第十九話
―――少女は夢を見る。
―――此処は喪われた故郷、二度と還らぬ曾ての望郷。
少女は辺りを見回し、自分が何処に居るのか把握し、「此処を夢に見るなんて……」と小さく呟く。尖頭アーチと穹窿による構造で作られた大空間、そしてその外壁に絢爛な装飾やステンドグラスを施し、柱にもさまざまなレリーフが刻まれている。少女は知る由も無かったが、地球における11世紀、12世紀辺りに盛隆したゴシック建築と呼ばれる建築方式そのものであった。
(相変わらず、綺麗……)
石で造られており、暖房器具も無い。肌寒い程の空間だが、少女はむしろ暖かさすら感じていた。それが精神的なものから来ることは、勿論少女も気付いている。
「みーつけた」
急に声を掛けられてハッと後ろを振り向くと、そこには亜麻色の、犬耳の様に跳ねた癖っ毛が特徴的な長髪の可愛らしい少女―――今は亡き親友、ティアナ・ブリュゲルが立っていた。
(酷い、夢……)
涙がこぼれそうになったのを押し留める事が出来たのは僥倖だった。一度零れれば、そのまま何時までも泣いてしまいそうだったから。目の前の親友、ティアナは、“最後”の時よりも随分幼く、年齢としては6、7歳の姿だった。そしてそのティアナと自分の目線がほぼ同じ事に気づき、自らの身体を確認すると、案の定、自身も同じ程度の年齢の時の姿だった。
「もー、かくれんぼ何だから、隠れてくれないとゲームにならないじゃない!」
「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてたわ」
ぷくーっと可愛らしく頬を膨らませて拗ねるティアナに少女は苦笑しながら言う。どうやらかくれんぼの途中であったらしい。確かに通路の真ん中で棒立ちしていてはゲームにならない。
「まぁいいや!次はアーニャが鬼だよ!」
機嫌を直したのか、それとも最初から気になどしていなかったのか、また笑顔を取り戻した少女はアーニャの肩をバシバシと叩きながら、鬼の交代を告げる。
「えぇ。あ、その前に一つ聞いてもいい?」
「んー?なにー?」
「もし、もしも私と全く同じ見た目の人が居て、その子にとても酷い事をしなければいけないって時、ティアナなら、どうする?」
「なぁに、その質問? ……どうしてもその酷い事はしないとダメなの?」
「えぇ、どうしても。何を失ったとしても」
アーニャの質問に意味などない。ティアナは死んだ。もう居ない。夢の中で、その幻影に尋ねる事に何の意味があると言うのか。全くの無価値な質問だ。だが、アーニャの無意味な質問は、彼女にとって余りにも絶望的で、余りにも残酷的に、だが、彼女が望んだ答えを返される。
「うーん、それなら……いいえ、それでも……」
「呪うわ」
「―――ッ!?」
覗き込むようにしてアーニャを見据えたティアナ瞳は昏い。それは憎悪。怨嗟。憤怒。絶望。暗い、黒い感情を極限まで煮沸させ、凝縮したかの様な昏い瞳。その眼を向けられただけで分かる。“憎まれている。”それも尋常ではなく。親友に極限を超えた憎悪の眼を向けられたアーニャは小さく悲鳴をあげ、恐怖に仰け反る。
「ねぇ、アーニャ。わたしアーニャの事友達だと、親友だと思ってたんだよ。それなのにわたしの姿で人形を作って、それを滅茶苦茶に弄んで壊しちゃおうなんて、酷いじゃない。わたしそんなに貴女に恨まれることしたかな?“アーニャを庇って死んだ”のに、アーニャはまたわたしを見殺しにするんだね?」
「ちが、悠さんをティアナと同じ姿にしたのは私じゃ……」
「言い訳?でも知ってるよ。貴女はわたしの姿をした彼を見て「嬉しい」って思った。わたしの姿をした彼の中に、かつてのわたしを見たんだ。それなのにアーニャはわたしを、あの人を無謀な戦いに引き込んで、また殺そうとしてる」
「違う、違うのティアナ。私は……」
図星を付かれてアーニャは言葉に詰まる。
「違わないでしょ、アーニャ。わたしは貴女の夢。貴女が思っている事なんてお見通しなの」
「ごめん、ごめんなさい、ティアナ。ごめんなさい……ごめんなさい……」
あぁ、そうだ。これは夢だ。だから自分が思っている事なんて筒抜け。自分に嘘を付けても、付き続ける事は出来ない。騙し続ける事なんて出来ない。だからこそ、これはアーニャが望んだ答え。自らの瑕疵で最愛の親友を失った事による後悔、その罰。
「呪われろ」と言う呪詛の言葉を浴びながら、アーニャは「ごめんなさい」と壊れたレコードの様に繰り返していた。目が覚めるまで、ごめんなさい、ごめんなさいと―――
「……ッ!!!」
勢いよくアーニャは身体を起こし、起床する。
「ハァ……ハァ……ハァー……」
バクバクと暴れる心臓と荒い息を何とか整え、自らの出で立ちを確認すると、寝間着にはグッショリと寝汗が染み込み、不快感を与えてきていた。寝苦しさに悶えたのか、シーツはほとんどが乱され、枕も何処かへと転がっていた。部屋の、そして何より自身の惨状を見てアーニャは大きくため息をついて呟く。
「なんて、夢……」
悪夢。妄想だ。
長年ティアナと連れ添っていたアーニャだ。実際に今の状態を見た時、ティアナは止めるだろうが恨みはしないだろう。それくらいも分からぬ程二人の仲は浅くは無い。だが、アーニャ自身は違う。ティアナを死なせてしまった事、そして今、同じ姿をした少女をまた戦いの中に連れ込み、そして勝ち目の薄い戦いに連れて行こうとしている、その事に対しての慙愧の念はぬぐえない。だからと言ってこんな夢に意味などないが。浅はかな自己満足。畜生の自慰に劣る欺瞞だ。
「ティアナ、悠さん……貴女達に恨まれたとしても……蔑まれたとしても、わたしは、私達、は……」
アーニャさんの元気が無い。
ここ数日でも明らかにため息の数が増え、時折ボーっとすることが増えている。
「アーニャさん?」
「はい、何でしょうか」
「何か、ありましたか?」
「……いいえ、何も」
何も無いようには全く見えない。顔色が良くないし、目の下のクマが酷い。夜もまともに寝れてない事が見ただけで分かる。エランティスに聞いてみても、「アレは精神の図太さに欠ける。しばらく放っておけば自ら立ち直る」と言ったきり放置だ。何があったか知らないが、エランティスの厚顔無恥さに比べたら世界中の人が豆腐メンタルだ。見るからに落ち込んでる女の子を相手に、模擬戦とは言え戦いをするのは正直気が引ける。
戦いが始まれば、その異常さは瞭然だ。確立した現象である魔術は規定の魔力と手順を踏めば、決まった結果を得られる。逆に魔法と言うものは本人の精神状態によって得られる結果は様々だ。だから気合いを入れて魔法を使えとエランティスに教わったけど、成る程今の状態のアーニャさんの魔法は拙い。普段なら相当に気張っていないと破られそうな攻撃も、今は考え事をしながらでも弾くことが出来る。
「もうよい。今宵の修練は終いだ。御使いの、次に会うまでにそのうじうじとした頭を直しておけ」
「……分かったわ。エランティス、ごめんなさい」
「……我に謝罪をしてどうする。貴様の欺瞞と偽善に今更とやかく言うつもりもない」
「おい、エランティス」
さすがに言い過ぎだ―――と止めようと思ったが、その言葉を発する前にエランティスの姿は掻き消えていた。全く、あいつはもう少し素直さを持ちえないのか。
「……はぁ」
魔法の展開を止め、純白の服から元の普段着へと戻るアーニャさん。その瑞々しい唇の間から悩ましげなため息が漏れる。うーむ、これは重傷だなぁ。
どうやって励まそうかと悩む。相手が何に対して落ち込んでいるかが分からないと励ましようが無いし、かといって聞き出せる程込み入った仲になったという訳でもない。しかし、このまま放置するのは気が引けるし、なんだかとても嫌だ。
考え抜いた僕が告げた言葉は一言だけ。
「話したくなったら、聞くよ」
「…………」
「…………」
公園のベンチに座ってた僕とアーニャさんの間に静かな沈黙が流れる。生憎と僕はカウンセラーではないし、心理学にも詳しくないので、ここまで落ち込んでいる人を励ますのは上手くはないし、詳しくも無い。だからじっと待つ事にした。本当は一人にしてあげた方がいいのかもしれない。だけど、これは完全に“勘”で根拠何て全くないのだけれど、こうしてあげるのが正解な気がしたんだ。そして、アーニャさんは話してくれるという確信めいた気も。
「夢を見たんです」
「夢?」
「えぇ、それもとびっきりの悪夢を」
10分か、それとも20分か。たっぷりと時間を掛けた後、ゆっくりと、そして言葉を選ぶような気配を感じながらも、ポツポツとアーニャさんは語る。
「夢の中でティアナが、責めるんですよ。「わたしの姿をした人を巻き込んで殺すのか」って。「呪われろ」って」
「でも、あの子はそんな事言う子じゃ……」
「えぇ、そうですね。あの子はそんな事言わない。その代り、とっても怒られるでしょうね。復讐なんて止めろって。悠さんを巻き込むなって。
とても、優しい子で、自分の事は少々顧みない性格でしたから。そのあたりは悠さんに似てますね」
「ぐっ、そ、そうかな?」
確かに稀に、いや良く言われる事だ。自分ではあまり意識してないんだけどなぁ。
「ティアナが死んだのは、私のせいなんです。自分の力を過信して、あんな化物と衝突して……なのにティアナは最後まで私の心配をして……
悠さん。正直に言います。この戦いは、負け戦です」
「……ッ!」
告げられた二つの重大な事実に僕は戦慄する。
「私達の復讐相手、九尾の魔女……はっきり言って私達とは次元が違うレベルの相手です」
「…………」
「でも、ティアナの魔法、“誰我接触不叶”があれば九尾の魔女を降す可能性がわずかに出来る。それでも砂漠の中で小石を見つけるような絶望的な可能性です」
負け戦もそれ程までに戦力差があればただの自殺行為と言えなくもない。
「……復讐を諦めるってのは」
「それだけは有りえません。これに縋らなければもう私は立っていることが出来ないから……」
「そっか……」
「ごめんなさい。謝っても謝りきれない事だけど、其れだけは譲れないの」
そう言って再び顔を臥せるアーニャさん。ティアナさんと僕に対する罪悪感。彼女が酷く落ち込んでいる理由はソレか。何て優しくて、哀しくて、そして強くて弱い子だろうか。
「ねぇ、アーニャさん」
「はい?」
「身体に記憶って、残るのかな?」
「……いえ、いままでそのような事は聞いたことありませんが……」
「そっか。でも、何となく思っちゃうんだよ、アーニャさんと、エランティス。二人を護りたいって。死なせたくないって。とても強く。この気持ちは、多分そのティアナって子の記憶だと思うんだ」
「………」
「今の僕は何もない。家族も、友達も、目標すらも。だから、この気持ちに従ってみようと思う。復讐なんて正直気が進まないけど、二人が死んでしまうなんて、嫌だから。だから、アーニャさん」
僕は手を差し出し、握手を求めながら言う。
「友達になろう」
「は……い……?」
ポカンとするアーニャさん。それもそうだろう。懺悔している相手が友人になろうと言い出したんだ。面食らうのも分かるし、仕方のない事だろう。
「巻き込まれたから、利用されているから、元の身体の主がそう願っているから。だから戦うなんて、そんな思いで戦うのは嫌だ。素直じゃないし口は悪いけどエランティスは良い奴だし、心配性だ。アーニャさんは落ち込みやすいし、面倒な性格だけど、真面目で優しい子だ。ティアナさんの“心が識ってるんだ。”そんな二人だからこそ、僕は友達になりたいと思うし、助けたいと思う。
だからさ、友達になろう。友達を助けるのに他にどんな理由が要るんだ。僕は二人だからこそ助けたいと思うし、二人だからこそ“誰にも傷つけられたくないと思う”」
あぁ、だからこそだ。思い出せない心のモヤモヤの一つにストンと落ちる何かがある。“二人を護りたい。”きっかけは確かに別人の記憶かもしれない。だけど、それでもその気持ちは強制されたものでも、誘導されたものでも無い事ははっきりと言える。
―――悠の手を見つめながら、アーニャは自身の身勝手さに嫌忌する。何という邪悪。何たる悪辣。何一つ知らなかった青年に異形の法を宿らせ、自らの負け戦に巻き込んだのだ。極悪非道の何物でもない。だが、その青年いや、少女はそんな自分たちを友と呼び、助けると言うのだ。実の所、悠に弱音を吐いたのも、その姿だけでなく、行動が、言葉がティアナと被ったからだ。悠は自らの身にティアナの記憶が宿っているかもしれないと言ったが、アーニャは成程、正しいのだと思う。落ち込みやすいアーニャをティアナはいつもこうやって励ましてくれたから。だからこそ。為ればこそ―――
「アーニャと」
「うん?」
「アーニャと、呼び捨てで呼んでください。友達でしょう?さん付けは何だか、距離を感じますし」
憑きものが落ちたような、スッキリとした表情で僕の手を握り返すアーニャさん。元気づける事は上手くいったらしい。内心ホッとする。これで偽物なんて友達にしたくない何て言われたらどうしようかと思ってしまった。彼女の記憶によりそんな子じゃないと理解していても、怖いものは怖いし、緊張はするものだ。
だが、その後に続く“お願い”は何とも、如何ともし難い。女の子、しかも飛び切りの美少女を呼び捨てで親しく呼ぶのは、中々に緊張する。元の年齢差を考えればおかしくはないのだろうが、それはそれ、これはこれである。だが、ニコリと上品に笑いながらも、期待を込めた表情でこちらを見やるアーニャさんを前に、その期待を裏切る選択肢は僕には持ち得ていなかった。
「ん、えと、んじゃあ、アー、ニャ」
「ふふ、随分ぎこちないですね」
「女の子を呼び捨てで呼ぶなんてあんまり経験ないんだよ。僕あんまりモテなかったし」
「あら、性格は悪くないと思うのですけれど?」
「さぁね。ってか僕が呼び捨てにするならアーニャも僕の事呼び捨てにしてよ」
「ぇっ!?」
カウンターで同じことを要求すると、豆鉄砲を喰った様に驚愕するアーニャさん。じわじわと頬が紅く染まっていくのが目に見えて分かるのは何と言うか、正直見ていて面白い。ホント、からかい甲斐のある子だなぁ。
「じゃ無いと不公平だろ?」
「わ、わかりましたよ、よろしくお願いします、悠さん……じゃなかった、悠……」
「あぁ、よろしくね」
「もう、思ったより恥ずかしいですね、これ。
と言うかティアナは私の事面倒な性格って思ってたんですね」
「いやぁ……アハハ……」
ごめん、ティアナさん!
―――為ればこそ、命を賭して彼を護らねばならない。
―――意思は変わらない。変えられない。あの日からずっと。それこそが“魔女の業”なのだから。
―――それでもこの新たな友だけは救いたい。死なせたくない。
―――“御使いの”名の元に。それこそが彼女の願った“法”なのだから。
第二部 完。
次からは日常パート。




