第六十話
「……なにを、しているの?」
「あ、アーニャ!?えっと、これはその……」
誰も来るはずの無い僕の秘密基地(無断借用)に音も無く現れたアーニャが、怪訝な表情と声色で尋ねてくるのを、僕は体をビクリと降るわせて、答える。いや、答えに詰まる。
今の僕の状態を説明するならば、ダンボールにくるまれながら、ぬいぐるみの様な子犬を力いっぱい抱きかかえて震える少女だ。エランティスのモフモフとした毛並は暖かいけど、夜風と川沿いの寒さを堪えるには、元々の体積が少なすぎて焼け石に水だった。
冷静になって自分を客観的に見るならば、今の自分の姿は何と言うか、色々とアレだ。犯罪の臭いがする。控え目に言って寒さに震える家出少女だ。
そんな訳で、アーニャになんと返そうか悩んでいる内に、呆れた様にエランティスが言葉をはさむ。
「……早く助けろ、“御使いの”」
「またその名で……。一体何があったの?」
二つ名で呼ばれて少しだけ不機嫌になったアーニャが、少しぶっきらぼうに、今度は僕ではなくエランティスに尋ねる。と言ってもエランティスも何故こんな仕打ちを受けているかの理由を隠してため息と共に答える。
「それは此奴に聞け。全く、訳が分からぬ」
口からは悪態を吐き出すものの、僕の手に刻まれた歯型と引き換えに無理矢理させた約束を守り、アーニャには弱音を吐いていたことを秘密にしてくれている。これは強がりや、痩せ我慢なんかじゃなく、僕に僅かに残された男の子としての矜持だ。
でもね、エランティス。確かに秘密にしてくれたのは嬉しいけど、丸投げは酷くないか?なんと返そうか考えていなかったから、みっともない程慌ててしまう。自業自得だけど。
「えっ、いや、そのぉ……」
折角エランティスが秘密にしてくれたのに、寂しかったからとも言える筈も無く――
「ちょっと、寒かった、から」
語尾が下がりながら呟く言葉を聞いたアーニャの表情を見て、僕は居たたまれなくなる。
そうだね、全く信じてないね、その顔。しかもあからさまに隠してるから、無理矢理聞き出すこともできないって表情だ。
「……そう?何かあったら言ってね?」
「はは、ありがと」
少しだけ間を置いて、諦めたようにそう言うアーニャに、乾いた笑いと共にお礼を言う。と、その時、アーニャがグイッと顔を近づけ、少しだけ怒ったように僕を問い詰める。
「でも悠、その姿はどうしたの?流石にそれは見過ごせないわ」
「その姿……?あー……」
アーニャに言われて自分の身格好を確認し、確かにこれはマズイと理解する。
髪の毛はここ数日はろくな手入れをせず、水で洗い流すだけしかしていなかったせいで、ゴワゴワになってしまい、毛先もかなり傷んでいる。
上着の方はシャツの腹部に開けられた穴が、水洗いの時や先日のホームレスに襲われた時に暴れたせいか、ほつれて広がってきており、脇腹の部分がチラリと覗いている。まともな洗濯もしていないせいでシワくちゃのヨレヨレなのも、一層みすぼらしさを醸し出している。
スカートも問題だ。先程資材に引っ掛けたせいで出来たスリットは思ったより重症で、座っている状態ではかなりめくれあがって、その、下着が見えてしまいそうだ。これ、走ったりしたら確実にアウトっぽい……
先ほど自分の事を家出少女の様だと思ったけど、これは家出と言うより事件に巻き込まれた少女だ。
「ちょっと今、替えの服とか無くて……」
「私の服を貸してあげたいけど、“前知の”に拠点を潰されたせいで衣類の類から何まで失ってしまったし……」
「えっ、そうなの!?じゃあ今何処に住んでるのさ?」
拠点を潰されたって、あの部屋を?“前知の魔女”の周到さに慄いてしまう。僕だけでなく、アーニャの住む場所まで奪っていただなんて。
「問題ありません、昔はよく野宿をしていましたし」
「アーニャ、それ威張って言えることじゃない」
……と言っても、それは仕方の無い事でもある。魔女の身体は言うなれば魔力の塊。どんな魔石よりも純度が高く、膨大な魔力を有した宝石だ。命の危険すらも投げ打って、魔獣や魔術師達は魔女の死体を得ようとする程の貴重な戦利品。だからこそ魔女は人里を離れたり、魔力を隠して人混みの中に潜む。そんな生活を続けてきたであろうアーニャが野宿を得意としても不思議ではない。
「それで、首尾の方は?」
エランティスにとっては興味の無い話だったのだろう。今まで黙って静かにしていたエランティスが焦れたようにして口を開く。僕とアーニャは悪戯が見つかった子供のようにビクリと震え、慌てる。どうにもエランティスに逆らえないのは、彼が保護者の様な立ち位置な所為だろうか。
「“前知の”の潜伏場所は見つけたわ。少々厄介な処ではあるのだけど」
「厄介だと?」
コホンと咳払いをしたアーニャが真剣な表情になり、ここ数日の調査結果を報告する。それにしても、厄介なところ?大抵のところは問題ないと思うんだけど。
「この世界の法治機関。世田警察署、と言ったかしら」
「けっ、警察……?」
問題ない、その言葉を僕はあっさり覆す。問題ないどころか大問題だ。警察署だって?あそこには武器があるし、ヒトも多い。そして何より、警察署に乗り込む事に元日本人の僕の精神は、猛烈な忌避感を主張している。
「ふむ…… 罠の可能性は?」
エランティスは場所自体にはさほど興味を示さず、突入時の注意点を確認している。
“前知の魔女”の予知の魔法を以てすれば、相手を罠を掛けるのは容易だ。拠点にしているからには平時でも進入の際は相当な準備と対策を施しているだろう。
「半々、とは言えないわね。罠の可能性の方が高いと思ってもらって構わないわ」
「誘い込みのつもりか?魔術の一つすら操れぬものをかき集めた所で役に立つとは思えぬが」
「居城にしている限りは、何か小細工はしているでしょうね」
平然と話を続ける二人に思わず尋ねてしまう。
「ふ、二人とも、警察署って……まさかそこに乗り込む気なの?」
「無論」
「他に手は無いわね」
即答ですか……
「そんな事したら、指名手配されたりするんじゃ……」
「と言うよりは、私と悠は既にされているようですね。全く、私はともかく、悠を犯罪者呼ばわりだなんて頭にきます」
「ッ、僕は、仕方ないよ……」
「……?どうしたの、悠?」
「…………」
アーニャの心配した声に、僕は言葉を返せずにいる。今の僕は殺人事件の容疑者…… 指名手配されていて当然だった。
どうやら自分で思っていた以上に、あの逮捕劇は心に負担を強いていたらしい。仕方ないと言いながらも、不安と恐怖で心の中がモヤモヤする。
「……それで、警察署にはどうやって潜入するの?」
「それは無論――」
◆◇◆◇◆◇
「真昼間に、正面玄関から堂々とって……正面突破にも程があるよ」
大胆不敵と言うべきか、考えなしと言うべきか…… 思わず呆れ声が漏れる。
今居る所は警察署の玄関ホール、時間の頃は正午前。最も人が多い時間で、最も人が集中している場所の一つだろう。
それに対して、アーニャとエランティスは特に疑問も無く、むしろ当然だという様子だ。
「“前知の”の魔法を前に小細工を労しても無駄だ。そのような事に意識を裂くよりも、愚直に目前の対処に集中した方が良い」
「それに予知系の魔術、魔法持ちとの戦いはどうしても消耗戦になりますから、私や悠の魔法も温存すべきでしょうね。悠は私から離れないようにして下さい」
……予知への対抗手段、それは獣が獲物を追い詰めるのに似ている。裏をかくのが不可能ならば、正面から真っ向に全ての妨害を叩き潰して、逃げる相手を逃げ場を失うまで追い詰める。単純だけど、ハッキリと言えば相当の戦力差が無ければ不可能だ。それだけに予知の魔術、魔法は厄介だと言える。
けど、同じく予知の属性を持つ天使の能力を扱えるアーニャのお陰でその難易度は幾分軽減される。予知と予知がぶつかればより強い力、或いは後出しが勝つ。前知の魔女の魔法を正面から潰す事は出来なくとも、発動までの間の予知を無効化出来れば、それだけ“詰み”までの妨害をすり抜ける事が出来る。
だからこそ、詰ます為の最後の戦力は温存しなければならず、今回、前知の魔女と会敵する迄の露払いをするのは……
「そういえば、エランティスが戦うの初めて見るような……」
そう、エランティスだ。今まで彼が戦えるのを知らなかった。最初に会った時からの小動物のイメージが強く、戦うとか全く想像も付かなかったけど、どうやら戦えるらしい。
「私や悠と違ってエランティスの魔力は有限ですから…… 燃費が悪すぎるせいなのもありますけど」
「だが、運よく“補充”出来た。これからは我も前線に出る事が出来る」
魔力の補充ってどうするんだろう?
「……いずれにせよ、此奴で最後だ。もう魂移しの魔術の為に温存する必要もない」
「え、何か言った?」
「いや、何でもない、気にするな」
ボソリとエランティスが呟いた言葉は良く聞こえ無かったけど、どうやら教えてくれるつもりは無いようだ。それよりも、気になるけど本人には聞きづらい事を、こっそりとアーニャに尋ねる。
「ふぅん? ……ねぇアーニャ、エランティスって強いの?」
「えっ…… あ、そうですね、強いですよ。今の私よりも」
「マジデ?」
アーニャの答えに思わず棒読みで返事をしてしまう。えっ、強いの?エランティス。だって、子犬だよ?下手すればぬいぐるみだよ?どう見ても強そうには見えないんだけど。
「……聞こえているぞ。まぁ良い機会だ。“拒絶の”の名を託された以上、無様な姿は見せぬよ」
自信満々な様子の腕の中のエランティスを見下ろす。ま、全く強そうに見えない。本人に言ったら怒るから言えないけど、どうみても愛玩動物なんだけど……
「申し訳ありません、建物内にペットの持ち込みは……」
と、その時、若い婦警がエランティスを抱き抱える僕を見咎め、声を掛ける。
……って、今なんて言った!?今さっき僕が心の中で少しだけ思って、絶対に口に出せない単語が聞こえた気がするんだけど!?
エランティスに声を掛ける前に、既に眼前の婦警さんはまるで糸の切れた人形の様に崩れ落ち、土下座をするような体勢でピクリともしない。い、生きてるよね?死んでないよね?
エランティスに“ペット”という単語は禁句、絶対のNGワードだ。初めてアーニャに会った時に彼女が言った時はケンカをはじめそうになっていたし、僕がポロッと零した時は多数の歯型と、通常より遥かにハードなトレーニングが待っていた。眼前の婦警さんも、おそらくエランティスの魔術で気絶させられたのだろう。……気絶だと信じよう。
「クッ、ククク…… 久方ぶりの“戦い”、血が騒ぐというものだ。
その手並、見せてもらうぞ“前知の”ッ!」
僕の腕の中からスルリと抜け出したエランティスは、地面にその脚で立ち、笑みを浮かべる。
その笑みは、心から闘争を楽しみ、心から今から流れる血を悦ぶ悪魔の笑み。
そしてその表情とこれから行う事から、かけ離れた言葉を、単語を、彼は呟く。しかし、それは彼にとっては矛盾しない。
何故なら彼にとって、ティアナちゃんの望みであった『異界へと渡るものの排除』こそが其れであって。
ティアナちゃんを殺した『“九尾の魔女”の復讐』こそが其れであるから。
「さぁ、正義を、始めようか」
――それこそエランティスの信奉する“正義”なのだから。




