第七十七話
「うそ、《人世界の巨像》が……“荒鋼の”ちゃん、ごめん……」
「そろそろ、諦めはつきましたか?」
僕かアーニャの攻撃が掠ったのか、肩口から血を流している愛緋ちゃんが瓦礫の山と化した巨像を見ながら呟く。そしてそれに容赦なく言葉をかけるアーニャ。
それに対する愛緋ちゃんの眼に、諦めの色は――まだ、ない。
やれやれ、まだ続くのか。
「…………確かに、人世界の巨像は、私の最高戦力。
だけど、破られたからと、言って、私が諦める、道理はない、よ」
ゆらりとこちらに身体を向け、戦意を込める愛緋ちゃん。感じる魔法の気配は強い。あの巨像の中でゆっくり休んでいたんだろう。まだまだ余裕はありそう。
対するこちらは、数の上は有利と言えども満身創痍。あれだけの巨像を破壊し、山の様な魔獣の群れを倒しているんだ。残り時間は心許ない。
時間との勝負、かな。
「随分、消費したみたい、だね。もう一度、今度は徹底的に、壊して、あげる」
「――いや、もういい。終わりにしよう、愛緋」
僕が考え付く程度の事は、アーニャや愛緋ちゃんは先刻承知だろう。
だが、勝利宣言とも取れる愛緋ちゃんの言葉を遮ったのは――
「タツ、ヤ……?どうしてここに、危ないから、下がってて」
布袋辰也。
愛緋ちゃんの保護者で、彼女の大切な人で、彼女の何よりも大切な“場所”で……
彼女の逃避の最果て。
全てから逃げてきた愛緋ちゃんが、もう二度と逃げたくないと思った、願いの果て。
「そのつもりはねぇよ。よぉ、久しぶりだな、竜胆ちゃん、アーニャちゃん」
「……誰ですか、悠に馴れ馴れしいですよ」
「あれ、アーニャちゃん、俺、忘れられてる?」
まるで先の戦闘など無かったかのように気さくに声を掛けてくる布袋君。
けれど、彼の事を全く覚えて居ないらしいアーニャは警戒したように剣を構え、威嚇をしている。酷いね?まぁ一度会っただけだったし、仕方ないかもだけどさぁ。
「いや、正直僕も今日見るまで忘れてた。ごめん、久しぶり布袋君」
「ひでえ!いや、マジでひっでぇ!?」
とはいう僕も人の事は言えないけれど。いや、他にもいろいろ忙しかったし、大変だったからね?
先ほどまでの切迫した空気は緩くなる。場を和ませるのは才能かな?コミュ強め。
「……タツヤ、何のつもり?」
「それは僕も気になるね。こっちとしては布袋君を人質に取るって作戦にも出れるんだけど」
「――――」
その言葉を発した瞬間、愛緋ちゃんの表情と、気配が変わる。なんだかんだ言って彼女の戦い方は、出来れば僕たちを殺さない様にというものだった。痛めつけ、戦意を喪失させるための戦い方。けど、それは彼に手を出さない状況下の話。もし僕たちが彼を人質に取ったり、害するようなことをすれば、たちまちの内に殺されていたかもしれない。
と言うか愛緋ちゃんその顔怖いね?背筋が凍りそう。これが殺気ってやつなの?
「怖い顔しないでよ、そのつもりなら言わずにやってるって……
でも、そんな手段に出られる可能性ある事ぐらいは予想してたでしょ?何のつもり?」
「そりゃ、停戦協定、ってやつだよ」
……その申し出自体はありがたい。問題はその方法。ただ今回戦いをやめるのでは問題の先送りにすぎない。
「タツヤ、ふざけないで」
「ふざけてねぇよ。愛緋、ここらが諦めどころだ」
「嫌」
「嫌じゃねぇ」
「……イヤ、だよ。ユウさん達は、私がこの世界を、去らない限り、納得しない」
愛緋ちゃんの魔法が在る以上、僕たちの世界に魔獣達が忍び込むことは無くならない。それは犠牲者が無くならないという事と同義だ。僕たちはそれが許容できないからここに居る。
「だろうな。お前の漏れ出す魔法ってのは自分じゃどうしようもないんだろ」
「でも、私は、私はタツヤと、離れたくない」
「…………」
少しの沈黙の後、布袋君の意を決して発した言葉に、僕たちは揃って驚愕の声をあげた。
「俺も行く」
「――え?」
「俺も、お前の居た世界に付いていく」
愛緋ちゃんがこの世界にこだわる理由、それが彼だ。追い詰められたなら逃げれば良かった。千年間続けてきたように。だけど、今回に限っては理由が出来た。逃げたくない理由が。
逃げない理由、逆に言えばそれさえ満たされれば逃げても構わないという事で。
「だっ、ダメ、だよ!タツヤには、おじさんもおばさんも、居るのに!」
「親父とお袋には悪いとは思う。けど、お前と一緒になる為って言ったら納得するし」
二人の仲はどうやら公認のもののようだ。
「あの世界は、こっちとは、比べ物にならない程、危険、なんだよ!?」
「覚悟の上だ。まぁ、ちょっと、女に守ってもらう状況は情けねえけどよ」
それでも一緒に居てやる。彼の目にはその固い決意が見える。
「でも、でも……」
“言い訳”が思いつかなくなったのか、愛緋ちゃんは必死に言葉を探すようにしどろもどろとなる。
「でももだってもねえ。決めたんだ。お前が嫌がっても、俺が竜胆ちゃん達の人質に勝手になるから無駄だ」
「っえ、僕?!えっと、人質とかはあんまり」
急に話をふられて、僕は慌てて手を振る。愛緋ちゃんが再び僕を睨むものの、先ほどまでの恐ろしい気配は無く、むしろ微笑ましい涙目の抗議の視線。
「……“界渡りの”。悠には無理でも、私は躊躇なく手を下せます」
「アーニャ?!」
「……“御使いの”っ!」
「なので、さっさと脅されて元の世界に帰りなさい。貴女にとってはこの世界は居心地のいい場所かもしれない。けど」
埒が明かないとしびれを切らしたのか、アーニャが物騒な助け舟を出す。こういう時は素直じゃないなぁ。
「貴女の見つけた本当の“場所”は、その人の隣でしょう」
アーニャの言葉に観念したのか、愛緋ちゃんの言葉は俯いてポツリポツリというものになる。
「……あの世界は、危ないよ?」
「あぁ」
「戦争は多いし、魔獣が沢山居る」
「あぁ」
「貧富の差も激しいし」
「あぁ」
「料理も、美味しくない」
「そりゃ大変だ。この機に料理覚えるか」
「……それでも、一緒に、居てくれるの?」
「ずっと一緒にいてやるって、最初に約束しただろ」
「タツヤぁ……ごめん、なさい……ごめんなさい……ぁぁぁ……」
一件落着、かな。愛緋ちゃんがこの世界を去れば、こちら側に魔獣が現れる事は無くなる。
つまり、僕たちの大きな目標の一つである、“界渡りの”門を止める事が果たされる。
そんな晴れ晴れとした気分に水を差すように、ギャリギャリという駆動音と、エンジン音。集まりつつあるのは自衛隊だろう。
戦闘機だけじゃなくて戦車も居たのか……しかも数台どころの話じゃないねこれ……まぁあんな巨大な怪物に立ち向かおうとしてたんだからそりゃそうか。
「……囲まれていますね。悠、どうします?」
「勿論、逃げよう」
和解したと言え、この騒ぎの主犯である愛緋ちゃんが無事で済むとは思えない。彼らの助けがあったからこそあの巨像を倒せたというのは皮肉なものだけど。
「愛緋ちゃん、悪いんだけど僕たち纏めて転移を……」
「ぐすっ、ズズ…………うん」
泣くのが落ち着いてきた愛緋ちゃんにお願いをし、空を飛ぶより安全に彼女の魔法でこの場を離れようとした、その瞬間――
巨大な魔法の、理の広がりを感じた。
「なッ!!」
間髪入れず、続いてそれが収束する感覚。その感覚を僕は知っている。あれは、あれは“幸運の魔女”が……
「――え?ッ、これって」
「……誰か、魔女が…………死にました」
アーニャが呟いた言葉は、僕の考えを肯定するものだった。
◆◇◆◇◆◇
――時間にして数分前。そう、たった数分前の事。
「クソッ、“拒絶の”も“御使いの”も!よくも……!」
恥辱と憎悪に燃えるのは“前知の魔女”。悉く彼女の“予知”を覆した二人の魔女への復讐心で、普段の余裕のある表情とはかけ離れた般若の表情を浮かべていた。
この場所に誰も来ない事を確認した後、彼女の予知に映ったのは、和解する悠と愛緋達の姿。
「殺してやる。もう情報なんて関係ない。あの孤児院の人間も人質にして!滅茶苦茶に犯して壊してから殺してやる……!」
力を取り戻した“拒絶の”、“御使いの”双方だけでも正面からの戦いで勝ち目はない。それに加えて千年級の“界渡りの”の同盟だ。到底立ち向かえるものではない。つまりそれは、自身がコソコソと息を潜め彼女たちに見つからぬように潜伏せねばならないと言う事。
なんという屈辱、なんという侮蔑。到底許せるものでは無い。
だが、正面から戦わなければいい事。特に“拒絶の”、竜胆悠には隙が多い。まずは身を寄せていた施設の人間を人質にして痛めつけようとし……
「もし、そこのもの」
「あ?何よ私は今機嫌が……」
掛けられた声に、忌々しげに返事を返す。
――待て、声?今ここで声を掛けられる未来など無かった。
その事に気付き慌てて声の主から距離を取り、視線を向けた先に居たのは一人の少女。
黄金を思わせる金の髪。病的までに白いかんばせ。朱に染められた和服。黒い和傘をくるくると回し、まるで童女のような姿のそれは、それは……
「は、ハハ…… 貴女、まさか、何故!こんな所に!!“九尾の”!!」
「……ほう、流石“前知の魔女”。一瞬で見破るとは、“狐”としては少々自信を失うのう」
まるで先程までもそこにあったかのように当然に在るのは、頭には狐の耳、そして背には9本の狐の尾。
千年級の魔女、永劫の安らぎを求めるもの、殺生石、金毛白面、そしてティアナを殺した張本人。
“九尾の魔女”
「答えなさい!何故!!」
「やれやれ、お主らが引き寄せたんじゃろうが。
四人同時の魔法の展開……空間が軋むほどのアレに気付かぬものなどおらぬわ」
「――“天網恢疎不漏”!!」
顔色を青ざめさせ、“前知の”は詠唱破棄で魔法を展開する。一秒でも早く、一ミリでも遠くに。
「…………は?」
そして返ってきた予知に。いや、前もって知ってしまった予知に、“前知の魔女”は絶望する。
あらゆる手段が、あらゆる攻撃が、あらゆる行動が、全て全て、死と言う結末に収束する事に。
「では、眠るがよい“前知の”。安心せい。妾の終わりは心地よいぞ」
「あ……あぁ……嫌!!嫌よ!!だって私はまだ知り足りない!!まだ私には識らないことが――」
カツカツと音を鳴らして近づく下駄の音に、“前知の”は数百年ぶりの恐怖に怯えながら。
「いやだ……殺さないで……」
その恐怖の内に、息絶えた。




