぞ」
「気になるのは、“前知の”が討たれたことですね。最低でも予知を覆す何かを持っているという事……」
あれこれと考察をしていくアーニャとエランティス。ここら辺になると前提知識の乏しい僕に口を出す幕はない。何とか二人の考察についていけるように必死に頭の中で噛み砕き、時には質問する。
そして粗方の意見の交換が済んだ後、エランティスが僕の方を見て言い放つ。
「さて、次は竜胆悠」
「え?僕?」
なんだろう、と疑問に思っていると、エランティスからの視線が厳しいものである事に気付く。そしてそれは、アーニャも同じである事にも。アーニャの視線は批難と拗ねが混じったもので可愛いけど、エランティスの毛に隠れた視線はひたすら怖い。
「あれ、エランティス、怒ってる?アーニャも?」
何が何だかわからない僕に、アーニャが呆れて大きなため息をついた後、再び怒った目でその理由を告げる。
「悠。貴女、精神を一つ削いだでしょう」
「…………あー」
しまった、戦いに必死で忘れてたけど、恐怖心を拒絶したことは後で言及するって言ってたんだ……
「貴様、それがどのような事になるか理解して行ったのか?」
「……うん、納得してるよ」
感情とは何か1つを削って成り立つものではない。恐怖心を削れば少しずつ精神のバランスが崩れ、最悪、廃人になる。でもそれは納得づくの事で、覚悟していた事だった。
「そう、それなら……」
「あぁ、それなら……」
アーニャとエランティスは再びため息をつきながら、揃って似たような事を言う。
それなら、仕方ない、かな?なんて淡い希望は……
「そこになおりなさい、悠!!」
「そこになおれ、竜胆悠!!!」
「ハイ……」
二人の大きな叱責によってあっさりと散った。
おずおずと女の子座りから正座になり、二人掛かりでのガミガミというお説教タイムは小一時間ほど続いたのだった。
そんなところまでティアナちゃんにそっくりだなとかフト考えていると、エランティスは目ざとくそれに気付き、聞いているのかと怒る分、こちらの方が厳しかった。
もう絶対精神を削ったりしないから許して……
そして、説教に疲れ果て、疲労と達成感に包まれながら眠ろうとした僕に、アーニャから最後のトドメの言葉が刺さる。
「……明日が怖いですね、悠」
「明日?何かあったっけ」
「魔力酔い。今までにない程使ったのでどれだけ寝込むか……」
「…………ぁ」




