第二十話
あけましておめでとうございます
今年初更新
「エランティスが居ない」
「……はい?」
僕の一言に、優雅に紅茶を持つ手を止めてこちらを見るアーニャ。その表情は訝しげだ。
僕たち二人が居るのはシックな雰囲気を持つ喫茶店の中だ。上品な木彫りの装飾やテーブル、そして流れるBGMはスタンダードジャズと、とても大人な雰囲気が流れており、見た目が中学生程度の僕たちでは、如何せん場違いな感じもする。しかし、様になった仕草で紅茶を飲むアーニャは成程、絵になる姿だ。他の席にはセレブっぽい高そうなブランドを身に纏った主婦が数組居り、雑談に華を咲かせていた。そうなると、本格的に浮いているのは必然、僕だけになるというわけで、非常に気まずい。
何故僕が場違いな上品な喫茶店に居るのかというと、アーニャに話があると言ったら、「それなら落ち着いて話せる所に行きましょう」と、この店に連れて行かれたのだ。どうやら彼女の行きつけらしい。アーニャは横文字の―――何語か分からない、何だかお洒落な名前の紅茶(無論、出てきてからその横文字が紅茶だと知ったのだけれど)を注文していたが、僕はメニューをしばらく見て、水だけ注文した。アーニャに「水でいいの?」って聞かれたけど、「水が好きなんだ」と答えておいた。いやいやいや、コーヒー1杯が1000円超えてるって!僕の日給の1/4以上って!!此れが格差社会か!因みに水にもさわやかな檸檬の味が付いていたし、とても柔らかくて口当たりが良くてまろやかだった。分類的に最近よく飲んでいる公園の水道から出てくるものと同じ“水”とは思えなかった。
って喫茶店の感想を言いに来たんじゃなかったんだ。
「エランティスが居ないんだ。ここ2日も。あの鬼畜コーチのエランティスが2日も休みにするなんて、ありえない!まさか、どっかで魔獣に襲われたとか!?それとも保健所に連れて行かれたとか!?」
そう、エランティスが居ないのだ。あのアーニャと友達になった日から2日も会っていない。暇さえあれば僕の前に現れて、修行と称して魔法を使わせられたり、アーニャとの模擬戦をさせられていたこの数日間と比べると異常な事態だ。最初の1日目はラッキーと思っていたが、2日目も現れないとなると心配が勝る。あんな見た目だから、魔獣と戦っては居ないと思う。でも、逆に保健所に連れて行かれたとしたら?確か殺処分って数日でされるんだよな?
「あの、悠?落ち着いて」
「お、落ち着いてなんていられないよ!あいつが殺処分なんてされたら!」
ガタン!と椅子を鳴らして、叫びながら立ち上がった僕に視線が集まる。ただでさえ上品な雰囲気の喫茶店なのに、急に大声を出して立ち上がる客が居たら、その雰囲気はぶち壊しもいいところだ。驚きと、若干の非難と、叫んだ内容を聞いて同情を込めた視線を受けて、すごすごと僕は大人しく座る。
「ご、ごめんなさい。お騒がせ、しました……」
うぅ、顔が熱い。これは恥ずかしい…… だけど、エランティスの事は本当に心配だ。あいつが使った事のある魔法…… じゃなくて魔術か。魔術は僕をワープさせたり、修行の余波で壊れた壁や倒れた樹を直したりと、どうにも戦闘向けとは思えない魔術ばかりだ。使い方によっては逃げられるかもしれないけど、万が一という事もある。現に今、目の前に現れていないのが不安で仕方ない。
「悠、えっと、そのぉ……」
そう言いながら頬を染めるアーニャ。指先を絡めるようにして手を合わす姿は何とも女の子らしくて可愛い。何かを言うか、言うまいかと悩んでいる風だが、やがて観念したのか、コホンと手を口に当てわざとらしく咳払いをして、告白を始める。
「エランティスが現れない理由、恐らく私のせいですわ」
「……アーニャの?」
「えぇ。その、悠も知っているとおり、私は落ち込みやすくって、エランティスに良く迷惑をかけているのだけど……この前、次会う時までに頭を冷やせって言ってたでしょう?」
「あぁ、そう言えば、そんな事言ってたような」
その前後の暴言と言うか、嫌味の記憶が先走ってあまり印象に残っていなかったけど、そんな事を言っていた気がする。エランティス自身本気で呆れている訳じゃないのは、僕もアーニャも気付いているが、言い方が悪いのは変わらない。
「恐らく、1か月は現れないと思うの。今迄の流れだと」
「1か月……それって……」
付き合いの長いエランティスが、落ち込んだアーニャの頭が冷えると判断した期間、それが1か月と言う事だ。いくらなんでも落ち込む期間が長すぎるだろう。上手い事慰められなかったら、その間はあの状態だったって事か…… ティアナさんとやら、確かにこの子、面倒な性格してるわ。
「だ、だって仕方ないでしょう!持って生まれた性格は中々変えられないし!」
顔に出ていたのか慌てて否定するアーニャ。その姿はさっきまで優雅に紅茶を飲んでいた、まるで深窓の令嬢かと言う雰囲気とはかけ離れている。
しかし、一か月か。その間はエランティスが居ないと言う事は、スパルタ修行も1か月も休みとなるのかな。今まで余る時間のすべてを費やしていた修行の時間が殆ど空くとなると、逆にやる事が無くなってしまった気になる。
「つまりは、スパルタ修行も1か月は休みになるのか」
「魔獣狩りも、ですね。現状、“門”の出現を探査できるのはエランティス本人と、協力者の魔女だけですし」
「協力者?」
「えぇ、“前知の魔女”と言うのですけれど……何というか、性格に難があるので正直会いたく無い部類の魔女です」
「ぜんち……?全部治るって書いて全治?それとも全て知るで全知?」
初めて出た名前に僕は尋ねる。全知だとしたら随分と強そうだ。全知全能の神とか言うしね。
「ええと、日本語で言うと…… 前もって知ると書いて前知ですかね?まぁ要するに予言の魔法です。こういう時は翻訳の魔術は少し不便ですね……」
「え、魔術?」
初耳だったが、考えても見れば当たり前の事だ。地球だけでも様々な言語があるのに、異世界の言葉がこちらの世界の、それも日本語にピンポイントで合致しているはずが無いのだ。翻訳の魔術とやらのお陰で、僕はアーニャやエランティスとの意思疎通が可能になっているらしい。物理法則とか超えているんじゃないかなと思ったけど、これは魔術の範囲らしい。ううん、基準がわからん……
「でも、その間の魔獣ってどうするんだ?ほっとく訳にもいかないと思うんだけど」
「エランティスと、その“前知の魔女”が処理をすると思うわ」
「へぇ、じゃあ結構いい人なんじゃないか。その魔女さん」
その瞬間、空気が固まった。
「悠」
「……ん?」
カチャンと静かに、だがはっきりと音を鳴らしてアーニャが紅茶のカップを皿の上に置く。まるで周囲の他の音が消え去ったかのような錯覚を受ける。あれ、アーニャから寒気を覚えるような殺気が湧き出て、陽炎みたいなオーラみたいに見えるのは気のせいかな?フフ、怖い。
「2度と、私と、エランティスの前で、あの“腐れ色情魔”を、いい人だなんて、呼ばないで、ください」
優しく、フワリとした笑顔で一言一言に力を込めながらアーニャがいった。何故だろう、どこにも陰りなんて無い笑顔なのに、めちゃめちゃ怖い。
「思い出しただけで寒気がする。あの変態……自業自得とはいえ、アレに借りを作ったのは失態だわ……」
そう言いながら体を抱きしめるアーニャ。その目は、まるで蠢く大量の害虫を見た時みたいに悍ましいものでも見るかのような目だ。そこまでキモがられるって、いったいどんな人なんだ……
どうやら触れてはいけない話題だったらしい。慌てて別の話題を出す。
「じゃあ、魔獣の方は問題ないとして、これからどうしようか?」
「修行…… というのも味気ないですね。サボるのはもってのほかですけど、いくらなんでもエランティスのは詰め込み過ぎです。
魔法の練度が上がる前に疲労で倒れてしまうわ。普通の人間よりはかなりマシとは言え、魔女も疲労はするのだから」
あぁ、やっぱりそうなんだ。最近朝起きるのがしんどくて体が重かったりする。体自体が若いけど、女の子のものだ。魔女になると身体能力が上昇するらしいけど、それでも一日の睡眠時間2、3時間は辛い。
そうか休みか…… それなら、どうしようか……
うーん、うーんと悩む僕にアーニャが助け舟を出す。
「そうね、修行は夕方からするとして……悠、デートでもしましょうか?」
「へあっ!?」
果たして其れが助け舟かどうかは不明だったが。性格はどうあれ、美少女からのデートのお誘いだ。そんなに女性経験の多くない僕は面食らってしまい、なんとも間抜けな悲鳴が漏れる。
「ででで、でーと!?デートだなんて…… そんな……」
真っ赤になって慌てる僕を余所に、アーニャはかなり真剣な表情だ。
「だって、悠。あなたコンディショナー使って無いでしょう」
「…………へっ?うわっ!?ひあっ!?」
アーニャが身を乗り出し、僕の髪を、丁度首筋辺りの部分の髪を触る。自分で言うのもなんだが、多少痛んでいるとはいえサラサラな髪が首筋をくすぐり、なんともこそばゆい感覚に思わずまた変な悲鳴が漏れる。
「ちょっ!ひぁっ、ほんとにく、くすぐったい!やめっ、やめて!」
アーニャが溜息をつきながら僕の髪から手を離す。時間にして10数秒の事であったけれど、あまりのくすぐったさに身悶えてしまった僕は、顔を真っ赤にして俯くほか無かった。
お、女の子みたいな悲鳴を上げてしまった……精神ダメージが大きすぎて泣きそうだ。実際少し涙ぐんでしまったかもしれない。
「で、どうなのです?シャンプーやコンディショナーは何を使っていますの?」
ジロリと僕の方を睨むアーニャ。あれ、何で僕怒られているんだろう。
「な、何をって言われても…… シャンプーはコンビニで買った安物だよ。コンディショナーってかリンスは使って無いけど」
「やっぱり…… 悠、貴方大分髪が痛んでいますわ。枝毛もいくつかできているようだし…… 肌の方も……」
あ、やっぱりそうなのか…… 初めてこの体でシャワーを浴びた時、男の時の感覚で体や髪をゴシゴシと洗ってしまい、真っ赤になってしまった事がある。白磁のような色の肌の太ももや二の腕が真っ赤に染まっている姿は、背徳的で扇情的ではあったが、当の本人である僕は痛くてそれどころではなかった。
男と女の差がまさかこんな所で弊害を生むとは思わなかったよ。
「悠、確かにあなたは前は男性だったのかもしれません。その頃の姿を見て無いので、正直あまり実感はありませんが。
でも、今貴女は女性。女の子です。髪は女の命!故に女の子の常識を理解してもらわなければ!!!」
そう言って拳を強く握って熱弁するアーニャ。どうやら髪や肌のケアにはとても気を使っているらしい。いや、僕が、と言うか男が不精過ぎるのだろうか。最近では男でも化粧水やクリームを付けたりする人が居るというのも聞いたことがある。
「こちらの世界は素晴らしいです。魔術ではこんな髪を綺麗にしたり、肌の手入れをしたりなんて出来ませんし、文明レベルでは月とすっぽん……いえ、比べるのもおこがましいレベルです!
このような素晴らしいものがあるなら其れを使わずしてどうするのです!冒涜です!」
ああ、うん、すごいねー
同じような力説は10分以上続いたけど、その殆どは頭に入ってこなかった。取り合えずシャンプーとリンスとスキンケアの商品のまともなものを買えばいいって事だけ理解できた。
「と言うことでデートに行きましょう」
デートというよりはショッピングって事か。しかし、財布の中身は少々心許ない。たしか1万円くらいだ。まぁシャンプーって数百円だし、他も似たようなものだろう。何とかなるかな。
そう、軽く考えていた。その時は。




