第六十三話
――警察署内部。エランティスと“前知の魔女”の戦場となった其処は、既に建物の体裁を保っておらず、凄惨たる状況となっていた。窓ガラスは全て割れ落ち、足の踏み場すらなく地面に散乱している。床や壁にはエランティスの魔術により大穴が空き、ともすれば建物ごと崩れ落ちてもおかしくない状況だ。
「ガアアッ!」
しかし戦いは続いている。エランティスの咆哮と共に竜巻の如く“嵐”が発生し、その渦に巻き込まれたものが塵と化し、分解され、壁面に新たな大穴が開けられる。尤も、その塵と化したものに標的である“前知の魔女”は含まれてはいなかったが。
「あはは、焦っているの?焦るわよね!界渡りの相手にあの二人でどこまで抵抗できるかわからないものねぇ!」
「……忌々しい毒蛇めが」
苦虫を噛み潰した表情のエランティスと対照的に、前知の魔女の機嫌はすこぶる良い。その嬉々とした表情が、彼を更にイラつかせた。
「うふ、ふふふ、私の魔法が切れるまでこうしているつもり?それまであの子達が保つかしらねぇ」
しかし、どれ程口惜しくともこの魔女の裏をかくことは不可能だ。エランティス自身、前知の魔法のその仔細までは把握していないが、ある程度の察しはついている。その魔法の前では、恐らくこちらの出方は全て相手の予想の範囲内で、更にそれに対して何らかの対策を持っているのだろう。
だからと言って手を抜くことは出来ない。竜胆 悠、アーニャ・ガランサスの二人が闘っている相手、それが本当に『千年級』で、本当に“界渡りの魔女”であったならば、そしてそいつがこちらに敵意を持っているなら――
最悪の展開が起こる。血まみれで横たわる悠とアーニャの姿を想像して、エランティスの頬を嫌な汗が一筋伝う。更に言うならば、“手を抜くことが予知の範囲内で、それによって後悔させるという可能性”が拭えない。
「ォ……ォォオオオオオオ――――ッ!!!!」
その予感を振り切るようにして、先ほどまでとは比較にならぬ巨大な竜巻が発生する。それも一つや二つではなく、巨大な吹き抜けの室内の四方それぞれに。
「塵と消えろッッッ!!」
巨大な四つの竜巻は、意思を持つかのように包囲を狭め、前知の魔女に迫り来る。逃げ場のない破壊の嵐。巻き込まれれば障壁ごとバラバラに分解されるであろうソレを、前知の魔女は針の隙間を通すようにかろうじて躱していく。しかし、流石に先程までと同様に無傷とは行かないのか、巻き込まれた衣服や、僅かに触れた肌をズタズタに引き裂いている。
間髪入れずに次の攻勢に移ろうとしたエランティスだが、それより早く、既に前知の魔女は離脱の体制に入っていた。
「……足止めは十分かしらね。これ以上まともに戦えば私が危ないし。効果としては十分でしょう」
少しだけ口惜しそうな様子で呟く。しかしすぐにその表情を満面の笑みへと変え、エランティスを嘲笑する。
「アハハ、悔しい?ねぇ、悔しい?結局貴方達は“九尾の”どころか、“界渡りの”すら超えることが出来ない!
……まぁ、そんな事は分かりきった事だったわね」
「……貴様」
ギリ、とエランティスの鉄板すら噛み千切る牙が軋み、憎悪に燃える瞳が前知の魔女を睨みつける。
「さようなら、エランティス。貴方の望みはここで潰える」
エランティスの殺気と視線を軽く受け流した、いや、むしろそれを心地良さそうに受けた前知の魔女は、転移の魔術を使い、姿をくらませる。
――いっそ探査の魔術で“前知の”を追い、滅そうか。そのような考えがエランティスの頭をよぎる。だが、それは悪手だ。まぎれも無い愚行で、アーニャの、悠の、ティアナの願いを不意にする行動だ。今最も優先すべきはアーニャと悠の救出であって、前知の魔女と戦う事ではない。どうやら二人とも魔法を展開しているらしく、悠の所在は分からないが、アーニャの魔力を探査魔術が拾っている。つまりは、二人ともまだ生きている。
「ええい、忌々しいッ!」
エランティスはそう叫ぶと、身体を大型犬程度のサイズに変化させ、駆け出す。蹴りだす脚に“嵐”が纏わりつき床、タイル、石畳、アスファルトを粉砕しながら、まさに風のように疾やく。
だが、エランティスは気付いていた。いや、知らしめられていた。前知の魔女の余裕のその意味を。
――手遅れだ。前知の魔女はこちらの予知を完全に凌駕していた。つまり、今回の襲撃は総てあの悪辣な蛇を思わせる女の手の上だ。故にエランティスが前知の魔女を滅ぼす事が出来る道理が無く。……悠とアーニャが助かる道理も無い。
「……クソッ!!」
だが、まだ生きている。可能性はある。ならば諦めるわけにはいかぬだろうと、悪態と共に纏う“嵐”の量を増やす。速度は更にあがるが、周囲へまき散らす破壊と、自身に掛かる負担が比例して増大する。しかしそんな事は構わぬ、早く、もっと早く―― もう、あのような思いは二度としたくないのだから。
◆◇◆◇◆◇
「……てぇリャァッ!!」
眼前の牛頭の魔獣に向かい足を大きく振り上げ、そしてそれに全力の斥力をこめて振り下ろす。通常であればその魔獣も素直に食らうことは無い大ぶりな攻撃だ。だけど、その牛頭の魔獣の足には光で出来た剣、アーニャの攻撃によって地面に打ち付けられている。躱すことは不可能、だったらその魔獣に取れる選択肢は防御だ。腕を交差させて頭上に掲げ、僕のかかと落としを受け止めようとする。けれども、それは叶わない。バキバキと歪な鈍音を立てながら、その牛頭の腕が、骨がひしゃげて曲がる。受け止める腕が無くなればその先は防御しようとしていた頭だ。僕は受け止めるものをすべて失った牛頭の魔獣の、その特徴的な頭を脳天から躊躇なく叩き潰した。
地面がメキリとひび割れる程の圧力を受け、腕と頭と、胸から上を喪った牛頭だった魔獣は倒れ、ビクビクとわずかな痙攣の後、完全に沈黙する。
そして、それを最後に僕とアーニャ、そして愛緋ちゃん以外の動くものはすべて無くなった。どうやらさっきの魔獣が最後の一匹だったようだ。奇襲が無いかしばらく警戒するものの、どうやらそれらは完全に沈黙を保っている。数秒して、アーニャがため息の様に息を大きく吐き出す。それは相手を完全に倒した事を意味している。
「っはぁ……悠、大丈夫?」
「ッ、ハッ、ハッ……ハァ…… なん、とか……」
荒く息をつきながらアーニャの問いに答える。と言っても、やせ我慢だ。心臓はバクバクと跳ね、肺が酸素が足りないと悲鳴を上げている。あぁ、しんどい……。“誰我接触不叶”のおかげで僕自身には傷一つどころか、汚れ一つない。けど、体力は別だ。僕は基本的に魔法を込めたパンチやキックのような肉弾戦が攻撃手段だ。拒絶の魔法や身体強化の魔術で威力は必殺のものでも、それを振るう僕の身体は殆ど人間と変わらない。体力はティアナちゃん基準で、この身体はそこまで
鍛えられていないんだ。体力不足だけは如何ともしようがない。
「凄い、ね。上級の魔獣50体程度じゃ、話にならない。
普通の『十年級』二人なら十分な量と質の筈なんだけど」
そんな僕達を感心したように眺める愛緋ちゃん。その普段通りの姿は魔法をつかって消耗したという様子は無く、むしろ余裕さえ感じられる。あぁ、くそっ、まだボスが残ってるんだよなぁ…… ラスボスである愛緋ちゃんは冷静にこちらの戦力を分析している。さっきよりもさらに辛い戦いになりそうだ。
「お互いの存在が、魔法にブーストをかけてる?どんな原理かな?」
「っは、随分と饒舌になったわね、“界渡りの”。身を隠していた時と大違い」
アーニャのその言葉に少しだけ眉をひそめた愛緋ちゃんは、ぶっきらぼうに、そして突き離すように言い放つ。そして僕達は、その言葉の意味を一瞬、理解し損ねる。いや、正確に言うならば、理解したく、信じたくなかった。
「……別に。無駄話は止めて、次に行こうか」
……は、次?次ってなに?まさか――
そう、僕は何の確証もなくこれで終わりだと思っていた。あの50体の魔獣を倒せば、残るのは愛緋ちゃんだけだと。そんなはずが無かったんだ。だって彼女は、あの時……
『――取り敢えず、50程、行ってみようか?』
そう、言ったんだ。取り敢えずと、まず初めにと。つまりそれは次があるということで。
そして愛緋ちゃんが、消耗の激しい僕達にとって、絶望的で、残酷で、つまりは死刑宣告に等しい言葉を放つ。
「さぁ、次は、倍の100、行ってみようか」
「――なっ!!?」
「化け、ものめ」
百?100って言ったのか!?さっきのでも辛かったのに、その二倍だって?冗談じゃない!
「くっ、悠!私が時間を稼ぐので、悠は離脱を!」
アーニャの判断は早かった。選択したのは撤退。だけど、アーニャ、それは違う!
「そんな事、出来る訳ないだろ!むしろ離脱するのはアーニャだ!」
「何をバカな!」
「馬鹿はどっちだ。移動手段も連絡手段も無い僕を逃がしてどうするんだよ。足止めも、魔法が使える間は防御力が上の僕がやるべきだ」
そう、しんがりを務めるには僕の魔法の方が適しているんだ。防御に集中した僕を打ち破る程の火力は、おそらく愛緋ちゃんには無い。つまりは魔法の時間切れまではほぼ確実に時間を稼げるはずだ。それに離脱する方も、念話を使えるアーニャならエランティスと合流するのは容易だし、“天衣無縫乃理”の汎用性の高さなら、その後策も立てやすい。
「それは、そうですが……」
アーニャの言葉が詰まる。つまりは彼女自身、それを認めている。だから早く、と言う前に、愛緋ちゃんの言葉が割り込む。
「ごめんね、ユウさん。悪いけど、二人とも逃がすつもり、無いよ?」
ドーム状に僕達を囲むようにして再び門が開かれる。数えるのが億劫になる程の門は、成る程確かにざっと見る限り先程の2倍位はありそうだ。ゴクリと、喉がなる。これ程の数の魔獣と戦わないといけないのか……
「“誰我接触不叶”、確かに凄い魔法だね。私ですらこじ開けるの、かなり、苦労しそう。これでも“開錠”には自信あったんだけど。
だから、私が干渉するのは、周りの空間。もうここは私の世界。触れる事能わず、超える事能わず。逃げ場なんて、無いよ?」
……え?
「まさか……
斬り開け、『解放』!!」
戸惑う僕に引き換え、アーニャの行動は早かった。すぐに愛緋ちゃんの張った結界に、解鍵の属性を込めた魔法を叩き込む。一瞬、透明な結界が煌めいてその全貌が見えるも、すぐに元の透明な状態に戻っている。
「うそ、ビクともしてない。あんな一瞬で気配も無く、何て硬さの結界よ!?」
解鍵の属性を込めた魔法、それは本来なら普通の魔術で作られた結界なら確実にやぶる事が出来る。けど、どうやら愛緋ちゃんの結界は普通じゃない。そもそも最上級の空間の属性を操る魔女の結界が、普通であるはずがなかった。
「『解鍵』の属性も、あるの?二人揃って、本当、反則。でも、ここまでみたいだね。
じゃあ、そういうことで、二人とも、ごめんね?」
愛緋ちゃんの謝罪の言葉と共に、全ての門が開かれた。その全てから、不吉な気配が漏れ出している。……これが、殺気ってやつなのかな。それに気付いた瞬間、身体がブルリと震える。強く感じるのは恐怖。怖い、怖い。この先に待ち受けるものを想像するだけで腰が砕けてへたり込んでしまいそうだ。
「――――悠」
「えっ、あっ、はい!」
アーニャの言葉に、思わず上擦った返事を返す。そして、振り返ってアーニャの表情を見て、僕は悟る。あぁ、これは、この先は……
「……お願い、生き延びて」
「――っ、アーニャこそ」
この先は、負け戦だ。
アーニャの震える声が、悲痛な表情が、目元に溜まった涙が、それを物語る。
――そして、絶望へと向かう戦いが始まる。




