第七十五話
『……そういうわけで、アーニャ。完!全!復!活!です』
(何と言うか、反則だね?!あの教会の中なら何でもできるんじゃないの?)
楽しそうに心の中に響くティアナちゃんの宣言に、僕は声に出さないよう注意しながらそうツッコミを返す。あの教会で起こった大まかな事情は、音声だけなら僕にも聞こえていて殆ど把握している。盗み聞きしてしまったようで非常に気まずいし、アーニャの気持ちを知ってしまった事で、顔が赤くなりそう。
『それは否定しないけど、そもそもここに来れる悠さんとアーニャが異常なんですからね?』
(そうなの?と言うかアーニャがあのまま残るって言ったらどうしたの?)
『それは勿論、ここに居てもらってました。アーニャにはフラれちゃったけど、わたしはアーニャが一番だから』
ひどいね?!思わぬ裏切り発言にびっくりする。
『悠さんには感謝してるけど、これは優先順位の問題。恋敵だからって無碍にはしませんって。それより、アーニャが戻りますよ。
っくふふ、“前知の”の顔、怒りと混乱であんなに歪んで。少しは溜飲が下りるってもの』
言われて表情の読めない愛緋ちゃんの隣に立った“前知の魔女”の顔を見ると、確かにすごい形相だ。青筋は浮かんでるわ、目が血走ってるわ、眉間に皺が寄っているわ。ティアナちゃんの言うとおり、これはざまあみろって気持ちになる。
…………ん?あれ?恋敵?
「長い間、迷惑をかけてごめんなさい。もう、大丈夫です」
「……おかえり、アーニャ」
「え?あ、はい、ただい、ま?」
さらっと落とされた爆弾発言の意味を考える前に、アーニャが僕の隣に立つ。まぁ考えると藪蛇っぽいし、うん、聞かなかったことにしよう。アーニャの表情を見ると思い詰めていた暗い影は消え、幾分とすっきりした表情をしている。警戒を緩めず眼前の二人を睨んでいる姿に、僕はホッと息を降ろす。
「エランティス……苦労かけたわね……」
気を失っているエランティスにアーニャが回復の魔法をかけると、あっと言う間に傷は塞がり、エランティスの苦しそうな呼吸が穏やかなものになり、またひとつ、心配事が晴れる。
「どういうこと!“御使いの”!貴女何故、魔法が……!」
驚愕から立ち直ったのか、鬼のような表情のまま、“前知の魔女”が叫ぶ。ざまぁとは思っていたけど、さすがにこの顔のまま問い詰められるのはちょっと引く。
「えぇ自分でも驚いています。ただ、理論上は可能だったのでしょう。火種は変わらずあり、もう一度魔女に至れる願いと激情を持つことができたなら」
「……魔法が、壊れた魔女が、そこに至れるほど、永く生きる事が、無かったから、発覚しなかった?」
「そういうことです。さて、これで2対2ですね」
驚いた様子と言え、幾分冷静な愛緋ちゃんが続いて問う。一度エランティスの打込んだ楔が抜けて魔法が壊れ、そして再び得た僕にとっては感覚的に驚きは無いけれど、どうやら他のみんなにとっては違うようだ。
「……ありえない……ありえない!ありえないありえないありえない!!!!
“御使いの”が再び魔法を得るなんて未来はどこにも無かった!そんな可能性は欠片も!微塵も!有り得なかった!!なのに何故?!」
「背中を押してくれた人がいるから。だからもう、私は、貴女達なんかに負けはしない」
“この世のありとあらゆる事”を既知とする“前知の魔女”の魔法。だからこそ、この世の何処にも存在しない、あの教会で起きた事だけは知る事が出来ない。僕があの場所で知ったことも、恐怖心を拒絶した事も、修行をしたことも、そして、アーニャが再び魔法を得た事も、知る事が出来ない。
「――手を貸しなさい“界渡りの”」
「…………ハァ、まぁ、目的は同じだから、いいけど」
気乗りのいかない愛緋ちゃんと、般若のような表情の“前知の魔女”。随分と温度差のある組み合わせだ。だけど、二人の魔法は共に強力で、油断はできない。
……けど、一つも怖くない。恐怖を捨てなかったとしても、今ここで恐れは感じなかっただろうって確信できる。だって、こんなにも心強い、仲間が、大切な人がいる。
「――いこう、アーニャ」
「えぇ、いきましょう、悠」
さぁ、仕切り直しだ。
僕たちは、再び、魔法の詠唱を始める。
◆◇◆◇◆◇
「我は触れられざるもの」
「我は天衣無縫を纏うもの」
「我は既知の果てを求むもの」
「我は境界を越え、見果てぬ世界を繋ぐもの」
全く同時に、魔女たちは詠唱を始める。
“拒絶”が、“御使い”が、“前知”が“界渡り”が、自らの法で世界の理を塗りつぶさんと浸食する。
「嗚呼寄るな触るな近付くな。あの日の慟哭を彼方へ」
「穢れを祓い、救いを齎す無垢なる使者。あの日の救済を此処に」
「過去を知り今を知り未来を知る。全ての未知を飲み干したいと願う」
「門にして鍵、鍵にして門なるものよ。我が望むは未知の叙景」
詠唱を重ねるたびに周囲の空気が軋み、悲鳴をあげる。
接触を拒む斥力が、救済を求める祈りが、未知を飲み干す予言が、時間空間次元を渡る門が同時に広がる。
「此処は汝等の触れてよい夢に非らず……」
――そうだ、殺させない、壊させない。アーニャも、エランティスも、みんなも。僕の大切な人達に指一本、触れさせない!
「此処は二度と戻らぬ曾ての望郷……」
――悠を喪いたくない、救いたい。その為だったら私は何だってやれる。もう二度と、あんな思いをするのは嫌だから。
「総ては曾て見たあの日の光景……」
――知らない事が許せない。分からない事が認められない。だからこそ、貴女達の存在が許せない。あぁ、聞き出してやるわその全て!
「此処ではない何処かへ……」
――私は、ずっと、逃げてきた。怯えて、逃げて、立ち去って……此処は、そんな私が、やっと見つけた、場所だから。だから、絶対に……奪わせたりなんてしない。
「「「「故に!!」」」」
四人が同時に叫んだ時、どこかで何かがひび割れた音がする。
「“誰我接触不叶”!!!」
「“天衣無縫乃理”!!!」
「“天網恢疎不漏”!!!」
「“異界至無窮門”!!!」
“拒絶の魔女”竜胆悠が漆黒の霞のようなマントを羽織る。
“御使いの魔女”アーニャ・ガランサスが三対の羽と純白のワンピースを纏う。
“前知の魔女”リモニウム・スターティスがぜんまい仕掛けのモノクルと装飾を身に着ける。
“界渡りの魔女”アイヒホルニア・クラシペスが金色の装飾がちりばめられたヴェールと、銀の鍵を手にする。
魔女が、自分たちの理を開放した。
◆◇◆◇◆◇
詠唱を終えたと同時に動いたのは愛緋ちゃんだった。開いた“門”より数十の魔獣を呼び出す。今の僕たち相手には弾除けにしかならないだろう低級から中級の魔獣だけど、目的はまさにその弾除けだろう。障害物に隠れて、その障害物ごと広範囲を制圧する術式で僕たちを攻撃する……
「――『基礎より来たれガブリエル』。硫黄の火を以て焼き尽くせ」
その前に、隕石を思わせる大量の巨大な火球がその周囲一帯を焼き尽くした。
……おおぅ。すごい。ちょっと硫黄臭いけど。
「…………また。折角、呼んだのに」
「残念ながら、“殲滅”が得意なのは私もでして」
若干不満そうに愛緋ちゃんが呟く。そういえば一瞬で大量の魔獣を殲滅されるのは今日だけで3回目だ。確かにちょっと可哀そう。
それよりも、アーニャのパワーアップ具合に僕は驚く。今までの彼女の天使の羽根は、二枚一対の羽だった。しかし、今のアーニャの背にあるのは六枚三対の翼。『熾天使』と呼ばれる最上級の天使の姿。最も神様に近く、最も天使の中では強い力を持ったもの。力を完全に取り戻したアーニャは、そんな天使の能力すら扱う事が出来る――とはティアナちゃんの談だ。
「悠!“界渡りの”の足止めをお願いします!私は“前知の”を」
「分かった。頑張ってね」
僕の場合は“前知の”の予知を覆すことが出来ない。かと言って“前知の”も僕の魔法を破る事が出来ない。千日手になってしまうのは、避けたい状況だ。でも、今のアーニャなら――
「ハッ、私なら勝てると?戦うだけの脳筋に……」
「『知恵より来たれラジエル』
……どうしました?予知が扱えるのは貴女だけではない事くらい、知っていたでしょう?」
「――――殺す」
『ラジエル』――それは神秘の書を持つ天使の名。元々予知の魔法としてアーニャが発動させたのは、この天使の能力だった。アーニャがその始動キーを言うと、手に一冊の古ぼけた本が現れる。それが神秘の書――この世のありとあらゆる事柄を示した書。不完全な状態では、そこから目的の事柄を探し出すのはエランティスの探査魔術に頼っていたけれど、今の完全な状態のアーニャには、そんな手間の必要は無い。
悪魔の様な形相をしながら、“前知の魔女”がアーニャに襲い掛かる。アーニャの挑発からして、前知の予知を書き換えた様だ。あちらは恐らく大丈夫だろう。それよりも今僕は、正面の相手に集中する。
「さて、愛緋ちゃん」
「この期に及んで、話す事、ある?」
話しかけた僕に対し、少しだけ呆れたように言う愛緋ちゃん。いやまぁ実際の所時間稼ぎだから乗ってくれるだけでもうけものなんだけど。
「あるよ。僕もなるべく愛緋ちゃんを傷つけたくないんだ。出来れば降伏してくれると嬉しいんだけど」
「……例え私が降伏して、どうするの?漏れ出す“門”を、制御することは、私には出来ない」
「元の世界に帰ってもらうってのは?」
「ひどい事、言うのね。あそこが嫌で、逃げ出した私に、戻れなんて」
「それでもだよ」
「嫌」
短い拒絶と共に転移した銀色の鍵が振り下ろされる。頷いてもらうつもりは無かったけど、もうちょっと会話で時間稼ぎしたかったな……!
時間稼ぎ――そう、これは時間稼ぎだ。保身に走る前知の魔女にとって、この戦いも共闘している愛緋ちゃんの存在も、重要なものでは無い。手傷を負う前に撤退するのが関の山だ。だから僕の役目は、眼前の愛緋ちゃんが前知の魔女に合流しないようひきつけ、時間を稼ぐこと。
再び戦いが始まる。 ……愛緋ちゃんの攻撃の手が鈍い事に、嫌な予感を覚えながら。
「“御使い”ィィィイイ!!」
「ぐっ、この……」
「ヒッハ!ざまぁみなさい!今回はそれまでだけど、次も、その次も!また削ってやるわ!!」
再び戦いが始まって十数分後だっただろうか、咆哮と共に“前知の魔女”の放った攻撃がアーニャの肩に当たり、鮮血が飛び散るのが視界の端に見える。今すぐ駆け寄りたい気持ちになるけど、それは悪手だ。ぐっと堪える。
「…………さっさと消えなさい。貴女が無傷で出来る事は、これまでなんでしょう」
「っチィ」
アーニャが挑発に乗らずにそう返すと、“前知の魔女”は忌々しげに舌打ちをし、そしてすんなりと引き下がり撤退する。追えない事は無いだろうけど、魔法で自分の無傷を予知している以上、捉えるのは困難だろう。それよりも今優先すべきは……
「大丈夫ですか、悠?」
アーニャは既に“前知の魔女”の事を意識の外に置き、愛緋ちゃんを用心深く観察している。僕と愛緋ちゃんでは互いに攻め手に欠けるけど、アーニャが加われば天秤はこちらに傾く。
「アーニャこそ。その傷、大丈夫?」
「はい。『栄光より来たれラファエル』……問題ありません」
アーニャの呟きと共に傷口に光が纏わり、あっという間に無傷の状態になる。
今までの壊れかけた状態でも大概万能だったけど、今は更に万能感が増している気がするよ?
「あとは貴女だけですね、“界渡りの”」
「別に“前知の”は仲間じゃない。元々私一人」
心底いやそうに愛緋ちゃんは断言する。いつもの一言ずつ区切る様な独特な喋り方ではなく、早口で言い切った辺り、よっぽど嫌なんだろう。まぁ僕も嫌だけど。
「けど、まぁ、役には立った。……時間稼ぎしていたのは、ユウさんだけじゃ、ないよ」
そう呟いた愛緋ちゃんの背後に、巨大な“壁”が現れる。いや、違う、これは壁じゃない。巨大な、“門”だ。
それは見渡す程長大で、見上げるほど膨大で、呆れる程巨大な、漆黒の門。高さにして百数十メートルはあるだろうか。周りの10階建て以上のビルの数倍の大きさだ。この門を呼び出す準備を、愛緋ちゃんはずっとしていたんだ。
……ってか、でかすぎない?
「見せてあげる。私の、切り札。“荒鋼の魔女”の最高傑作の一つ……」
鈍い音を上げて、門が開く。その先にあるのは巨大な何かの気配と、金属のようなものが軋む音。
「荒鋼?聞いたこと無いけど」
「……“千年級”でも最古の魔女の一人ですね。魔法で巨大な像を作るのが趣味の変人で……」
「変人」
趣味?この門のサイズからして、大きさはそうなんだよね?それを趣味?頭おかしいんじゃないの!?
「来たれ荒廃の鋼の人。人世界を統べる王。
『人世界の巨像』」
――ビルすらを腰掛けにするような、黒錆に塗れた巨像が、声の無い駆動音を立てて、吼えた。
あけましておめでとうございます。




