第十八話
「門が出現する予兆が現れた。行くぞ竜胆悠」
一日の仕事を終え、やっと行きつけのネットカフェで休もうと腰を下ろした僕に、目の前のパソコンのキーボードに着地した仔犬ことエランティスが告げる。
「……ちょっと休んでからでも……」
「却下だ」
「ですよねー……」
今日は週末の金曜日。仕事終わりのサラリーマンが一杯やろうというお蔭で、何時もはやや客入りの寂しい僕のバイト先も、かなりの繁盛で、僕はその酔っ払い達の接客でクタクタに疲れているという状態だった。
だからと言って魔獣が待ってくれるわけもなく、異世界とつながってしまっているという“門”が出現したら、僕はそこから魔獣が出てこないようにと門番をしなければいけない。これじゃあ番犬だよホント。くぅん。
エランティスに連れられてたどり着いた場所は街の中心を横断する大きな川の河原……コンクリートで作られた河川の氾濫を防ぐための機能性のみを重視した、如何にも都会的な河川敷だった。足元にはやや角の取れた数センチ程度の小石が多く転がっていて、正直足元が良いとは言えない。足を滑らせたりしたら大ごとだ。
時間もかなり遅いため、付近には人の気配はない。前回も前々回も人がいない場所だったけど、正直誰かに見られたりしたらニュースにでもなってしまいそうな状態なので、助かると言えば助かるんだよなぁ。と、そんなことを考えていると、エランティスから喝が入る。
「呆けて居るなよ、竜胆悠。幾許も無く“門”が開くぞ」
そう言われても中々気は引き締まらない。“門”と言うのは件の界渡りの魔女とやらの魔法“異界至無窮門”の事だが、この魔法、本当に“門”を開くだけなのだ。そこから魔獣が出て来るとは限らないし、人間が迷い込んでくるかもしれない。この身体になってから半月、これで6回目くらいの『出待ち』だけど、今まで魔獣と出会ったのは最初の一回目だけだ。
僕は長ったらしい詠唱をやや小声で唱えて(素面のテンションだとあれは恥ずかしい)自分の魔法、“誰我接触不叶”を発動させる。いつも通り黒い霞のようなマントが現れて、体にふわりと纏わりつく。魔法を使った時の頭痛はここ最近は全くなくなっていたけど、魔法は発動しているだけで術者の魔力……RPGのMPみたいなものを少しずつ使っているみたいで、この待機時間も修行の内とは今は居ないけど、可愛らしくも中々に厳しいアーニャ先生の談だ。だから今回も待ちぼうけになるだろうと油断していた。
「ふむ、今夜は“あたり”の様だな」
エランティスがそう呟いた瞬間、地面からボゴッと獣の腕の様なものが生える。
「……手?」
「……手だな。地下に“門”が開いたか。哀れな」
一瞬体を強張らせ警戒するも、生えたままピクリとも動かない手を見て二人で呟く。“異界至無窮門”の出現する“場所”や“高度”はランダムらしい。一度目みたいに数十メートル上空から爆弾みたいに降ってくる事もあれば、地中深くに出現して、*いしの なかにいる!!* ならぬ *つちの なかにいる!!* 状態になったりもする。いきなりワープした先が地下でそのまま窒息死とか、正直悪い害獣相手でも同情を禁じ得ない。
「なむなむ……」
そう言いながら手を合わせて拝んでおく。成仏しろよ……
とか何とかふざけて居たのが良くなかったのかもしれない。唐突に地面から生えている腕……の更に地下の方から何やら『いやな予感』みたいなものが湧き上がってくる。慌てて姿勢を正すと同時に、地面からレーザービームの様なものが発射され、轟音と砂埃が巻き上がる。わぁお、すげぇ。ロボットアニメみたいなビームだ。
「む、まずまずの魔術砲だな。中位程度の魔獣だろう」
あれでまずまず!?僕あんな破壊力出せないんだけど!?
「油断するなよ。“誰我接触不叶”は防御面には秀でているが、慢心して法が緩めば、あの魔術砲で消し炭だぞ」
全力で気合入れていきますとも!と心の中で叫んでみたものの、やっぱり怖い。うわ、クレーターみたいになった地面からのっそりと出て来たよ。最初の魔獣よりも若干小さいけど、口の中からチリチリとした炎が漏れ出している狼面の二足歩行の化物だ。河川敷の水分を多分に含んだ地面に埋もれていたせいか、その毛並みはしんなりと水にぬれ、地面の中で口から出したと思われる魔術砲とやらの影響で、その狼面もやけどとコゲで悲惨な事になっていた。見た目だけならむしろ哀愁さえ感じる可哀そうな姿だったけど、その瞳は憎悪に燃え、僕の方をギロリと睨んでいた。あれ、僕、恨まれてない?
「なぁ、エランティス。なんかあの魔獣、僕の方めっちゃ睨んでないか?」
「ふむ、竜胆悠。あの魔獣からの言伝だ。「よくも俺を地面の中に埋めてくれたな、小娘!女に生まれた事を後悔させてから、生きたままはらわたを貪り喰らってやる!」……だそうだ」
「なっ―――!それ、僕じゃない!僕のせいじゃないから!!ってかエランティス相手の言葉分かるんだ!?」
「人間の言葉で言っても通じぬぞ。尤も、アレも聞く耳など持ち得ておらぬようだが」
あぁ、くそ!やってやるよ!確かにちょっと憐れんだけど、流石にそんな死に方は御免蒙りたい!
―――タンッ……タンッ……
僕はしっかりと魔獣を見据えたまま、身体の力を抜いて、これからスタートを迎えるマラソン選手の様に軽いジャンプを繰り返す。“アレ”はタイミングが重要だ。何度かジャンプを繰り返して、しっかりと身体にそのリズムとタイミングを刻み込む。
「修練の成果、見せてやるよ。エランティス」
「……」
―――タンッ……
エランティスに向かってそう言った後、僕は“ソレ”を発動させた。
―――魔獣は油断していた訳では無かった。寧ろ最大限に警戒していたと言っても過言ではない。一定のリズムで軽く跳ぶという不可解な行動をする獲物の姿を見ても、魔女と言う存在を“本能的に”強者だと理解している魔獣は、一瞬たりとも悠から意識も視線も逸らしていない―――筈だった。しかし、飛び跳ねた悠が跳躍の頂点へと至った瞬間、その姿が一瞬で掻き消えたのである。まるで幻の様に、わずかな砂埃だけを残して。
「ガッ!!?」
―――驚愕に目を見開いたのは明確な“隙”となった。気付いた時には距離を詰められていた。否、既に『攻撃』を受けていた。懐に完全に潜り込んでいた悠が拳を体に叩きつける姿が魔獣の視界に入る。人間の、それもまだ幼さを残す少女の放った拳。3m近い巨体に対してはあまりにも小さくか細い一撃。まさに蚊が刺すような微かな感触の後、数瞬遅れて襲ってきたのは、まるで重機にでも衝突を受けたかの様な衝撃。10cmにも満たない小さな拳から、放たれる2m近くの衝撃波を受け、魔獣はボールの様に吹き飛ばされる。
「ガッ……グギャ!?ガガガァ!?」
―――2、3度目のバウンドの後、ズザザザザと巨体が砂利の上を数mも滑る。石が体に食い込み、皮が剥げ、血が出るも、魔獣は気力を振り絞りすぐに体勢を立て直そうとする。―――追撃が来る!そう警戒し、顔を上げた瞬間、見えたものを理解できなかった。黒いヒラヒラとした布、その中にある白い肌。そしてその先にある白色の……
「つぶれろ」
―――顔を足蹴にされ、その視界に見えるものが人間の少女の下半身、それもスカートの中と言う事を理解するよりも早く、魔獣の意識はその命ごと刈り取られた。その巨体を十数メートルも弾き飛ばす衝撃を、仰向けの状態で真上から受けたのだ。中心点である上半身はプレスされたかのように押し潰されていた。断末魔をあげる暇すらなく、魔獣はそこで息絶えた。
「ふぅ……」
魔法を解除しながら、僕は息をつく。エランティスと相談し、アーニャさんに手伝って貰いながら、何とか編み出した僕なりの『戦闘術』。“斥力”を使い、“自分自身を弾き飛ばす”事によって高速で移動してからの接近戦闘。思ったよりも上手くいき、正直ほっとしている。加減が難しく、弾き飛ばす方向がズレたりすると大惨事だし、空中に居ないと使えないとか色々制限があるけれど、効果の程は上々の様だ。エランティス曰く僕と同格程度の相手にノーダメージで、反撃の隙も与えずに勝利出来たのは自信が付く。因みに地上で立ったままやると、地面に足が引っかかって盛大にコケる。弾く方向がズレて地面に激突した時と並んで、本気で死ぬかと思った。アーニャさんの魔法が回復も出来るものじゃなかったら、今頃はとっくに三途の川の向う側だ。
「どうだ。何とかうまくいったぞ、エランティス」
「まだまだだ。課題は多い。
一つ、接近した後の攻撃が数瞬遅れている。相手によってはその数瞬で対処されるぞ。
二つ、その攻撃も力を込め過ぎだ。あの様に吹き飛ばしてしまっては敵に体勢を立て直す隙を与える様なもの。
三つ、最後の攻撃も余計な事を言っている暇があったら攻撃しろ。其れも隙になるぞ」
若干のドヤ顔をし、自慢げにエランティスに言うも、つらつらと駄目出しをされる。うぅ、初めて苦戦せずに勝てたのに……。魔法の使い方すら分らなかった最初と比べたら凄い進歩だと思うんだけどなぁ。若干しょんぼりとしていると、エランティスが言おうか言うまいかといった表情で逡巡していた。
「……しかし」
そう言って言葉を切った後、やや誇らしげに、そしてかなり恥ずかしそうにしながらエランティスが言う。
「及第点だ。修行したての状態にしては上々の出来であろう」
現状では彼なりの最大限の賞賛の言葉を受けて、若干面食らったものの、満面の笑みとグッドポーズで返す事にした。
「このツンデレめ」
「ツン……?何だ其れは」
「いや、何でも?」
―――数時間後に門が閉じ、エランティスの魔術で周囲の地形を直し終わり、竜胆悠が去った後を見計らってアーニャ・ガランサスがその姿を現す。悠の初の完全勝利を見た後でも、その表情は苦々しいものであった。
「あの様な戦い方……ずっと続けさせるの?」
「……」
―――あの様な、とは“斥力”を以って“自分自身を弾き飛ばす”事による高速移動術の事である。エランティス自身、言われるまでも無く分かっていた。あの高速移動術は危険すぎる。“弾き飛ばす”と言う性質上、細かな着地点や状況への対処が出来ず、一歩間違えれば自分自身がバラバラになってしまったり、地面に叩きつけられたりされかね無い危険行為、いや自殺行為だ。悠自身もその危険性は理解している。
「言ったであろう。あれはティアナに似ている。“このような所”もな」
「……」
―――今度はアーニャが黙り込む番であった。彼女もまた、この数日竜胆悠という人間と接してきて、その人となりが少しずつ理解してきていた。勇気がある。優しさも、正義感も人並み以上だ。
―――だが、『自身の優先順位』が低すぎる。
―――恐怖を感じていない訳ではない。死にたがりである訳でもない。しかし、それでも命を投げ捨てるような修羅道に身を容易く落す。自分自身の為でなく、他の誰かの為に。ティアナと言う少女も“そう”であった。しかし、それ故に彼女は命を落とした。その時の光景は色褪せる事なくエランティスとアーニャの記憶に刻まれている。この憤怒を忘れぬ様に、憎悪が掠れてしまわぬようにと。
―――それ故に二人は迷っていた。ティアナとの約束を果たすにも、その仇を取るにも力は必要だ。だが、その為にティアナの姿をし、ティアナの魔法を使い、ティアナと似た性格の悠の身を弄び、危険に晒す事に。二人の想いは揺れていた。
―――復讐と誓いの間で、ユラユラ、ユラユラと。
パンツ!パンツです!
※ただし見たら死ぬ。




