第二十四話
「いらっしゃいませー!」
僕は元気よく来店してきたサラリーマンであろう、スーツ姿の二人組のお客さんに挨拶をする。今はまさに、ランチタイムと呼ばれる時間で、このお店の一番の稼ぎ時の一つだ。そこまで大きな店ではないけど、流石にこの時間帯は忙しい。今迄店長一人でどうやって回していたのかと、疑問に思う程だ。
「ご注文お伺いしても宜しいでしょうか」
「んー、じゃあ俺はトンカツ定食で」
「俺も同じので。ところで店員さん?」
「はい、なんでしょう?」
「なんでこのメニュー表って一度塗りつぶしてあるの?」
その言葉を聞いた僕と店長は、ビクリとしてその動きを一瞬止める。尤も二人の間にある感情のニュアンスは全く正反対のものであったけれど。
「ハハ、なんででしょうね。ねぇ、店長?」
僕の有無を言わせぬプレッシャーをかけた微笑みに、何かを察したのか、二人組のサラリーマンは黙り込む。そして当の店長は大きい躰を、まるで狩られる羊の様に小さく丸くしながら俯いていた。あまりのしょうもないメニュー表を何度言っても一向に改善しない、と言うか面白いと本気で思っている様子の店長にブチ切れ……あ、いや、忠言を懇切丁寧に行った結果、書き換える事が出来たのだ。それからと言うもの多少評判が上向いたため、メニュー表の事については僕が主導権を握る事となった。常連のおじさんに握手をされながら感涙を流された辺り、よっぽどの頑固さが窺える。その姿を見た店長が余計に落ち込んだのは、視界に入ったけど気付いていないことにした。
その後も順調にお客さんを捌いていき、残すはあと一人。50歳くらいの中年のおじさんだけになった。そして今更ながらに気付くが、このおじさん、僕の事をじっと視ている。だが、そこに厭らしいものは全く含まれていない。寧ろ心の奥底まで透かし見るような、獲物を狩る鷹のような、油断の欠片も含まれていない洞察だ。この視線を受けるのならば、厭らしい目で視姦されている方が幾分もマシだと思うぐらい緊張してしまう視線。
失礼にも、早く帰らないかなとビクビクとしていると、ガタリと椅子を下げてそのおじさんが立ち上がる。思わず体がビクリと強張る。
「ごちそうさん、おあいそ頼むわ」
「は、はい、わかりました!」
その声を聴いた僕は、緊張半分安心半分と言った風で急いで会計を済ませる。
「それにしても嬢ちゃんちっこいな。ホントに働ける年齢なのか?」
「え、えぇと……」
またこの目だ。いくらかの魔獣の殺気に当てられて慣れてきた僕でも、この心を覗かれる様な視線は怖い。何というか、パニック映画的な怖さには慣れても、ジャパニーズホラーの様な心の底から湧き出るような恐怖を感じるようなものだ。心を覗かれると言うのは、正にそう言った潜在的恐怖を湧き立たせられるような気持ちになる。
「この嬢ちゃんは親戚の子だよ。寂れてるとは言え昼時と晩飯時は忙しいんでね。手伝って貰ってんだ。何か問題あったか?」
僕が怯えて若干涙目になってしまっているところに、店長からの助け舟が入る。しばらくの間店長とそのおじさんは、その鋭い眼光をぶつけ合っていたが、おじさんの方が先に折れたのか、苦笑とため息を漏らした後「……そうかい、それなら問題ねぇよ」と言って店から出て行った。
あぁ、怖かった……
「はぁ、何だったんだろ、今の人。凄い眼光だったなぁ」
「ありゃ確か世田警察署の警部さんだな。嘘言ってんのはバレてそうだが、見逃してくれたみてぇだな」
「けっ……!警部!?警察!!?」
どどど、どうしよう!これってヤバいんじゃないか!?家出した少女を匿った人間が、罪に問われたと言う事件を聞いたことがある気がする。自分の年齢は店長に明かしていないけど、明らかに未成年を親の同意も無しに労働させていたなんて、犯罪に問われるんじゃないだろうか!?
今更ながらに、この店長にどうしようもない位に迷惑をかけていることに気付いてしまった。
「えっと……えっと……ごめんなさい店長!いままでお世話になりま ふぎゃ!?」
僕の言葉は最後まで言い切る前に、店長からの脳天チョップにより遮られ、まるで尻尾を踏まれた猫の様な悲鳴が上がった。
「そん位覚悟の上だ。ガキが余計な事心配するんじゃねぇよ」
「いえ、でも……」
「あ゛?」
「あ、いえ、ごめんなさい。お世話になります……」
凄む店長の顔の恐ろしさに、反射的に返事を返してしまう。客商売に絶望的なまでに向いていない表情だ。さっきのおじさんと言い、この店長と言い、ぶっちゃけ魔獣より恐ろしいんじゃないかと思ってしまう。と言うかこの二人なら魔獣に勝ったとしても納得できてしまいそうだ。
「おつかれさん。ほれ、今日のバイト代と賄いだ」
「ありがとうございます」
その後は特に新たな来店も無く、最後に店内の掃除をしてお昼の営業は終了だ。お昼のバイトが終わった後、店長から郵便局の小さな封筒に入った給料と、お昼の材料の余りで造った賄いを受け取る。以前にも言った気がするが、センスと愛想は最悪でも、ここの料理はかなり美味しい。以前は栄養失調を心配していた程だったけれど、店長のバランスを考えた賄いにより、少し肉付きがよくなり、健康的と言っても問題ないくらいまでは回復していた。食べる物があると言うことが、こんなに素晴らしい事だなんてこの日本で思い知るとは思わなかった。
「あと、今日の夜は店開けねえから、来なくていいぞ」
「え、そうなんですか?」
今日は特に定休日では無かったはずだけど。
「ちょっとヤボ用でな」
「そうですか。わかりました」
暗に「聞くな」と言うニュアンスを感じたので、それ以上触れない事にした。何故かホッとした様子の店長を横目に見ながら、僕は賄いを食べ始める。うん、美味しい。
でも、そうすると昼からやる事無くなっちゃうな。どうしようか。
あぁ、そうだ。昨日のアーニャの言葉のおかげで、やらなきゃいけない事を思い出した。あそこへ行こうか。
◆◇◆◇◆◇
ナンパ――恋愛にうつつを抜かし、異性を追いかける態度を軟派と称し、それをカタカナ言葉にしたのが語源だ。現在では主に、街角等の公共の場で異性に声を掛ける行為をそう呼んでいる。
「ねぇねぇ君可愛いね。一緒に遊ばない?」
まぁ何が言いたいかと言うと、今僕はナンパされている最中だと言う事だ。相手は高校生になったばかりであろう少年。自分で染めたのか、ムラのある茶髪と少し着崩した服装をした、思春期特有の少し悪っぽさを気取った何処にでもいそうな少年だ。見た目は借り物の少女のものと言え、中身は22年程の年齢を重ねた男だ。主観的に言えば、本来の自分より一回り年下の少年たちに声を掛けられても、全く嬉しさとかは感じない。むしろ微笑ましさとやるせなさを感じる。
「ごめんなさい、忙しいので」
「そんな連れない事言わないでさぁ。ホントは暇なんでしょ?おごるよ?」
「間に合ってます。それでは、本当に忙しいので」
そう言って足を動かす。こういう手合いはまともに相手をしてはダメだ。片っ端から声を掛けて話を聞いてくれる子を狙うのだから。
「んだよ、連れねーな。しゃーねー、次だ次。あ、そこの君ー?」
予想通りあっさり諦めたのか、次のターゲットを見つけ、さっそく声を掛けていた。何処にでもいそうと思ったけど、そのバイタリティだけは尊敬できそうだ。
若いっていいなー。そんな事を考えながら僕は街を歩き進む。そう言えば“あいつ”もそう言ったバイタリティに長けていたのかな。あの少年と比べれば、同じチャラそうな見た目でも、中身の誠実さや優しさは比べ物にならないものだったけれど。
繁華街を抜け、丁度住宅地区と商業地区の境目になるであろう辺り、目的の場所の前に僕はたどり着く。先程までの耳に響くような街のざわめきや喧騒から切り離された静寂。ここでは誰もが静かに、穏やかに、或いは激しく死者を悼む場所。
「……葬式以来か。久しぶり」
僕はあのバイト青年の墓の前に立ち、その物言わぬ黒っぽい御影石に向かって僕は話しかける。以前なら聞こえてる筈もない、意味が無いと断じていただろう。だけど一度死んで蘇ったと言う今の僕なら、それが無駄ではないと思ってしまう。聞こえてるかもしれないのだと思ってしまうのだ。
「そう言えばさ、報告してなかったと思ってね。……仇は、討ったよ」
切裂き魔の悔恨にまみれた表情を思い出しながら僕は告げる。
「殺されちゃったお前に言うのもどうかと思うんだけどさ、何か後味悪いよ」
――墓石は何も答えない。
「そう言えば、さ。僕にも友達が出来たんだ。アーニャって言ってさ。凄い可愛い子しいい子だよ。凹み易くて結構めんどくさい性格だけどね」
――墓石は何も答えない。
「最近さ、思うんだ。心が段々女になって行ってるって。可愛い物が好きになってきたり、化粧やスキンケアに興味が出てきてさ。
だから、だからな。お前に絶対靡かないって言ってたの、取り消すよ。たぶんあのまま一緒に居たら惚れてた。
勿体ないよな。こんな美少女だぞ?それに惚れられる可能性を棒に振ったんだぞ?」
――墓石は何も……
「ざまぁ……、ないよ……、な……」
――墓石は、何も、答えなかった。
「……ありがと、な。さよなら」
それだけ告げると、僕は涙を拭ってから手を合わせ、数秒黙祷をする。そして振り返る事無く、墓場の出口へと向かった。
――それで僕の用事は終わりの筈だった。
出口へ向かってる間に、白いワンピースを着た、20歳位の女性が墓に手向けられた花を取り換えているのが見える。お盆は過ぎたとはいえ今は夏休みのシーズンだ。お墓参りをする人は少なくはないだろうけど、20歳位の女性が一人でお参りをするのは珍しい。真面目な子なのだろうかと思い、通り抜けざまにその横顔を覗き込む。
「はる……か……?」
その顔に見覚えがあった。女性らしい線の細い体格、少したれ目でおっとりとした印象を与える目、今時の大学生にしては大人しめの化粧で彩られた顔は、清楚な印象を受ける。どことなく男の時の僕に似た、けれども女らしさに溢れた顔立ち。忘れる事の出来ない顔。あたりまえだ。何年一緒に兄妹をしていたと思ってるんだ。
其処に居たのは竜胆悠の妹、竜胆遥だった。
「……?貴女も、お墓参りですか?」
僕の小さな呟きは、内容までは遥にはとどいていなかったのだろう。だが、何か言葉を発したのは気付いたのか、こちらを見やりそして少し逡巡したあと声を掛けてきた。
「え、えぇ、友達の、お墓参りです」
あまりの事態に頭の中までフリーズしていた僕だが、なんとか平静を取戻し、そう答える。
「……貴女、は?」
聞くべきか悩んだが、意を決して僕は遥にそう尋ねる。答えは分かり切っている残酷な質問を。
「私は兄の。交通事故で今月の頭に、ね」
「そう、でしたか」
それだけ言って二人とも押し黙る。当たり前だ。到底そこから話を膨らませるような話題でも無いし、膨らませたくもない。
「こんな話をごめんなさい」
「いえ、こちらこそすみませんでした…… 失礼します……」
先に謝ったのは遥の方だ。
先に逃げたのは僕の方だ。
僕はいったん墓地を出て、数十分程時間をつぶした後、再び僕は同じ墓地へ戻ってくる。少し遠くから覗いて、遥がもう居なくなったのを確認した後、先程と同じシチュエーションで僕は墓石の前に立つ。だが、今度はその墓石に刻まれた名前が違う。参るべき相手が違う。
『竜胆家乃墓』
墓石の中心には、そう、刻まれていた。
自分の墓参りをする羽目になるなんて。僕は心の中で呟き、苦笑する。何という偶然だろうか。たまたま友人と同じ墓地に、たまたま其れを墓参りしているタイミングで、遥が現れた。遥が居なければ、僕は自分の墓に気付くことなく通り過ぎていただろう。偶然にしては出来過ぎている。誰かが魔術的な手段で鉢合わせさせたのではないかと疑ってみるも、そんな事をするメリットが見当もつかない。
「祈るべき、なのかな」
今度は思わず言葉して呟く。
「竜胆悠は、死んだんだよな」
受け入れていなかった訳ではない。納得していなかった訳ではない。だけど、だからと言って実際に自分の死を、具体的な形で示されて、其れを「はい、そうですか」と納得できる筈が無いだろう。竜胆悠は死んだ。間違いなく死んだ。そして葬式や告別式は終わり、すべての人間の記憶の中から清算されたんだ。
それならば――
だとしたら――
「じゃあ、僕は、誰なんだろう……」
――それに答えるものは居らず。
――それに答えれるものもまた居なかった。




