第六十二話
“界渡りの魔女”
その名が与えた衝撃は僕達には大きすぎた。
この世界とあちらの世界を繋ぐ魔法を持つ魔女で、その“門”をふさぐのが僕達の最終目標の一つで、そしてそれを成す為に乗り越えなければならない最大の障害の一つだ。それが向こうから現れた。そして、何より、それが愛緋ちゃんだった事が、僕には受け入れ難い事実だった。
「クッ……」
最初に自分を取り戻したのはアーニャだった。安全に詠唱を行うために周りに結界を張り、すぐに魔法の詠唱に移る。
「我は天衣無縫を纏うもの。
穢れを祓い、救いを齎す無垢なる使者。
あの日の救済を此処に。
此処は二度と戻らぬ曾ての望郷。
故に――“天衣無縫乃理”!!」
“救済の象徴へとなりたい”と願う祈りの言葉と共に、アーニャの服が継ぎ目一つ無い純白のワンピースへと変化し、その背に天使の羽が顕現する。臨戦態勢に入ったアーニャは、僕の前に愛緋ちゃんから護るようにして立ちはだかり、叫ぶ。
「悠も早く詠唱をッ!」
「でも、アーニャ、そんな」
それは愛緋ちゃんと戦うという事で。
もしかすれば、それは愛緋ちゃんに殺されるかもしれないという事で。
……もしかすれば、殺してしまうかもしれないという事だ。
背中を冷たいものが伝う感覚を覚える。脳裏に切り裂き魔の、“幸運の魔女”の死に顔が過ぎる。
「悠!!早くッ!」
「――ッ!!」
再び掛けられたアーニャからの叱責で、僕は歯ぎしりと共に嫌な想像を振り払う。そう、ここで僕が逡巡していても事態が好転する筈も無く、むしろ僕を護る為に気を配らなくてはならなくなり、アーニャの足を引いてしまう。アーニャを、エランティスを助けるって決めたんだ。足手まといになんてなっていられない!
「わ、我は触れられざるものッ。
嗚呼寄るな触るな近付くな。
あの日の慟哭を彼方へ。
此処は汝等の触れてよい夢に非らず。
故に――“誰我接触不叶”!」
そして僕の詠唱とタイミングを同じくして、愛緋ちゃんが詠唱を唱える。
「……我は境界を越え、見果てぬ世界を繋ぐもの。
門にして鍵、鍵にして門なるものよ。
今こそ開け、我が望むは未知の叙景。
此処ではない何処かへと誘い給え。
故に――“異界至無窮門”」
“異界至無窮門”、愛緋ちゃんは確かにその名と共に魔法を展開する。
詠唱の“祈り”に込められた情念は、渇望は、言わば“逃避”。
こんな場所は嫌だ。こんな世界は嫌だ。私が欲しいのはこんな世界じゃない。詠唱から感じられる思いはそういうものだ。そして、そのエゴによって生まれたのは、時空、次元を越える法。
静かに詠唱を終えた愛緋ちゃんの纏った“法衣”は漆黒の地に金色の装飾を散りばめられたヴェール、そしてその手に握られた銀色に輝く1メートル程の巨大な鍵だ。
「本当に、愛緋ちゃんが界渡りの魔女、なのか?」
「そうだよ、ユウさん。……こんな事になって、本当に、残念」
僕の問いに答えた愛緋ちゃんは、残念そうに、それが本当に無念であるように呟く。彼女にとってもこの自体は望まれたものでは無く、不本意なものであるという事だ。
「僕達を、騙してたのか?」
「そのつもりは無かったよ。今となっては、証明のしようもないけれど」
「じゃあどうして……ッ!」
どうして、前知の魔女に味方するんだ。どうして、僕達の前に、現れたんだ。どうして、どうして……そんな思いが頭の中でぐるぐると渦巻く。そんな精神状態で、思いの強さでその理の強さが変わる魔法を扱えるはずも無く……
「……ヒドい、ね?御使いの。私と、ユウさんが、話してる途中なのに」
「あら、棒立ちだから当てて欲しいのかと思っていたわ」
その瞬間、ガキンと言う鈍く、強く金属同士が叩きつけられ合う音が響く。アーニャが僕達の会話に割り込むようにして、金色に輝く剣で愛緋ちゃんに斬りかかったのだ。対する愛緋ちゃんはその手に持っていた銀色の巨大な鍵で難なく受け止めている。
そのまま睨み合いながら鍔迫り合いをしていたのは数秒のことか、弾き合う様にして2人は距離を取り、アーニャは僕のすぐ隣にフワリと着地した。
「……悠、ごめんなさい。あのままでは悠の方が飲まれそうと判断したので」
「僕の方こそゴメン。あと、ありがと」
アーニャが声を抑えながら呟いた言葉に、僕は首を振って答えながらも申し訳ない気分になる。魔法の強さは思いの強さ。あのままではやはり僕は足手まといだった。
あぁ、くそっ。自分が情けない。割り切ることが出来なくても、戦いは待ってくれないのに。
僕は頬を思いっきり二度叩く。ジンジンとした痛みが伝わり、目が覚めたような気分になる。そして、僕の気持ちが切り替わったのを確認したアーニャが、再び構える。
「言いたい事は後でゆっくりとしましょう。
アレを、叩きのめした後で!!」
「ああッ!」
気合を入れなおした返事と共に、身体強化の魔術を掛けながら僕は愛緋ちゃんに突進する。対する彼女のアクションは迎撃。愛緋ちゃんの周囲に数十の渦の様なものが漂い、彼女の号令と共に渦からマシンガンの様な密度の火球が連射される。
突進する相手に対する、面での制圧を重視した攻撃。確かにセオリーだけど……
「――!」
僕には、“誰我接触不叶”にはそのセオリーは通じない。火球の絨毯射撃にひるむ事無く突進し、触れるもの悉くを弾き飛ばす僕に、愛緋ちゃんは少なくない驚愕の表情を見せる。しかし、それを確認するや否や、彼女は次の手段に出る。――って、次のアクションに入る前のディレイが短すぎ!いつもの相手ならこのくらいの距離、次の手を打たれる前に肉薄できたのに!
次に現れたのは、先ほどとは比べ物にならない程巨大な、十メートル程の渦。そこから発射されたのは嘘みたいに巨大な氷柱。その巨体に光る文字の帯の様なものが大量に巻き付いている。魔術の知識のない僕にその術式の内容は分からないけれど、状況を垣間見れば込められたものは自ずと予測できる。『障壁突破』だろう。受ければ突破されることは無いにせよ、少なくとも僕の足は止まるだろう。そうすれば後は狙い撃ちの的だけど――
「させません。焼け落ちなさい、『白炎』」
後方で控えていたアーニャが氷柱に向かい、青白い炎を打ち出す。拳大程度のそれは氷柱の中に打ち込まれた次の瞬間、爆弾の様に弾け、その氷柱を粉々にしてしまう。
そして愛緋ちゃんが次の手段を講じる前に、僕は辿り着く。彼女の目の前、インファイトの間合いへと。
「……捕まえた」
「……ッ」
愛緋ちゃんの眼前まで接近した瞬間、初めて彼女と目が合う。今まで目元を覆っていた前髪の中から覗くのは、紅い、緋い、深紅の瞳、その目に僅かな動揺と寂寞を浮かべる。
その視線を振り払う様に僕は拳を突き出す。身体強化と斥力を込められた拳は、爆風めいた圧力を持ちながら愛緋ちゃんの腹部に迫る。直撃すれば即死はしなくとも、骨の数本と内臓を持って行ける一撃だろうけど、彼女が持つ鍵によってあえなく防がれる。冷静に考えると、女の子のお腹を本気で殴りに行くって精神的にキツイな!“幸運の”相手の時は僕も激昂してたから気にならなかったけど!
そんな僕の葛藤を知らず、アーニャから援護射撃が入る。光る剣、中空を浮くその多数の剣が、まるで意思を持っているかのように、僕の拳を防いで武器がふさがっている愛緋ちゃんに迫る。彼女はそれをチラと一瞥しただけですべてを把握したのか、剣の進行方向に渦が浮かび上がり、捕食を思わせる動きでその剣を掴みとり、飲み込んで消し去る。
続いて繰り出し続ける僕の拳を、愛緋ちゃんは難なく躱し、受け止め、受け流す。尤も、それは折り込み済みだ。素人丸出しの僕の攻撃なんて、よっぽど意表を突かない限りはかすりもしないだろう。
アーニャの援護射撃、いや、アーニャの“攻撃”が愛緋ちゃんを追い詰め始める。空から降る雷が、地面から突き上がる岩の槍が、僕ごと飲み込まんとする巨大な火球と吹雪が、彼女から少しずつ余裕を奪う。
「……絶対防御の、拒絶の魔法を持つユウさんが、前線で足止め。汎用性と、応用性が高い御使いのが、中距離からフォロー。
なるほど、良いチーム、だね?」
「お褒めに預かり、光栄ね」
愛緋ちゃんの冷静な分析に、軽口を返すアーニャ。
「でも、その程度で、何とかなるとでも?」
そう呟いたその瞬間、愛緋ちゃんの眼前に居る僕は見た。彼女の右腕が、肩から先が、消えた。
「ッ――、キャッ!?」
その結果は、後方十数メートル先に居たアーニャへの急襲。辛うじて盾を発生させたアーニャは直撃を免れたものの、その衝撃で地面に叩きつけられている。腕から先だけを転移させて、アーニャへと攻撃を加えたんだ。
「アーニャ!?」
「大丈夫です、問題ありません!――危ない、悠!!」
アーニャの叫びで慌てて振り向くと、そこには十分に術式と魔力を込めた鍵を振りかぶった愛緋ちゃんの姿。それはすぐにでも振り降ろされそうで、今の僕の体勢では避ける事は叶わない。
「しまっ……」
「ユウさん、前衛が余所見は、ダメだよ?」
振り降ろされる愛緋ちゃんの鍵に意識を向ける。大丈夫だ、信じろ。幸運の魔女の魔法ですら拒んだんだ。防げない筈はない!その想いに応えるように拒絶の魔法は鍵の接触を拒んだ。
だけど、僕自身への衝撃は魔法で防げても、周りは無理だ。愛緋ちゃんの『開錠』の術式を込められた衝撃は、ありとあらゆるものをこじ開ける。逸らされた衝撃はそのまま足元へと伝い、地面を、まるで薄紙を破るかのように裂き、開かれる。脳が揺さぶられる程の爆音と共に僕の周囲に巨大なクレーターが生まれた。
「……硬。ユウさんホントに『十年以下』?」
そのクレーターの中で傷一つない僕を、呆れたように見ながら愛緋ちゃんが呟く。その台詞、良く言われるよ。多分ティアナちゃんの補助があるおかげで、普通の同レベルの魔女よりも魔法が強固なんだろうけど。
当の僕は周りの惨状が恐ろしくてそれどころじゃない。まるで巨大な爆発の中心に晒された気分で、正直少し体が竦んだ。
「は、ハハ……殺すつもりじゃないって、これで?」
「大丈夫。即死しなければ」
「いや、まともに受けたら即死でしょ、コレ!?」
即死じゃなければって、地面パッカーって割れてるよ!?これ頭に受けたら、頭パッカーってなるよね!?
「悠、この実力差の前で、意外に神経図太いですね……」
大げさなリアクションを取る僕に、今度はアーニャが呆れたように見てくる。いや、でもこの状況、少しくらいテンパっても仕方ないよね?
……って、実力差?実戦経験に乏しい僕には、相手の力量をはかるという事が良くわからない。だから今の斬り合いでの印象は「アーニャへの急襲に気を付けないと」程度のものだ。けど、百戦錬磨であるアーニャの印象はどうやら違うようだ。しかもとびっきり悪い方に。
焦っている、それも尋常じゃなく。彼女は今の短い間に愛緋ちゃんの実力をある程度見抜いたらしく、そしてその結果は絶望的なものだと、そうその表情は物語っている。
「ねぇ、分かったでしょ?貴女達程度じゃ、私は倒せない。無駄な事は諦めて」
愛緋ちゃんからの降伏を促す言葉。だけど、僕たちはそれを受け入れることは出来ない。
「抜かしなさい。貴女の門から溢れるもので、どの程の人が不幸になると思って居るの」
「僕達の目的は“異界至無窮門”を閉じる事だ。
戦う必要なんてない。愛緋ちゃん、お願いだ、門を開くのを止めてくれ!」
そう、僕たちの目的は愛緋ちゃんを倒す事じゃない、“門”を止める事だ。愛緋ちゃんの性格は少なくとも人殺しを楽しむものじゃないし、人の死に心を痛める優しさも持っている。だったら、僕たちは戦わずに済むかもしれない。
「……それは無理、だよ」
だけど、返答は、拒否。
「どうしてっ!魔獣が現れれば無関係の人たちに被害が出るってわかってるだろ!?」
「……ユウさん、魔女のクラスを、どうして歳月で分けるか、知ってる?
魔法は、それを重ねるたび、強力に、巨大に、なっていくの。『千年級』クラスに、なるとね、漏れ出すようになるの」
「漏れ、出す?」
『十年以下』『十年級』『百年級』、そして『千年級』
魔女の階級を表す言葉だ。魔女は歳月を経る度にその魔法の理の深さを、強度を上げていく。『百年級』であるアーニャやティアナちゃんにあるのはそれまでだ。『千年級』には届かない。『千年級』を、知らない。
「『百年級』の、貴女なら、兆候は感じているでしょ、“御使いの”」
「…………」
「アー、ニャ。そうなの?」
「……そうですね。薄々は感じていました。
『逃避』が願いの“界渡りの”が、どうしてわざわざ居場所を知らせるような事をするのか。
それは法を展開してない時も、私の身体から漏れ出そうとしている魔法と関係があるんじゃないか――」
恐る恐るアーニャに尋ねれば、返ってくる言葉は肯定。言われてみれば確かにおかしな話だ。『こんな世界は嫌だ』、『平和な世界に行きたい』。そんな願いを持って魔女に至ったものが、どうして争いの火種を撒く必要がある?
「これは、私の意志で、止める事が、出来ない。私が無くならなければ、止まる事も無い」
「そして貴女はこの世界から動くつもりはないと?皮肉ね、争いが嫌だと逃げ出した貴女が争いを引き込んでいる」
そんな事は関係ない、とアーニャは斬って捨てる。確かに愛緋ちゃんが此処に留まり続けるのは彼女のエゴだ。愛緋ちゃんが元の世界に戻ればそれは収まる事で、それを拒んで起きた事象なら彼女の罪だ。
「……尻拭いはするよ。私は高位の予知、使えないから、完全じゃないけど……」
「じゃあ、犠牲になった人達は運が悪かったと?貴女が見つけ出すまでのその横暴を許容しろと?ふざけないで」
「……そうだね、仕方ない、かな。私は此処を離れるつもりはないから」
「愛緋ちゃん、どうしてそこまでこの世界に!」
どうしてそこまでこの世界に固執するんだ。確かにあちらの世界よりは平和かもしれない。特にこの日本という国は。だけど、それでも完全じゃない。あらゆる異世界に通じるという“異界至無窮門”ならば、もっと安全な世界が見つかるはずだろう。
しかし愛緋ちゃんの答えは黙秘。僕の問いに答える必要はないと口を噤む。その様子を見て、アーニャは諦めた様に言う。それは話し合いという道が断たれた事を意味していた。
「そう。なら此処で果てなさい、“界渡りの”!」
「……出来るとでも?」
「何年かけてでも」
アーニャの強い決意を込めた表情をしばらく見ていた愛緋ちゃんは、小さくため息をつく。
「……そう、でも、次の機会は、あげない。
安心して、殺しはしないよ。でも、ちょっと、だけ、痛めつけるね。二度と私に、刃向かう気が、しなくなる程には。
――取り敢えず、50程、行ってみようか?」
その言葉と共に現れたのは、愛緋ちゃんの言葉通り50個程度の門。まるで壁から扉と枠だけを取り外したかのような、歪なアーチ状の3m程の門。それが僕達の周囲を完全に包囲するように現れた。
それは今までで見てきた空間の穴のような門が、本当にただ漏れ出した残滓に過ぎない事を知らしめるに足る威圧感を放っている。
素人の僕でも分かる。あれは、マズい。
「開門」
けど、それに対応する時間はあまりに短かった。現れてから数秒を置くことなく、それは解放された。現れるのは魔獣。牛頭の、巨大な蛇の、百足を思わせる、様々で無秩序にかき集められた、魔獣の群れ。しかもそれら全てがかなりの威圧感を放ち、低位の魔獣で無い事は瞭然だ。
「――なッ、多っ」
「なんて数を……」
反射的にアーニャが数個の門に攻撃を与えるも、問題なく現れた魔獣達に、そして何より、その数と質に僕たちは驚愕する。
「……殺さない程度に、痛めつけて。
分かった?……じゃあ、往って」
愛緋ちゃんの号令と共に、総ての魔獣が嬉々として突進してくる。一つとして同じような出で立ちをしていない魔獣達の、共通した表情に身体が震える。アレ等に捕まると、どのような目に合うかはその表情を見れば想像に難くない。愛緋ちゃんの命令にどこまでの強制力があるかは分からないけれど、最低でもボロボロの雑巾位にはされてしまうだろう。
「悠ッ!背中は任せます!魔法を緩めないで!」
「う、うんっ!」
2対50。
それは今まで1対1でしか戦った事の無い僕にとって初めての集団戦となった。




