第二十三話
「どうぞ。悠の分のパジャマです」
無事(?)アーニャの布団をクンクンとしていた事が不問になった後、スキンケアや歯磨きを終え、これからさぁ睡眠だと言う段階になって、手渡されたパジャマを見て僕は絶句する。今、僕が着ている服の殆どは今は亡き友人に貰った物だが、僕の趣向に合わせてくれたのか、カジュアルな服が多かった。どちらかと言えば“かわいい系”よりも“かっこいい系”のものだ。だが、僕が今この手に持っているパジャマはどうだろう。まず色が鮮やかなサーモンピンクを基調としたチェック柄。生地はフワフワモフモフで手触りは最高、恐らくは綿100%だろうか。チュニック丈で全体的にふんわりとした造りになっている。全力で可愛いらしいデザインだ。女物の服を着る事に抵抗が無くなって来ている僕だが、流石にこれは恥ずかしい。
「ぼ、僕にはちょっと可愛らし過ぎる様な……。他のパジャマとかは……」
「ありません」
間髪入れぬ即答。
「別にTシャツとかでも……」
「だめです」
刹那の早さの即答。むしろ速答。あ、アーニャさん……?
「悠はもっと可愛いデザインの服が似合うと思うんです」
ズイっと身を乗り出してキッパリと断言するアーニャ。あの、顔が、近いんですが。
「女の子ならオシャレは必要でしょう!ホントは私服とかも……」
「わ、分かった、分かったよ。着ます。着ますから」
「もう、どうしてそんなに渋々なの」
不満そうに頬を軽くふくらまして拗ねるアーニャ。このままだと私服まで全力で可愛らしいデザインにされかねないので、早めに妥協して話題を逸らすことにした。
(しかし、まさかこんなドピンクな服を着る日が来ようとは……)
男の頃は全く想像もしてなかった事だ。自分で着た事は無いが、男性向けのピンクのYシャツやズボンがある事は知っている。だが、パジャマとは言え全身ピンクの服を着る男は滅多にいないだろう。女として生きるしかないとは言え、せめて男であった頃の矜持だけは残しておきたいものだ。たとえ吹けば消える様なわずかなものでも。
「変、じゃないかな?」
受け取ったピンクのパジャマに袖を通した僕は、恐る恐るアーニャに尋ねて見る。アーニャと僕は体格が近い為サイズ自体は問題は無い。とはいえ若干大き目で、袖の指先まで隠れてしまうが。
「ばっちりです!」
僕の姿を見たアーニャは今までに見たことない程のいい笑顔でサムズアップをしていた。ちゃんと着た姿を見たいからと、僕が着替えている最中は楽しみにしながら、余所を見ていたらしい。あぁ、なんかこの子キャラ違わないか。
「ちょっと大きめのサイズなのが、またいいですわ」
しかもちょっと大きいの確信犯かよ!
そして何故か僕達は一緒のベッドで横になっている。アーニャの家のベッドは一般的なシングルサイズのものだ。いくら小柄とは言え、僕とアーニャの2人で寝るには、かなりくっつかないとどちらかがはみ出してしまう。背中合わせになって顔を合わせる事がないとは言え、背中にアーニャの体温を感じながらでは気恥ずかしさが勝る。
何故こんな状態になっているかと言うと、アーニャの家には布団が一組しかなく、そしてアーニャが「床で寝る」と言い張る僕を許さなかった為だ。客観的に見れば少女が二人、寄り添って寝ていると言う何とも微笑ましい光景ではあるが、主観的には一回り年下とは言え、美少女が同じベッドで寝ている状態だ。気にしないようにと、慣れようと決めたとは言え、そう簡単に割り切れるものでは無い。ドキドキと鳴る心臓に、今夜は本当に眠れるか不安になっていると、アーニャが口を開く。
「ところで悠。いつも着ている服はどこで買ってるの?」
「ぅえっ、なんで?」
「いえ、いつも思ってたのですが、いつも服が男の子っぽいので」
緊張している中で急に声を掛けられたせいで、上擦った声で返事をする。普段着ている服は、自分では充分に女物ではあるが、アーニャにとってはボーイッシュ過ぎるらしい。そうは言っても、この服達はあいつの形見なので、無碍にするつもりは無い。
「そう、かなぁ」
「可愛い服の方が似合いますって。あんなボーイッシュなスタイルよりも、もっと悠の甘目の顔と小柄の身体を生かしたガーリーな服が似合いますよ!」
ドクリと心臓が踊り、体の動きが止まる。あのバイト青年の顔が浮かぶ。チャラチャラした見た目に反していい奴だった。真面目な奴だった。知り合いと呼ぶには恩を受け過ぎ、恩人と呼ぶには仲が良くなり過ぎた。たった一週間程度の事だけど、あの時間は僕にとっての救いだった。あの時だけが僕が素の“竜胆 悠”で居られた僅かな、最後の時間。あの服達そんなあいつの残してくれた形見だ。それを“あんな服”呼ばわりされて冷静でいられるほど、冷淡な人間になった覚えはない。
「……そうかな」
「それに生地もあまり良くないようですし。どうです?お金なら気にしなくても私が……」
カチンと来る、と言うのはこんな感じだろう。事情の知らないアーニャにとっては何気ない言葉だろう。だが、僕にとっては、友人の形見を冒涜されたという状態に他ならない。思わず返答の声は低く、限界まで冷たいものとなる。
「……貰ったんだよ」
「……え」
「友達にだよ。大切な」
それを聞いたアーニャが、先ほどまでの、声色から察せる程ウキウキとした雰囲気から一変、明らかに狼狽えた気配を発している。背中合わせの状態で表情を見る事は出来ないけれど、自分の失言に気づき、動揺しているのが分かる。
「そ、そうでしたか……。ごめんなさい。私、貰い物なのにこのような言い方を……
こ、今度会わせては貰えないでしょうか?悠にはもっと可愛らしいデザインの服が似合うと言う事を熱く語って……!」
「もう、会えないよ」
冷たく、僕は言い放つ。さっき自分で出せる最大限に冷たい声を出したつもりだったが、それ以上に冷たい声が出せるとは思わなかった。そうだ、もう会えない。彼はアーニャ達の世界から来た切裂き魔に殺された。その事が無性に僕を苛立たせた。
「……ゆ、悠?」
「死んだから。アーニャ達の世界から来た奴に殺されて」
「ッ――!悠、ごめんなさい。私っ……!」
泣きそうな、悲愴なアーニャの声を聞いて冷静になる。アーニャ達が住む世界から来た奴に殺されたとはいえ、それに対してアーニャ達が責められる謂れは無い。むしろアーニャ達はその原因となる“門”を閉じようと尽力してくれている側だ。こんなものは只の八つ当たりだ。最低の行為だ。
「……ごめん、謝るのは僕の方だ。アーニャ達には全く関係ないのに、こんな言い方…… ただの八つ当たりだったよ……」
「ぐすっ、そんな、こと、無いです…… ひっく、それに、そんな大事な服に、私、私……」
泣きそうを通り越して完全にガチ泣きである。こうなると弱いのは男であった性だ。
「あぁ、それについてはもう大丈夫だから。アーニャだって知らなかったんだし」
「でも、でも…… うぇえええぇぇぇぇん……」
しばらくの間いくつか慰めの言葉を掛けて、どうにか泣き止んだが、背中から感じるどんよりとした気配は昏く、重い。其処だけ瘴気か何かが発生してると言われても納得できてしまいそうだ。魔法を使っているときのアーニャはまるで天使みたいだが、この状態では悪魔かバンシーと言う泣き女の妖精だと言われた方が納得できる。
「あぁ、もう、わかった、それじゃあこうしよう!」
「ぐす…… 何でも言ってください。何でもしますから……」
「あまり女の子が何でもしますって言うのは感心しないと思う…… っと、それは置いといて。
アーニャ。僕がぐうの音も出ない程気に入る位、最ッ高のコーディネートで僕を着飾って、それを僕にプレゼントする事!それが償い!」
「そ、それで償いですか……?それではあまり罰には……」
「言っとくけど、僕がそこまで気に入らなかったりするようなら、それまで何度でもやり直しだからね」
「悠……」
「言っておくけど、結構難しいと思うよ。女の子の服の事なんてそこまで詳しくないし、正直まだ少し恥ずかしいから、そんな僕が気に入る何てよっぽど似合う服じゃないと」
言葉を遮るようにして畳み掛けると、観念したのが小さくため息をついた後、「わかりました」と呟くアーニャ。まだ完全には納得できてはいない様子だが、これ以上は我儘にしかならない事はアーニャも気付いている事だ。とは言っても簡単に満足してしまっては罰にならない。選ぶときは精々困らせてやろうと言うのが僕の思惑だ。
その後もベッドの上でいくつか言葉を交わしていたが、どちらからともなく眠くなってきたのか段々と口数が減り、今では微睡の中、二人で静かに眠るのを待っていた。
「悠、もう、眠ってしまいましたか?」
不意にアーニャが話しかける。その声量はかなり小さく、本当に眠ってしまっていたら気付かない程のものだ。
「……もう一度こんな風に、友達と穏やかに過ごすなんて出来ないと思ってた」
僕が返事をするより早く、アーニャが言葉を続けた為、起きた事を伝えるタイミングを逃してしまう。眠りかかっていたおぼろげな頭ではどうすればいいのか思いつかず、言い出すタイミングを完全に逃してしまった。
「私は罪深くて、綺麗なんかじゃなくて、どうしようもなく汚れているから、貴方と一緒に居られる資格なんて無いのかもしれない。
でも、でもね。私の、私達のエゴに付き合ってくれて、その上友達と言ってくれて本当に嬉しかった……。だからね、悠……」
ありがとう。
ごめんなさい。
「……寝ている相手に、卑怯ね、私は。……おやすみなさい。悠」
(あぁ、おやすみ。アーニャ)
寝ている事になっている僕が返事をする訳にもいかないので、心の中で答える。盗み聞きをするつもりは無かったけど、結果的にはそうなってしまった。今の僕では彼女が何の事を言っているのか分からないし、分かってあげる事も出来ない。それ故に今の僕には、彼女に掛ける言葉を探し出すことが出来なかった。
◆◇◆◇◆◇
――人払いの魔術により、付近に人の気配は完全になく、そこだけ世界から切り取られたかのような空間に在る人影は二人……いや、一人と一匹だ。
一つは不自然な程、不気味な程に真っ白な長毛を持ち、その視線すらも深く隠した小型犬――の様な姿をした正真正銘の化物、“拒絶の”を名乗る魔獣、エランティスだ。そしてエランティスの隠れた視線の先に居るのが、齢にして二十台中盤であろうか、女性として完成された色香を放つ妙齢の女。男であれば誰でも釘づけになるであろう豊満なバストと、タイトスカートに深く、淫靡に刻まれたスリットから覗く艶めかしい太ももがその女の妖艶さを物語っている。尤も、その妖艶さを晒す相手は此処には魔獣であるエランティスしか居らず、エランティス自身は人間の雌に欲情するような性癖は持ち合わせてはいなかったが。
「あぁ、退屈。報酬があるとは言え、最悪よ、こんな仕事」
「文句を言うな“前知の”。貴様我を愛玩動物扱いしておいて、仕事もせずに逃れ得ると思うなよ」
「舐めないで。貴方如きで私を縛れる筈が無いでしょう。任務は果たしているのだから、文句は言わないでちょうだい」
――エランティスが“前知の”と呼んだ女。彼女こそが“前知の魔女”と呼ばれる、予知と予言の魔女である。アーニャが使い物にならないと判断したエランティスは、彼女が復活するまでの間、唯一魔獣の撃退に協力してくれるであろう相手に助力を請うたのだ。元来魔女は、その生まれの性質上“自分勝手”なものであり、誰かと協力し合ったり、助けたりするものは稀だ。エランティス自身、報酬が必要と言え、この様な面倒事を引き受けてくれる魔女はこの“前知の魔女”以外は知らない。
「貴方のお気に入りの“御使いの”ちゃんでも連れて来てくれたら、文句の一つも言わずにするんだけどなぁ」
「……黙れ」
――エランティスが自信の魔力と殺気を開放し、“前知の魔女”を威嚇する。アーニャが普段であれば絶対に使わないような汚い言葉で、『腐れ色情魔』と呼んだとおり、彼女はその性癖が常人から見れば破綻しているものであった。そんなものの前に自信を報酬として捧げれば、その後起こる行為は語るに及ばないだろう。
「あら、怒っちゃった」
「アレに手を出して見ろ。その首咬み千切るぞ」
「あらあら、怖ぁい」
――まるで恐怖を感じている様子も無い“前知の魔女”にイラつくエランティスだが、この苦痛でしかない会話の終わりは、唐突に、だが、予定通りに訪れる。
「……戯言は終いだ。来るぞ」
「あら、誰に言ってるの?そんな事分かってるわよ」
――周囲に漂う魔力の気配が急激に濃く、深くなり、“門”が現れる。
「さてさて、まだ召喚途中で悪いのだけれど、貴方の終わりは“知っているわ”
聞こえてないでしょうけど、さようなら」
――しかし、門が開ききる瞬間には既に魔獣は絶命していた。見るものが見れば、その魔獣は高位に分類されるであろう、強力なものである。だが、“前知の魔女”はその名が示す通り、“前以って知る”魔法を持つ。その魔法が展開されている限り、彼女の知覚できる範囲の出来事は過去現在未来において全て、彼女の知るところであり、釈迦の手のひらの猿の如く、踊らされているに過ぎない。尤も致命的な属性の一撃を、尤も致命的な箇所にぶち込まれた魔獣は、何が起こったかを――いや、起こった事すら気づかずに息絶えたのは、不幸か或いは幸福だったのか。
「さぁ、もう今日は門は開かないし、帰りましょ」
「……その性格が無ければ、優秀であるのだがな」
「何言ってるのよ。私達魔女は、“だからこそ”でしょう?それに、私は自分の性格気に入ってるしぃ?」
「狂人め、反吐が出る」
――吐き捨てるように謂うエランティスを嘲笑いながら、“前知の魔女”が答える。心底面白そうに、悪い冗談だと言うように。
「冗談。貴方と“御使いの”だけには言われたくないわ。『千年級』の、よりにもよって“九尾の魔女”に喧嘩を売ろうってんだもの。正気の沙汰とは思えない」
「……ふん」
――そんな事は先刻承知と言わんばかりのエランティスは返事を拒む。
――魔術に、そして魔法に触れたものは遅かれ早かれ、皆狂気に蝕まれる。
――故に此処に正常なものは在らず。
――ただ狂人の妄執のみが渦巻くのみである。




