第五十四話
「おじゃまします」
「朝日さんいらっしゃいー!」
「いらっしゃい。お久しぶりです」
後日アーニャに料理を食べさせてあげるという事で無理やり納得してもらい、迎えた翌日。約束通りの時間の五分前に現れた朝日さんを、綾は元気よく駆け寄りながら、僕はそれを苦笑しながら迎える。
「そうですね、学校の方は慣れましたか?」
「それが、数週間しか通ってないうえに今は夏休みに入ってしまったので、慣れたとは言えませんね」
「あぁ、中学校はもうそんな時期ですか。懐かしいです」
社会人にもなれば長期休暇なんてなかなか取れない。男だった頃も新社会人でしかなかった僕にあまり実感は無いけれど、朝日さんにとっては懐かしいものなのだろう。
「そう言えば、用件の方は何でしょう?」
「そう、ですね…… 少し時間が掛かりますがよろしいでしょうか?」
あれ、思ったより深刻な用事?だとしたらどうしようか。昼前だし、先にお昼にしようか?なんて事を考えていると、行動力のある綾が先に声をあげる。
「あ、それなら先にお昼にしましょーよ?うちと悠ちゃんでまた作ったんですよー。お昼まだですよね?」
「えぇまだですが、今日は御遠慮……」
「えっ……?」
「……いえ、いただきます」
綾、今のは結構ズルいなぁ。狙ってるわけじゃないだろうけど、そんな捨てられた子犬みたいな表情されて断れる人は少ないだろう。人の良い朝日さんには絶対に無理だ。まぁせっかく用意したんだし、断られたらかなりショックだ。ここは大人しく引き下がってもらおう。
それにしても、朝日さんの用事ってなんだろう?彼の様子は焦っているようにも、引き伸ばしているようにも見える、その何とも言えない違和感に僕は首を傾げる。
……まぁ心当たりが無い物をいくら考えても仕方が無い。今はしっかり料理を仕上げる事だけを考えようか。せっかく来てくれたんだし、失敗はしたくない。振る舞うならばベストな状態の料理を出すのが、それを食べる相手にも食材にも対する礼儀だと思うから。
◆◇◆◇◆◇
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「お粗末様でした」
「ごちそうさまー。うーん、やっぱり悠ちゃんの女子力には叶わないなぁ」
前回の様に3人で昼食を済ますと、綾がとんでもない事をのたまった。じょ、女子力?料理ができるようになったのは学生時代だし、その表現は凄く遺憾だ。そもそも自分の事を“僕”って言っている人間に女子力があるとは思えない。
「女子力……。僕にはそんなの無いって」
「いえ、竜胆さんは十分女性らしい魅力に溢れていると思いますよ」
グッ、思わぬ伏兵の会心の一撃に、僕は敢え無くダウンする。僕の言葉を謙遜だと受け取ったのか、そんな事は無いと言う朝日さんの言葉に僕の元男としてのプライドは貫かれ、飴細工の様にバラバラに砕け散る。
「悠ちゃん?」
「竜胆さん?」
「あ、あぁ、うん、二人とも、ありがとう……」
頭を抱える僕を心配しながら見る二人に、何とかそれだけを返す。
女子力…… 女性らしい、魅力……
僕っていったい……
「……竜胆さん、少し、場所を移しても宜しいですか?」
「あ、はい、大丈夫です」
食後の雑談が落ち着いてくると、朝日さんが徐に切り出す。ここでは出来ない話なのかな?一体何の話なんだろう。ちょっと不安になってきたじゃないか。
そこでふと食器の片付けを忘れている事を思い出し、テーブルに目を向けると、既に綾が食器を重ね始めていた。
「じゃあうち片づけしてるねー」
「あぁ、ごめん綾。手伝うよ」
「いいって、いいってー。朝日さん待たせたら悪いし。それに……」
そう言ってニヤ付きながら僕の耳元に口を寄せた綾が、小さな声にからかいと好奇心の色を付けながら囁く。
「朝日さん、もしかして告白してくるんじゃない?」
「ブッ」
その言葉を聞いた僕は、思わず噴出してしまう。
「人には聞かせれない内容、朝日さんの緊張した表情。
間違いないって!朝日さんが悠ちゃんの手を取って、こう……きゃー!」
言いながら自分で光景を想像したのか、頬に手を当てて嬉しそうな悲鳴をあげる綾。
おかげで僕も変な想像をしてしまう。キラキラと光るエフェクトを背に、朝日さんが僕に臭い台詞で告白している姿を。……無いって!こんな想像無いから!朝日さんがタキシードを着ているのも、僕の手をまるでダンスに誘うように掴んでいるのも、それを受ける頬を染めたドレス姿の僕も、想像の中だとしても有り得ない!どうなってるんだ僕の頭!
自分でもわかる程の熱を帯びた頬を誤魔化すように、大振りで手と顔を振って否定のリアクションを返す。尤も、ニヤニヤしている綾に通じそうにもないけど。
「朝日さんが?ナイナイ、有り得ないって。犯罪じゃんそれ」
「もー、悠ちゃん夢が無いなー!愛さえあれば問題ないって!」
愛があっても犯罪は犯罪です。青少年健全育成条例と児童福祉法違反です。いや、それ以前に……
「別に僕は朝日さんが好きなわけじゃ……」
「えー?でもまんざらでも無いでしょ?」
「いやっ、そんな事、無いし」
そんな事、無い筈。そう無いはずだ。
確かに朝日さんは確かに身長も高くて、かっこよくて、警察官のキャリアコースの将来有望格で、冷静で優しくて、人当たりもいい完璧超人だけど!
僕もかなり憧れているし、警察官のエピソードは面白くて、かっこいいなぁとは思ったけど……
だけど、僕は元々男だし!ティアナちゃんのトラウマのせいで、男に触れられると未だに少し悪寒がするし!男を好きになるはずが無いし!
「まぁまぁ、話だけでも聞いてきなよー。返事は後でって事にすればいいんだし」
頭で考えた言い訳を口に出す訳にもいかず、アワアワと狼狽える僕の様子をどう思ったのか、ニヤニヤを強めた綾に急かされる。
「そもそも、告白されるって決まってないし!」
そうだよ!そもそもこの呼び出しが告白とは限らない!
何とか引きずり出した言い訳だけど、綾には全く効いていない様子で、今度は僕の背中を押して、朝日さんが向かった方へとこの体を押し出していく。
「はいはいー。片づけはうちに任せて、行ってらっしゃいー」
「ちょっ、綾、押さないでって……」
分かった!行くから!大人しく行くから押さないで!こける!
「竜胆さん……」
「はっ、はいっ」
そして先に向かっていた朝日さんに追い付き、辿り着いたのは施設の裏手の、人目に付かない場所。 うぅ、告白とかするにはベストの場所じゃないか…… 綾の言葉のせいで、僕の意識はどうしてもそちらの方に向かってしまう。そんな事にヤキモキしていると、不意に僕の名前を呼びかけられて、思わず返事にどもってしまう。
「正直、貴女が15歳というのは自分ではあまり信じられません。その言動が、とても思春期の少女のものだとは思えないのです。だから私は、貴女に興味を持ちました」
「え、と……」
「警察署で見せた落ち着いた雰囲気、同年代の人たちを一歩引いてまるで見守る様に見る姿、今にして思えば、興味は好意に変わっていたのかもしれません」
うそ、本当に告白なのか?ちょっと待って、朝日さんって確か25歳でしょ?僕は肉体年齢的に言えば15歳程度だ。10歳も違うんだよ?いくらなんでも犯罪だって!えっと、えっと……
そして朝日さんが、致命的な言葉を口にする。
あぁ、多分これがきっかけ。
ここがターニングポイントで、引き返せない岐路。
僕は、普通には戻れないんだって、そう確信する転換点だ。
「だから私は、貴女が何故あのような事をしたのかが分からない」
「…………え?」
「竜胆悠さん、この男性に見覚えはありますか?」
「――ッ!?こいつ、は……」
浮ついた気持ちが、一瞬で冷やされる。
何故、忘れていたのだろうか。いや、本当は忘れた事なんて無かった。ただ、目を逸らしていたんだ。
僕は悪くないと。
あれは正当な行為だったのだと。
そんな事が、許される筈なんて無いのに。
罪は過去から追ってくる。それはまるで影の様に。離れる事無く。
「天野勇一。“切り裂き魔”と呼んだ方が通りが宜しいですかね。
原因不明の死を遂げた、連続通り魔殺人事件の容疑者。
……その様子ならば、ご存じのようですね」
「……ぁ、っ」
僕は口元を押さえて、数歩後ずさる。
先ほど食べた食事が、胃の中で暴れる。人間の腕をもぎ取った感触が蘇る。切り裂き魔の、最後の表情が蘇る。あぁ、そうだ、僕が殺したんだ。あの切り裂き魔を、僕自身の手で。そして、それを今まで心の隅に押しやって、隠して、目を逸らしていたんだ。
朝日さんが次の言葉を発しようとするのが見える。その発されるであろう言葉は容易く想定できる。
いやだ、いやだ、おねがい。その先を言わないで。
「竜胆悠、貴女をッ……
天野勇一殺害容疑で逮捕します」
そして今、罪は…… 僕に、追い付いた。
気持ち悪い。涙と吐き気を堪えるので精一杯だ。どうしよう、どうしようと答えの出ない疑問だけが頭の中で暴れまわる。
――逃げるべきか?
逃げるだけなら、魔法と身体強化の魔術を駆使すれば容易いだろう。だけど、もう二度と此処には戻れない。ずっと逃亡犯として逃げ続けるしかなくなる。
――捕まるべきか?
捕まったらどうなるのだろう?魔法の事がバレているなら一大事だ。アーニャにも追っ手が掛かる可能性がある。
僕は決めかねて、何よりも恐ろしくて身動き一つ出来ない。手錠を掛けようと近づく朝日さんを視界の端に移しながらも、今まさに膝から崩れ落ちようとしている僕の前に、一つの小さな人影が飛び込んでくる。
「そんなの嘘だよッ!」
「……芦屋さん?」
「綾……」
そう、綾だ。片づけが終わり僕の様子でもこっそり見に来て、そして今の会話を聞いていたのだろう、目には涙を浮かべながらも精いっぱいの怒りの表情で朝日さんを睨み付け、僕を庇うように立ち塞がっている。
「悠ちゃんがヒトゴロシなんてする訳ない!絶対人違いだよッ!!」
「……それは今から調べる事ですので。どいて下さい芦屋さん」
「いくら朝日さんでも、悠ちゃんは連れて行かせない。だって悠ちゃんは、うちの友達だから!!」
有無を言わせない朝日さんにも、一歩も引かない様子の綾。
そんな綾の姿を見て、僕は一つの決意を固める。
「……いいんだよ、綾」
「ゆう、ちゃん……?」
「ごめん、ありがと。綾のおかげで、本当に楽しかった」
「なん、で?何でそんなことを言うの?違うよね、おかしいのは朝日さんだよね?」
震える声で、それでも僕を信じてくれている綾。ありがとう、だけどごめん。
どんなに理由を取り繕っても人殺しは人殺しで、皆と相容れる筈が無くて。
「最初から分かってた筈なのに、魔女にこんな平穏なんて訪れる訳ないって、知っていた筈なのに」
「うそ、だよ、やめてよ、そんな事言わないで……」
「さよなら、綾。僕の事なんか早く忘れてしまってね」
「いっ、いやぁああぁぁぁぁ……!」
泣き崩れる綾の頭を一度だけ撫でた後、僕は自ら朝日さんの元へ歩み寄る。
「……行きましょうか、朝日さん」
「…………」
旭さんは無言で僕の手首に手錠を掛ける。ガチャリと、刑事ドラマの中でしか聞いたことが無かった音が響き、それがやけに他人事の様に感じる。未だに現実感が無い僕の能天気さに自嘲が漏れる。
朝日さんに連れられると、表には何台もの覆面パトカーと、緊張に顔を強張らせた数十人の警察官が並んでいた。彼等は皆一様に僕の一挙一動を警戒し、注意深く伺っている。
「例の少女は無事確保した模様。各自、警戒を怠らず署まで連行せよ」
「乗ってください」
朝日さんはそのまま一台のパトカーの扉を開け、僕に乗るように促す。特に抵抗する気もないので言われるがままに乗ると、周囲から安堵のため息が聞こえる。現実の逮捕劇なんて見た事が無いせいか、妙な違和感を感じるけど、こんなものなのだろうか。
パトカーがエンジン音と共に発進する。朝日さんと別の警官に挟まれるように後部座席に座った僕は、少しだけ振り向き、離れて、そして直ぐに見えなくなった施設の方を眺め続けた。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
車が発進して10分程経った後、僕はそれまで完全な沈黙を保っていた車内の静寂を破る。周囲の警察官がビクリと震え、僕の様子を注意深く観察しているのを肌で感じる。……彼らを見てから感じていた違和感。多分、僕を、怖がっている?
「どうして、僕が犯人だと思ったんです?自分で言うのも何ですが、あの状況、人間の力だけじゃ不可能だと思うんですが」
「……正直、私も初めは信じられませんでした。
人の身一つで人体を引き千切り、鉄筋コンクリートの柱や壁を破壊するなど」
「だったら、何故?」
「決め手となったのは一つの映像です。
貴女が隣町の駅前で、容易く鋼管を引き千切り、アスファルトを砕いている様子を映した映像」
隣町、つまりは幸運の魔女との戦いの時だ。確かにあの場にエランティスもアーニャも居なかった。つまりは人払いの結界も、姿隠しの隠蔽もされていなかったという事だ。そして、それは僕の魔法も彼等は見たという事になる。
「……そうですよ。僕があいつを、“切り裂き魔”を、殺した」
「何故ッ!何故、そんな事を……」
珍しく声を荒げる朝日さん。何故、何故か……
「……友達を、大切な人を殺されたんですよ。身元不明の僕を助けて、救ってくれた恩人。
許せなかった、ただ、それだけの理由です」
「貴女が手を汚す必要など……!」
「無かったと、本当に思ってますか?僕が戦っている映像を見たのなら分かりますよね。
あの切り裂き魔や、僕は、僕達はまともじゃない。普通じゃない。人間ですらない。――化け物なんだ。
そんな僕達の戦いに、普通の人間が入ってきて、どうするつもりだったんですか?
こんな――」
“手錠”なんかで化物を縛ろうだなんて考えてる人たちが――
その言葉と共に、手錠の鎖を引き千切る。
舞い散る鎖の欠片を見ながら、ふと僕の頭の中に数週間前エランティスの言った言葉がよみがえる。
――見失うなよ、竜胆悠。我等は元より“魔”のもの、あれらとは相容れぬ異物だ。汝がどのように日々を過ごそうと止めはせぬ、否定もせぬ。だが、努々それだけは忘れるな。
……引き込んだ当本人である我等の言えた義理では無いがな。
あぁくそっ、本当に全く、その通りだよエランティス。
確かに思ってしまっていた。綾や、皆が居る日常が暖かくて、居心地が良くて、僕はもう一度そこに居られるんじゃないかだなんて、そう思ってしまっていた。そんな事は在り得ないなんて、魔女になってすぐに思い知らされた筈なのに。
だけど、僕はこんな所で足止めされる訳にはいかない。
――アーニャと、エランティスを死なせないと誓った。
――“異界至無窮門”を閉じると決めた。
――ティアナちゃんの願いを叶えると、二人を絶対に護ると。
決めたんだ。誓ったんだ。だったらそれを、護りきってみせる。
「な……ッ……!?竜胆さん止めてください、これ以上は――」
「ヒッ……ウワァァアァァァ!!?」
「く、車を止めろ!急げッ!!殺されるぞッ!!」
容易く素手で手錠を引き千切った僕を見て、驚愕に朝日さんが声を上げる。そしてその言葉を遮るように、他の警察官達の悲鳴と絶叫が響き渡る。左隣の警官はまだ車は走行中だというのにドアを開こうとし、運転手はハンドルを切りながら急ブレーキをかけ、車体が滑り横転しそうになる。
ッ、いくらなんでも恐慌状態に陥り過ぎじゃないか!?確かに手錠を引き千切るなんて非現実的だけど、だからと言って大の大人がここまでパニックに陥るとは思えない。
「クッ、皆さん落ち着いてください!!彼女はこんな事で人を殺すような人ではありません!」
「五月蠅いッッ!!こ、のッ、化け物がぁァァアあああッ!!!」
「えっ、ちょっ、待……」
流石にこれは予想外だ!助手席に座っていた恰幅の良い、少し階級の高そうな警察官が立ち上がり、僕の眉間を目掛けて拳銃を構える。絶叫と共に突き付けられた拳銃を見ながら僕は焦燥する。魔法も無しに眉間に銃弾を食らえば、例え身体強化の魔術をかけていてもただでは済まない。
その警察官は死への恐怖が殺人を犯すという恐怖を上回っているのか、彼は躊躇いも無くその引き金を引きり、甲高い破裂音が車内に響き渡った。




