第六十七話
冷え込む町の中を僕は重い足取りで歩む。周りの人たちはコートを着込み、マフラーや手袋で寒さを凌ぐ中で、夏と変わらない服装をしている僕が異様に映るのだろう、驚いたような視線を向けながらも、見ず知らずの子供に時間を割く余裕は無いのか、そのまま訝しげに見ながらも立ち去っていく。クリスマスまではまだ数週間あるものの、既に町中はクリスマスモードになっていて、ジングルベルのメロディやサンタクロースの装飾、仮装があふれている。
今までと同じような光景。だけど、今までとは違う光景。クリスマスモードになっている街並みはそのほとんどが疎らで、シャッターが閉まり無人となった建物も少なくは無い。街を歩く人たちも、例年ならまっすぐ歩くのすら困難になりそうなほどの人数だったのに、今はスカスカでぶつかったりすることは無い。
……魔獣の存在は出現の回数を重ねるたびに、ある事が周知となっていく。それは出現場所が日本の首都である東京付近という事だ。ニュースになったものだけでも数えれば10回弱。それが全て東京という一都市、或いはその付近で発生しているとなれば、一般の人たちがするべき行動は単純だ。
――東京を離れればいい。
数カ月もした頃には、かなり多くの人たちが東京を離れ、一番人口が多い県から一転、今現在確実に日本で人口が少ない県はここだろう。かといって全ての人が此処を離れる事が出来た訳ではない。仕事の関係、あるいは手続きの関係、受け入れ先の関係。そして被害者の数は魔獣の出現の度に増えているけれど、今までに現れた魔獣は下位魔獣だけだ。武器があれば種によっては大人でも勝てるものもいるし、その殆どがすぐに自衛隊や愛緋ちゃん、エランティスに駆除されている。「自分は大丈夫だろう」という根拠のない自信が行動を鈍らせている人が多いのも事実だ。実際、今の所被害者の数は交通事故の死者と大差ない数字だ。そう思う気持ちも分からなくはない。
「君、君、そんな恰好で寒くないの?」
「見てるこっちがさみーよ。一緒に暖かいとこいかね?」
そして、これは急激に人が減った弊害の一つ。残された物を漁る火事場泥棒や街をわが物顔で歩くアウトローなものたち、その割合が確実に増えている。
今僕を取り囲むようにしているのは、端的に言えばチンピラと呼ばれる数人の男達。だらしない服装と派手な装飾で身を包んだ男達だ。その欲望とに染まった目がやけにデジャブと嫌悪感を誘う。
彼らの言葉で自分がどのような姿か見直す。短めのプリーツスカートとヨレヨレのシャツ、靴下は履いておらず、足元はぼろぼろのスニーカーだけ。秋どころか夏用の装いだ。確かに見ているだけで凍えそうだけど、“魔女”であるこの身体は一定以上の寒さは感じない。日々の食事すら困難な僕たちに、新しい服を買う余裕は全く無く、必要に駆られない以上買い替えるつもりもない。
「おーい、聞いてんの?シカト?」
世知辛さにあれこれ考えていると、しびれを切らしたのか一人の男が苛立った様子で睨みつけてくる。普通の少女なら怯えの一つでもするんだろうけれど、僕にそれに恐怖する程の純粋さは残っておらず、無感情に視線を返す。……目があった青年の表情に不気味なものを見るような怯えの感情が混じったのは多分、気のせいじゃない。
「……ごめんね、考え事してて」
「おっ、声も可愛いじゃん。カラオケ行って一緒に暖まろうぜ?」
その事に苦笑しつつも返事を返すと、他の男たちは先ほどまでの苛立ちをあっさりと吹き飛ばし、再び下卑た笑みを浮かべながら馴れ馴れしく話しかけてくる。
「寒暖には強いからそれ程寒くは無いかな、あとカラオケは好きじゃないから行かないよ」
「んな連れない事言わないでさぁ」
言葉を続けようとする男達の眼前に手を向けると、彼等は何事かとその手に意識を移す。
「悪い事は言わないから、早くこの街から離れた方がいいよ?でないと……」
「あん?」
「死んじゃうかもね」
その言葉と共に僕は、向かってくる光を少しだけ"弾く"。キラリ、とした眩しさに彼等が一瞬だけ瞬きをした間に、その場から跳ぶ。
「あれ、あいつ、どこ行った?」
「え?さっきまで此処に……」
彼等にとっては瞬きの間に消えたように見えただろう。慌てたように周囲を見回し、何かを叫んでいる様子を僕は数十メートル上から見下ろす。しばらくの間辺りを捜索していた彼らも遂には諦めたのか、恐らく悪態を付きながら立ち去っていく。
あ、路端にあるゴミ箱蹴った。ガラが悪いなぁ。
(流石にここまで高いと少し寒い。でも……)
僕が逃げ込んだ場所は高層ビルの屋上だ。身体強化と斥力で一発で飛び上がったその先は、恐らく点検以外で登る様にはされていないのか、最低限の転落防止措置と室外機が並んでいた。
殺風景な視界も、振り返れば突然鮮やかになる。辺りでも比較的高い建物だったのか、やや下の方に輝く光景は様々な色の光が輝く夜景だった。キラキラと光り輝くそれら全てが人の営みの証だ。
「きれい……」
誰も聞く相手が居ないのに思わず呟いてしまう。栗色の長髪が夜風に吹かれて勢いよく靡くのをそっと手で押さえながら、僕は手摺の上に座りこむ。ひんやりとした感触がおしりに伝わるけど、あまり気にならない程度だ。
「――此処は汝等の触れてよい夢に非らず」
僕はぽつりと、“誰我接触不叶”の詠唱の一説を呟く。それはティアナちゃんが思った願いの証。誰にも穢してほしくない、触れてほしくない聖域への渇望。それは彼女にとっては孤児院替わりだったあの教会で、僕にとってはこの街だった。
異世界、魔獣、そして……魔女。そんなものはこの街にとって異物だ。あってはならないもので、あれば周りを傷つけ壊してしまう悪性腫瘍。それは僕自身も例外じゃない。
……当たり前か。よく考えたら僕は人を一人殺している犯罪者だ。今更帰る場所があるはずも無い。
落ち込んで視線を落としたら、さっきの男たちが今度は別の女性グループに声を掛けているのが見える。上から見る様子では押しの強い男たちに、女性達はそこまで気が強く無いのか困ったようにしている。
(……少し、痛い目見た方がいいかな)
視線を眼前に集中させる。ビーダマサイズの黒い球体が計4つ、ふわりと現れる。女性に絡んでいる男たちと同じ数だ。
魔獣と闘えなくなりアーニャとの特訓も出来なくなった僕は、代わりにこの数ヶ月、魔法や術式の調整の訓練をしていた。本来であれば数十年かかる練習が必要な術式の組み立ても、ティアナちゃんの身体か記憶のおかげで、この数ヶ月で少しは形になっていた。
正攻法で愛緋ちゃんに勝てるとは思えない、だから意表を突いた一撃を加える必要があった。これはそのために組み上げた術式の一つ。
死なない程度に調整した斥力を込めて、と……
「絶音・天泣」
術式の始動キーを唱えた瞬間、黒い球体はキュリッという音を鳴らしながら米粒大まで縮まり、音も無く男たちに向かって降り注ぐ。
吸い込まれるようにその頭上まで降り……パンッ、と弾けた。男たちにとっては唐突にバットで殴られたかのような衝撃があったのだろう。威力の調整は上手くいったのか、全員が地面を転げまわる羽目になっている。女の子達は……混乱していたようだけど無事に逃げれたみたいだ。
「……はぁ」
ため息が漏れる。あのまま行けば彼らに乱暴された可能性が少なくないと言え、彼らを強く責める気にはなれなかった。
――魔導に触れたものは遅かれ早かれ、皆気が狂う。それは比喩でもなんでもない、一つの事実。
嘲るような声色の、“前知の魔女”の言葉がよみがえる。
――身に覚えはない?どうしてこんなに好かれるんだろう。どうしてこんなに憎まれるんだろう。どうしてこんなに襲われるんだろう、って。
そう、“魔力”は人を狂わせる。その事は、事実だった。アーニャとエランティスも認識していた事実。本来はゆっくりと何年もかけて精神を蝕むものらしいけど、魔力というものに慣れていないこちらの世界の人たちは“当てられやすい”ようだ。あまり他の人間と関わり合いを持たなかった彼等は、この事に気付く事ができなかったみたいだった。
ぐるぐるとこの半年……いや、僕がこの姿になってから数ヶ月の間の思い出が蘇る。
女の子の身体になって混乱している僕を支えてくれたバイト青年。
身元不明の僕を雇ってくれた店長。
友達と言ってくれた綾。
あるはずもない身元を懸命に探して、助けてくれようとした朝日さん。
お世話になった人達の記憶が次々と思い浮かぶ。ひとつの疑念と共に。
――彼らを狂わせたのは……貴女よ。
……うるさい。
やけに頭の中に響くその言葉は、まるで今言われたかのような鮮明さを持っていた。
◆◇◆◇◆◇
「……悠はどうしたの?」
「散策、だそうだ。心配は無いだろう」
変わらぬ純白の毛をまとうエランティスと、悠と同様少し草臥れた衣服と酷い隈を浮かべたアーニャは、互いに視線を交わさずに言葉のみを交わす。
「そう。……その様子だと、やっぱり駄目だったみたいね」
アーニャは不機嫌そうな様子のエランティスを見て、今更分かりきったことを確認する。論ずるまでもなく悠の現状に対することだった。
「……恐怖を増幅させる“呪い”は解ける気配は無い。
立ち直るのは、不可能だな」
「……そう」
“呪い”
魔術においては恒常的な手段の一つだ。対象を念と魔力を持って弱体化させる、有り触れた手段。
そして愛緋によって悠に掛けられた呪いは、エランティスの語る通り恐怖という感情を増幅させるもの。魔法を剥がれ、痛み付けられた事で悠の心には深い傷が刻まれている。敵と相対した時という条件で発動する呪い。
悲しそうに眼を伏せるアーニャだが、エランティスはその表情に悲哀とは別の感情が込められている事に気付く。
「……安堵、か?」
「そんな事ッ……いえ、そうね、多分私は今、ちょっと安心した」
指摘され、慌てて否定しようとするアーニャだが、途中でその言葉を撤回する。悠の事が心配だったが、それ以上に今、これ以上悠を巻き込み、戦わせずに済むのではという気持ちが強かった。巻き込んでおいてどの口でと思いもあるが、紛れも無い本当の気持ちで、エランティスには筒抜けであろう気持ち。
「そうか。……我もだよ」
「意外。貴方がそんな事口にするなんて」
アーニャは少し目を見開いてエランティスを見る。エランティスが自身に向かって弱音を吐いた事は恐らく初めてで、意地っ張りの彼がそれを認めるとは思わなかったからだ。
「そうだな、自分でもそう思うよ。
竜胆悠をこれ以上巻き込みたくない、そう思っている。我ながら甘くなったものだ。
……なぁ、アーニャ・ガランサス」
「なに?エランティス」
その時、アーニャはエランティスの瞳に狂気の色を見る。
そこに鈍く輝くのは、拭えぬ憎悪の光。醒めぬ悪夢の光。
「よもや貴様、この程度の事で諦めるなどと言わぬよな」
それは”界渡り”を止め、”九尾の”に復讐を果たす事。勝ち目の欠片すら見出す事さえ困難な状況で、エランティスに諦めるという選択肢は無かった。
竜胆悠をこれ以上巻き込みたくない。ならば、巻き込まねばいい。それにより僅かな勝ち目が更に遠ざかろうとも、それは彼が諦める理由にはならない。
「愚問ね。それこそ、まさかよ」
その光は等しく、アーニャの瞳にもある。
『狂っている、正気の沙汰ではない』と、“前知の魔女”は彼らを称した。その言葉の通り、彼らは憎悪と復讐に狂っている。それは“拒絶の魔女”ティアナ・ブリュゲルが殺された時からずっと消えず、掠れもしない彼らの原動力。そう、原動力だ。それが無ければ彼らは歩むことが出来ない、生きることが出来ない。例えその先に待ち受けるものが“死”しか無くとも。断崖に向けて歩み続けるその姿を称するのに“狂人”以外相応しい言葉は無いだろう。
――魔術に、そして魔法に触れたものは遅かれ早かれ、皆狂気に蝕まれる。
故に此処に正常なものは在らず。
狂人の妄執は未だ潰えず、ただひたすらに回り続ける。
ぐるぐる、ぐるぐると。
「くふ、ふふふ、くくくくく」
――それを眺め、未来を見通す毒蛇は喜悦に顔を歪ませる。ああ、なんて甘い蜜の詰まった果実でしょうと、蛇は嘲い続ける。
この危うい均衡が崩れるまで、あと僅か。
遂に3ヶ月更新されてませんの文字が……
お待たせしました……




