第六十八話
「ギィ!ギィイ!!」
「ギャア!ギャア!!」
魔獣が鳴く。先ほどまでうるさい程響いていた悲鳴はもう、聞こえない。
代わりに無言で転がるのは、5人分だった肉の塊。全部で5匹の、2本足で立つ人間大のトカゲを大きくした恐竜のような魔獣は、耳障りな鳴き声を上げながらガツガツとその肉を啄んでいる。
「ギャギャギャ!!!」
周囲を警戒していた一匹が何かに気付き一層大きな鳴き声を上げる。それを聞いた魔獣たちが一斉に顔を上げ、周囲をせわしなく見回す。そんな魔獣の姿を気にする様子も無く、中空に出現した“門”から降り立ったのは前髪でその目元を隠した陰鬱な雰囲気の一人の少女。
――“界渡りの魔女”、愛緋。アイヒホルニア・クラシペス。
金の装飾のちりばめられたベールこそ被っていないものの、その手には既に巨大な銀色のカギが握られている。
そしてその身に纏うのは魔女特有の巨大な魔力。それは魔獣達にとってはすさまじいまでのプレッシャーと、甘美で抗い難い誘惑に映る。例え死ぬと分かっていても挑んでしまいたくなるほどの。
「……警告。すぐに、帰るなら、命までは……あぁ、そんな知能は、無いか」
愛緋は深いため息と共に、小さなつぶやきを漏らす。その言葉の通り、相手との力量差を量る程の知能を持たない、或いはその本能に抗うことが出来ない低級の魔獣は、魔女に見境なく襲い掛かる。それはこの魔獣たちも同じであったようで、ダラダラと涎を垂らしながら、既に足元のソレには目もくれずに一心に愛緋の様子を窺っている。
彼女はその様子をまるで路端のゴミを見るかのように不快気に見、そして眉を顰める。
汚らわしい、悍ましい。私が望む世界にこんなものは必要ないのだと。
「食べて、いいよ、それ」
呟いた瞬間、異変は起こる。
壁から“門”だけを繰り出したような異様で巨大なアーチ状の門が中空に現れる。すでに開かれていた門の中は、まるでブラックホールを思わせる漆黒。いくら目を凝らしたとしても光の欠片すら見つけられぬ闇。昏く、深い、光すらも飲み尽くす混沌の黒。
澱み一つない闇が、僅かに蠢く。次の瞬間には雪崩の様に門から闇が溢れ出した。それは獲物を絡め取ろうとする黒い触手。最早濁流と呼ぶに相応しい物量と速度を持ったそれは、到底並みの魔獣では逃れる術など無い。
「ガッ、ガアァァァ!!?」
「ギィイイイ!!」
魔獣たちがうなり声、叫び声を上げる。その叫び声すらも飲み込み、触手はすべての魔獣を絡め取ると、ビデオの逆再生を見るかのように巻戻り門の中へ還っていく。ただ一つ逆再生前と違い、その場にいた全ての魔獣の影も形も残っていない事を除いて。
「……はぁ、面倒。ユウさんと、“御使いの”は、よくこんなの、やってたね」
『千年級』の魔女である愛緋にとって、下級魔獣などは取るに足らない相手だ。だが、本来魔獣の方から現れるのが常の魔女達にとって、わざわざ出向いて魔獣を狩るなど初めて行うに等しい体験で、苦労よりも煩わしさが勝る。
「二人を護ってるっていう、魔獣……“嵐壊の魔獣”、だったかな。『名付き』、クラスの魔獣なら、大丈夫だとは、思うけど、不安。
ねぇタツヤ、これで、本当に、良かったのかな……」
その言葉に反応し、愛緋が現れた門からヒョイと出てきた布袋辰也は、周囲に誰も居ない事を確認してから地面に飛び降りる。
「誰もいないか?よっと。
……さぁな。だけど、このままだと竜胆ちゃんが殺されちまうんだろ?」
「……“前知の魔女”の予知は確実。だけど、彼女が本当の事を、言っているかは、わからない」
辰也は愛緋から“前知の魔女”の性質を聞いていた。その印象だけで判断するならば「信用できない」だ。
「愛緋はどっちだと思ってんだ?」
辰也の言葉に愛緋は一瞬言葉に詰まる。“前知”の事は愛緋もまた全く信用してはいない。だが、その性格から狙いはある程度推測できる。
あれは見目麗しいものを好む。そしてそれをなるべく長くいたぶろうとする。だが……
「……恐らく、本当。彼女達は“九尾の”と、敵対してる。そして“九尾の”は、“御使いの”を狙ってる。あのままだと、彼女達がぶつかるのは、多分、遠くない」
裏付けの一つとして愛緋が知る情報に“九尾の魔女”の存在があった。あれが門を通った事を愛緋は知っている。そしてその目的も、知っている。
“なにせ実際に会っているのだから。”
「んで、お前は竜胆ちゃん達を死なせたくないっと。ならクヨクヨすんな。先の事は分かんねえけど俺はお前の味方だ、胸張ってろ」
「ん…… ありがと、タツヤ」
ワシャワシャと頭を撫でなられるのを心地良さそうに受けながら、朱色に染まる頬を隠すために俯き、小さく礼を返す愛緋。
「……お願い、ユウさん。“九尾の”と出会わないでいて……」
サイレンの音が近づく平原に、その呟きは虚しく響いた。
◆◇◆◇◆◇
凍える街を、僕は相変わらずあてもなく散策する。と言っても遊んでいる訳ではない。予知を行えるアーニャが魔法を失った今、魔獣が出現してから向かうまでは目と足頼りだ。位置さえ掴めればそこからはかなり早く移動する事が出来るけど、掴めなければ犠牲を増やすだけだ。
(って言っても、僕は騒ぎを見つけたらエランティスに合図を送るだけだけど)
役立たずは役立たずなりに少しでもと、かって出た散策だけど、アーニャとエランティスには当然とばかりに反対された。確かに魔獣に出会うと体が竦んでしまう僕が出来る事なんて殆ど無い、それこそ合図を送る事だけだ。だけど、それでも無理を言って押し通したのは実の所、彼らと顔を合わせるのが辛かったのが本音だったかもしれない。
「……おい、お前、竜胆か?」
「?……っあ、店長?!」
考え事をしながら歩いていると、突然低い声を掛けられて少しだけビクリと身体が固まる。未だに不意に男から声を掛けられると身体が緊張してしまう。
警戒しながら声を掛けられた方を向くと、そこにいたのは日本人にしてはかなり大きくガッチリとした体躯と、およそ料理人とは思えない強面の男性。僕が施設に送られるようになる前までお世話になっていた定食屋の店長さんだった。
思わぬ再開に顔が少し綻んでいると、店長がその大きな手を僕の頭の上にのせ、ワシャワシャと豪快に撫でる。ちょっと年頃の少女にする対応としてはいかがなものかとは思う。
「おいおい、久しぶりだな。ったく、施設に入れられた途端こっちに顔一顧も見せやがらねえ。薄情なもんだぜ」
「ごめんなさい。……ちょっと忙しくて、ね」
「そうか。施設の方では楽しくやってるか?」
「ええと、うん、大丈夫ですよ」
「…………本当か?」
嘘をつくのを躊躇い、言葉を選ぼうとして言いよどんだ僕に、店長が眉をわずかに顰めて問う。本当の所は大丈夫どころか、施設にはこの数ヶ月一度も近寄っていないし、そもそもまともな場所で寝泊まりすらしていない。かと言ってその理由を説明するには僕が警察に指名手配されている事を話さなければいけない。言えないし、言いたくは無かった。
「ぐ…… ちょっと訳がありまして」
「…………」
「……ぅう」
言い訳が思いつかずにいると、店長は無言でこちらを、僕の眼を真っ直ぐと見てくる。その目を、僕は直視することが出来ない。こちらをじっと見る店長の顔は、子供でなくても泣き出しそうな強面だけど、僕は怖さよりも後ろめたさによってだ。
何秒、そのままで居ただろうか。多分十秒にも満たない事だったと思う。体感的には何分もに感じたけれど。店長は大きなため息と共に視線を逸らす。
「はァ、わぁかったよ。何も聞かねえよ」
「ごめん、なさい。ありがとうございます」
「お前も強情な奴だな……そうだ、久々に飯、食ってくか?」
「いや、大丈夫です。そこまでお世話になる訳には……」
最近まともなものを食べていないし、久しぶりに店長の料理にありつけるのは魅力的だけど、そこまで迷惑をかける訳にもいかない。隠し事をしている手前、後ろめたい気持ちもあるし。そう思い断ろうとした瞬間――
――くうぅぅぅ。
自分で言うのも何だけど、僕のお腹は何故こうも空気を読んでくれるのか。要らないお世話である。ってかこういうの前にも無かった?!
「ちょ、わ、店長!?やめ、痛い、乱れる!」
「ガキが遠慮するなっていつも言っただろうが。お前はただでさえチビなんだから食わなきゃ背も乳もちっこいまんまだぞ」
「分かりました、お世話になります!だからワシャワシャするのを辞めて!あと胸の事言うな!」
僕の腹の虫の鳴き声はどうやら店長にも届いたようで、再び僕の頭をワシャワシャと、先ほどよりも少し強く撫でながら失礼な事を言う。
胸の事を言われた瞬間、イラッとしたのは気のせいだ、うん。
――久々にあの店ののれんをくぐる。正確にはまだ営業時間が始まっていないのでのれんは出ていないんだけど、そこら辺はまぁ、気分の問題だ。
あれから数ヶ月経った今も、店の中の様子は全く変わっていない。年季を感じる木製の机やいす、しゃれっ気のないシンプルな内装、清潔感はあるけれど生活感のある、どこか落ち着く雰囲気。当たり前だけど、あの時のままの店内の様子に僕は深い安心感を覚えた。
店長は店に入るなり「ちょっと待っていろ」と厨房に入り、料理の準備を始めている。僕も手伝おうとしたけど、邪魔だから座っていろと厨房を追い出された。
「ほれ」
時間にすれば十数分だっただろうか、手早くまかない料理を作り終えた店長が、僕の目の前にコトリと皿を置く。皿の上に乗っていたのは少し大きめのオムライス。あの強面がオムライスを作る姿を想像してしまい、少し吹き出してしまうと、隣からわざとらしい咳払いが聞こえた。どうやら考えている事がバレているらしい。
次に落ちてくるのはゲンコツだろうから、慌ててスプーンでふわふわのオムライスを掬い、口へと運ぶ。
「……おいしい」
うん、すごく、美味しい。半熟の卵はふわっとして甘く、中のチキンライスもトマトのコクと風味がよく絡んでいて美味しい。多分普通のケチャップではなく、手を加えているんだろう。
最近口にしている野菜クズやパンの耳、川でとった魚に比べると雲泥の差だ。隣にアーニャが居ないのが残念で仕方ない。久々の料理らしい料理の味と、自分だけ良いものを食べている罪悪感を噛み締めながら、僕は無言でオムライスを平らげた。
「ふぅ…… ごちそうさまでした」
「おう、相変わらず良い食いっぷりだな」
店長はいつの間にか付けていたテレビを見ながら言う。僕はお皿を片づけたあとテレビに意識を向けると、また新しい魔獣の被害者の情報が報じられていた。忽然と消えた、と言っているのでどうやらエランティスか愛緋ちゃんが倒したのだろう。死者5人、という数に「あぁ、5人で済んだ」と考えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。
「そう言えば、店長は、この街を離れないんですか?」
「……」
この魔獣の被害は、愛緋ちゃんから漏れ出す魔法による影響だ。その影響範囲はおよそ10kmとちょっと。都内から出ればまず大丈夫な距離だ。
「店長の料理の腕なら、きっと他の場所でもやっていけますよ。わざわざ命の危険があるこの場所に固執しなくても……」
「悪いな。俺はこの店を畳む気はねぇよ」
テレビに視線を向けたままキッパリと答える店長。まずい事を聞いたかなと思いもしたけれど、僕はつい、続けて訊ねてしまう。
「……理由を聞いても?」
「…………そうだな、それを聞いてその辛気臭い顔が少しでもマシになるってんなら、話してやるよ」
「あ、いえ、無理に聞き出そうとした訳じゃ……」
って辛気臭い顔、か。自覚はしているからあまり出さないようにしているつもりなんだけどな。
「遠慮するなってんだろ。……この店は女房と始めた店なんだよ」
「え゛、店長結婚してたの?」
「殴るぞ。尤も女房は数年前に死んだっきりだがな」
「ぁ――」
ごめんなさい、僕がその言葉を言う前に、店長は続けて語る。
「謝んな、こっちが好きで話してることだ。たいして面白味もねぇ話だがな。
駆け落ち同然で結婚した俺らだったが、飯を食うためには働かなくちゃならねぇ。だが、身元も学歴もねぇ俺らを働かせてくれるところなんて無くてな。途方に暮れてた所だ。
やれることなんて力仕事位だ。工事現場で土工しながら食いつないでたんだがよ、ある日女房がある定食屋で仕事を見つけてきたんだ。そこで二人して修行して、金貯めて、独立したんだよ」
店長と奥さんのなれ初め、店長の年齢を考えると大体20数年前か。その思い出を語る姿はとても嬉しそうで、とても寂しそうで――
「あん頃は楽しかったなぁ。毎日忙しくて火ィ吹きながら店回してよ。店だすのにこしらえた借金は中々へらねぇし、食材はどんどん高くなる。……けどまぁ、そうだな、幸せだった。
……事故、だった。誰が悪いってわけでもねぇ。運悪く雨でスリップした車が、運悪く買い出しに出てた女房に突っ込んだ、それだけだ。
っても割り切れるもんじゃねぇから相手の運転手の顔が歪むまでぶん殴ったし、相手もそれを受け入れてた。惨めだったよ、悔しかった。……八つ当たりしか出来なかった」
静かな語り口だけど、その声に込められている無力感と慙愧の念を確かに僕は感じ取った。きっと店長はまだ、変わらず欠片も衰えず、その奥さんを愛しているから。
「慰謝料と保険で借金はきれいさっぱり無くなったが、何も出来なかった。一日中店で呆けて、女房の後を追うことだけ考えてた。けどな、俺が死んだらこの店はどうなる。
この店は女房の命だ。この場所は女房の思い出だ。そんなもん、亡くす訳にゃいかんだろ。
竜胆、身元も無いお前を働かせたのは、お前の境遇に自分と女房の面影を見たんだよ。まさか女房の命日に居なくなるとは思ってもみなかったがな」
その言葉を聞いて、僕が最後に働いた日の事をふと思い出した。確かあの日は、昼過ぎで店を閉じるからといつもより早く店を閉めたんだ。用事があるって言って。それってまさか……
「あの日言ってた用事って……」
「墓参りだ。命日だったよ、あの日が」
僕と店長の間に沈黙が横たわる。
聞いたときはただの心配で、お節介だった。けど、店長の話を聞いた今、とてもこの店を離れて別の所でまた店を構えればいいなんて言えない。
沈黙を先に破ったのは店長だった。後頭部をガシガシとかきながら、少しばつが悪そうに言う。
「……まぁ、俺はこの街を、いや、この店を死んでも離れるつもりはねぇ。そういうこった」
「そう、ですか。そうですよね」
「竜胆。人には“命より大切なもの”ってのは確かにある。自分の命を粗末にしろってことじゃねぇ、自分を最大限大切にして、それでも命を賭けてでもやらなきゃいけねえ事がある。それが男ってもんだ。……って悪い、女のお前にこんな話しても仕方ねぇな。
まあ要するに、ただの意地だよ」
懐かしい店を出ると、辺りは少し暗くなり始めていた。思ったより長居してしまっていたようだ。そろそろ店を開かないといけない時間も近づいているだろう。
「店長、ありがとうございました。あと、ごはん美味しかったです」
「そうかい。腹減ったらまた来な。まかない程度で良けりゃ食わせてやるよ」
「ごちそうさまでした」
何度かお辞儀をして、僕は黄昏刻の街をアーニャ達が居る鉄橋の下の使われている様子の無い資材置き場へ向かう。……店長の話を頭の中で何度も反復しながら。
(4ヵ月保った。あと、何ヵ月こんな日が保つんだ……)
今の均衡はかなり危うい。普通の人間で勝てるのは恐らく中級クラスまでだろう。幸いまだそれ以上の魔獣たちは現れていない。けど、現れない保証はどこにもない。……いや、既に一度上級より上の“名付き”の魔獣が現れているんだ、その日はいつか必ず訪れる。その時僕は、戦えるのだろうか?立ち向かう事が出来るのだろうか?
……命を、賭ける事が出来るのだろうか。




