第七十四話
「――それはダメよぉ?」
竜巻を目前にして勝利を確信したその瞬間、蛇を思わす嘲笑が響いた。
「――――ガァ……ッ!」
「エランティス?!!」
慌てて振り向いた僕の視界に映ったのは、エランティスの身体を幾つもの剣で貫く“前知の魔女”の姿。エランティスの小さな体を埋め尽くす剣が、大量の鮮血をまき散らしているところ……
「アッ、ハハ、ハハハハハ!!アハハハハハ」
嘲笑、侮蔑、愉悦。そういったマイナスなイメージを持った笑いを混ぜて煮詰めた様な、悪意に満ちた笑い声を楽しそうにあげる“前知の魔女”。突然の事で理解が追い付いていなかった頭が、ようやく事態の深刻さを認識する。これ、凄く、マズイっ……
「良ーい顔ねぇ、竜胆悠ちゃん!
勝てると思ってた?勝機があると?フフ、フフフ。
あぁ、あぁ、美しいわ!その希望が怒りと絶望に変わる瞬間の表情が!」
「お前ッ……!」
「ッく、貴様……ガァッ?!」
楽しそうに再びエランティスに刺さった剣をグリグリと抉りつけ、エランティスからあがる苦悶の声。
「安心して、まだ死にはしないわ。尤も、動くことも出来ないでしょうけど。
それよりも“拒絶の”、貴女、何をしたの?」
「エランティス!!ッ……何、とは」
串刺しにされたエランティスを造作も無く投げられ、悲鳴の様な声で彼の名を呼び受け止める。“前知の魔女”は死にはしないと言ったけど、傷は相当に深い。血もかなりの量があふれていて危険な状態に見える。
くそっ、回復魔術を使えない事が口惜しい!
「貴女は“界渡りの”の呪いを克服できることは出来ず、絶望と共にここでエランティスちゃんとアーニャちゃんが殺されるのを見ている事しか出来なかった――それが正しい未来。
けど、貴女は呪いを克服し、ここに立っている。何故?どうして?何をしたの?」
「……あんたに教えれる事は無い」
「そうね、そう答えるのは知ってるわ。だからエランティスちゃんを先に抉ったのだもの。さて、そんな貴女に特別に一つ、教えてあげる」
まるでオペラ歌手の様な、芝居がかった手振りをしながら、“前知の魔女”が得意げに言い放つ。
「貴女はすぐにその秘密を私に教えてくれることになるわ。
そこの手負いの“嵐壊の魔獣”と腰抜けの“御使いの魔女”を拷問されているのを見ながらね」
血が頭に登り、危うく飛びかかりそうになる。今飛び出しても状況が悪化するだけだと心に言い聞かせて、深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着かせなければ、危なかったかもしれない。
眉間に皺を寄せて睨む僕の様子を見て、“前知の魔女”がおかしくてたまらないといった様子で、不快な笑い声をあげる。それはおもちゃを貰った子供の様な無邪気さと、悪辣に笑うこうこつな大人の、悪いところだけを掛け合わせたような笑い。
「ッハ!アハハ!楽しみね!えぇ楽しみ!土下座して二人の命乞いをする姿も!裸に剥かれて浮浪者に身体を弄られる姿も!そして、恥辱と凌辱の果てに貴女の口からその秘密を聞くのも!!」
“前知の”の見ているろくでもない未来を聞かされ、僕は背筋に悪寒を感じる。あぁ、くそっ、確かに、二人の命を秤にかけられたなら、土下座でも身売りでもやってやるけどさぁ……!でも、そんなのは絶対にごめんだ。
「アハハ、ハハ、アーッハハハハハッハッハッハ!!」
耳障りな高笑いを聞きながら、僕は逃げ道を何とか探そうと思考を凝らす。
……そんなものはこの世界の何処にも在りはしないのに。
「エランティス……悠……」
アーニャが、震える肩を抱きながら呟く。作戦は、疑うことなく失敗だ。“前知の魔女”が介入してくる可能性は考慮しなかった訳ではないけれど、思いがけず愛緋ちゃんを追い詰めれた事に、欲目が出た。“界渡りの”を倒せるのではないかという欲が。
欲は引き際を惑わし、エランティスの脱落と言う“致命傷”を与える。本来、失敗した時に撤退用で用意された転移陣は、彼がいなければ起動が出来ない。
「ティアナ……私は――」
絶望と嗚咽と共に呟く言葉は、今は亡き友への呼びかけで。
そして、届く筈のない祈りは、ただ一人だけの教会の神へと届く。
『いいよ。おいで、アーニャ。
わたしとアーニャの、二人の望郷へ』
◆◇◆◇◆◇
ティアナと私にとっての望郷、原風景。
それは、あの始まりの教会。
孤児であった私たちが出会い、育った教会。
「久しぶりだね。アーニャ」
「ティ、アナ……?夢?ここは……」
年季の入った木製の椅子も、日光に彩られるステンドグラスも、厳かな彫刻も、あの日あの時のまま変わらない教会で、目覚めを迎えてくれたのは、懐かしい一番大切な親友の顔と声。
見慣れた悠の栗色の髪よりも色彩の薄い亜麻色の髪と、今の姿よりも幾分か幼い、少女らしい表情を浮かべたティアナの姿。
「そう、ここは夢の中。かつて私たちが愛した夢」
「ティアナ、私は……」
そこまで言って気付く。夢、夢ですって?いつもの悪夢?この状況で?!
悠とエランティスは……!
「絶望的、って言っていいくらいだね」
まるで私の考えている事が分かっているかのように、目の前のティアナが呟く。
「エランちゃんの傷は深い。戦線に復帰するのは無理だし、早く治療しないと時間の問題かな。
悠さんはかなり強くはなったけど、“界渡りの”と“前知の”二人相手じゃ勝機は一つもない」
「ッ、行かなきゃ!」
目を覚まし方も分からないけれど、悠が闘っている中で、一人のうのうと居眠りなんて許される筈がない。エランティスに、焼け石に水でも治療魔術を…… そんな焦りを見せる私を、ティアナが悲しそうな表情で、何か哀れな生き物を見るかのような目で見つめる。その記憶には無い表情に、私は蛇に睨まれたかのように動けない。
「……目覚めて、行って、どうするの?」
「それ、は……」
「魔法は使えない、魔術は人並み以下、武術も護身術以上のものは使えない」
「…………」
……そう、ティアナの言うとおり、私に出来る事なんて、一つも無い。今の私は“界渡りの魔女”の片手間にすら劣る“門”から呼んだ魔獣1匹で処理できる程度の存在。
「無駄死に…… いいえ、足手まといにしかならないのは気付いているんでしょ?」
その言葉に、悔しくて唇を噛む。そうでもしていないと、情けなくて泣いてしまいそうだったから。
そう、足手まとい。
役立たずであるだけならむしろ救い。今、私が介入したとして、悠が私を護るという手間と隙が出来るだけの負の存在。
「でも、だからってここでのうのうとしている事なんて……」
「行って、“前知の”が悠さんを嬲る為の材料にされるの?」
「それ、は……ッ」
“前知の魔女”の宣言。私とエランティスを人質に、悠を嬲り、慰み者にし、“前知の”が求めている何かを聞き出すつもり。
耐えられるものじゃない。許容できるものじゃない。いっそ舌を噛み切るか首を引き裂いて自害した方がマシだと思えるほどに。そうすれば悠の足枷が減り、撤退が可能なのではと思い……
「……それなら、ずっと此処に居る?」
「え?」
再び心を読んだと思われるティアナの提案に、私は思わず呆けた返事を返してしまう。
「アーニャには“此処に居られる権利”がある。
……いいよ、アーニャ、頑張ったもん。疲れたでしょ、もう、休んでもいいんだよ」
「ティ、アナ……?」
私の頬を、優しくティアナが撫でる。その手は母が子に触れる様な慈愛と、悪魔が人を堕とすかの様な蠱惑のぬくもり。
「辛かったのよ。エランちゃんが、アーニャが傷ついて、擦り切れていく様を見るだけしかできないのは」
「……」
「ねぇ、ここに居よ?ここは誰にも触れる事の出来ない聖域。だれもアーニャを傷つけない。だれもアーニャを穢さない。そうすれば悠さんにも撤退の芽が出来る。だから、お願い、一緒に居よ……?」
「ティアナ、私は……」
そう、このまま悠の足枷となりながら生きるくらいなら、此処でティアナと共に終わってしまった方が良い。復讐心も、誓いも、他でもないティアナの言葉に溶かされて。
私も、此処に居させて――その言葉を発する前に、眼前のティアナと同じ顔が頭の中をよぎる。
そっ、か。私は、もう……
「……アーニャ?」
私の考えている事などお見通しのティアナは、ひどく傷ついた表情で私の名を呼ぶ。だけど、私はそれに無言で首を横に振る事で答える。
「どうして?」
「悠が、一人で戦ってるから……」
「……無理だよ。相手は“千年級”。それに“界渡りの”はまだしも、“九尾の”には絶対に勝てない」
「それでも、一人には出来ないから」
だって、私は――
「ごめんね、ティアナ。
私、悠の事が好き。誰よりも……エランティスより、ティアナよりも好き。
……女として、愛してるの」
あぁ、本当は気付いていた。
ずっと、目を逸らしていた。
私は、どうしようもなく、“彼”の事が好きなんだ、って。
最初は利用するつもりの、可哀そうな巻き込まれた被害者だった。
悪夢にうなされた私を救ってくれた時には友達になっていた。
……いつの間にか、親友になっていた。
“蠅山の魔獣”から救ってくれた悠の姿を見た時、多分私は恋をした。
そして、今このとき、どうしようもなく好きになっていた事に気付いてしまった。
私は彼を愛している。だから、誰よりも、なによりも悠を救いたい。
「そっ、か。振られちゃったな。でも、仕方ないかな、悠さんなら」
「私、行くわ。悠を、一人にだなんてさせない。このまま、終わらせたりなんてしない」
このまま巻き込んだ側の私が去って、エランティスが死んで、それで悠に全てを押し付けたままなんて終わりは、私が許せないから。
「それがエゴだって知っていても?」
「エゴだと知っていても、よ」
「そっか。じゃあ、行ってらっしゃい。大丈夫、今のアーニャならもう一度“至れる”。がんばってね」
ティアナの言葉に私は素直に驚く。魔法が壊れたら、二度と戻らないと思っていた。だけど、えぇ、不思議ね。私もそう思う。もう一度、あの深淵の頂に、至れる気がする。
「……えぇ、行ってくるわ。がんばってくるね、ティアナ」
そして、ありがとう、ティアナ。例え夢でも幻でも、もう一度貴女に会う事が出来たみたいで嬉しかった。少しだけ寂しそうに手を降るティアナに数回手を降り、背を向ける。顔を見続けても決心は揺らがない。だけど、ええ、少しだけ私も寂しいから。
『大切なものを救いたい』
魔女に至れる望みは一つだけ。願いの壊れた魔女は二度と魔女に戻れないのは、根源たる願いが失われているから。ティアナを救えなかった、自分自身すらも救えなかった。そう思ってしまったから、私の魔法は壊れてしまった。
だから私はもう一度至れる。一番大切な人を、悠を救いたいって心から思えるから……
だから私は無垢の衣を纏い、白い羽を抱く。何よりも大切なものを護るために、救いの天使になりたいと願った。解れ一つ、縫い目一つ無き純白の誓い。
――故に、天の衣は無縫の理。
再び至れ、魔導の極致、魔神の理、異形の法!
このはち切れそうな恋情を火種と化し、今ここに再び、異界の法が“華”開く。




