第十二話
凄惨な戦いの余韻の風景の中、仔犬型の魔獣は思案していた。
(偶然、では無かったのか)
一度だけならば奇跡のような確率の偶然も有りえるのかもしれない。しかし、立て続けに二度も起きればそれは確証に変わる。悠では有りえぬ練度で発動させた二度の魔法。一度目は熊の魔獣の最初の一撃を防いだ時。二度目は勇者が悠の首を刎ね飛ばす一撃を放った時。そのどちらもが何十年と修練を重ね、魔法を自分の手足の様に操れるように成らなければ為し得ぬ技術であった。
(要因は何だ?男から女へと変えた事か?魔法の本来の使用者に姿を模した事か?)
彼は今の悠と同様に幾つもの死者を黄泉帰らせてきた。
一人目は14歳のアメリカ人の少女。下級程度の魔獣には何とか勝てたが、中級に遭遇。殺害される。二人目は16歳の青年。魔法すら発動できずにそのまま初遭遇の魔獣に殺される。次は24歳、女。魔法を悪用し、強盗・殺人を行う。仔犬の魔獣本人の手によって殺害される。次も、その次も、何度も、何度も……。年齢を変え、性別を変え、国籍を、人種を変えた。しかし、その尽くが薄弱な魔法しか操れず、再び死んでいった。
彼は焦っていた。魔力残量は目減りし、最初と比べれば随分と心もとない数量まで減少していたのだ。このまま魔力が尽きて、何も成果を得られぬ事は耐え切れぬ苦痛と屈辱だった。蘇る人間の『体積』が増加すればそれに応じて消費する魔力も増加する。今回、悠を男から女へと変化させて黄泉帰らせたのは、只の気まぐれと節約だった。しかし、再生成する時、無意識に“女”の姿をいまだ根強く、深く記憶に刻まれたかつての主人を意識した為、その姿をうり二つにしてしまったのだった。
(我ながら何と女々しい)
自嘲しながら心の中で呟く。いくら思考と考察を重ねようとも、現状では悠が練達の魔法を操った理由は推測の域を出ない。現状では判断材料があまりにも欠け過ぎているのだ。
「ティアナ、これはお主が望んだことなのか……?我のしている事は、本当に……」
天を仰ぎながら魔獣は今は亡き、曾ての主君に問う。視線の先には冷たい打ち放しコンクリートの
天井があるのみだった。
「……きろ。……い、おい、起きぬか!」
「……頭痛い。もうちょっと休ませて……」
頭がガンガンと割れそうに痛い。体がだるくて吐き気もする。まるで二日酔いみたいだ。大学の打ち上げで浴びる程飲んだ時以来の大頭痛。大激痛。あの時は辛かった。先輩に日本酒を何燗も飲ませられて、グデングデンに酔っぱらった次の日、あまりの頭痛と吐き気に一日中ベッドから一歩から動けずに居た。こういう時は水を飲んで寝るに限る。と言うことで寝る。起こすな。あー、床が冷たくて気持ちいい。
「……致し方ない」
―――ガブリ
(ガブリ?)
薄く目を開いてみると右手の手のひら、小指側のふくらみの辺り―――小指球と言うらしい。に、小さな口を思いっきり開けて鋭い牙を突き立てている仔犬が見えた。肉に抉り込んだ牙の辺りから真っ赤な血がじわじわと滲み出している。
「いったあぁぁあぁぁぁ!!?」
「やっと起きたか。起きたのならさっさと離れるぞ」
一瞬遅れてやって来た激痛に悶える僕に対して、仔犬は無慈悲に告げる。痛い!めっちゃ痛い!?あまりの痛みに涙目になりながら仔犬に全力で抗議する。
「何だよ!?何してんだよ!痛いよ?血が出てるよ!?」
「騒々しい。黙らぬか。それとも死体と共に虜囚となるのを所願か?」
そう言われてハッとする。慌てて辺りを見回すと、コンクリートの壁や天井がまるでダンプでも突っ込んだかのように凹み、多数のひび割れが入っていた。場所によっては中の鉄筋が露出してしまっているところまである。
そして、何より、切裂き魔の死体が横たわっていた。
「……なぁ、僕は」
「……気に病むな。アレが行っていたのは復讐ではない。子供染みた八つ当たりだ。当然、汝の友人に落ち度など無いし、警察に任せれば被害は甚大になっていた」
「…………」
「……なんだ?」
あまりの出来事に遭遇し、驚きに目を見張っている僕の顔を訝しげに見ながら、仔犬が問いかけてきた。えっ、いや、だって……。
「まさか、慰められるなんて……てっきり嫌味言われるか呆れ顔をされるかと……」
「汝は一体我をどのように見ておるのだ……」
えっ、鬼畜性悪嫌味ワンコ……とは口に出さずにマジマジと仔犬を見つめてみる。毛は汚れを感じさせない真っ白な純白。犬種は所謂ヨークシャー・テリアだろうか。記憶の中のヨークシャー・テリアよりも毛が多めでまるでぬいぐるみの様な姿をしている。うーん、前回見たときと同じだとは思うんだけど、この1週間で色んな超常現象に出会ったため、自信が無い。正直言って前回の記憶では白いモフモフのぬいぐるみの様な仔犬という認識だ。その後の出来事が奇想天外過ぎてそこら辺の記憶が曖昧になっている。
「えっと、ぬいぐるみワンコ?」
―――ガブリ
「いたああぁぁぁ!!?」
無言で噛みつかれた。痛い。ぐすん。
「さて、間もなく夜が明ける。早急に此処を離れるぞ」
傷口をフーフーしている僕にぬいぐるみ(獰猛)が言う。確かに今の状態を誰かに見られて、通報なんてされてしまった時はどんな目に合うか分からない。
「あぁ、分かった」
仔犬の提案に素直に了解する。別にこれは仔犬が怖くて屈服した訳ではない。断じてない。右手の二つの歯型がジンジンと痛みを訴えているが、それとこれとは無関係。
「その前にまずは……」
一拍おいて仔犬が云う、そのあまりの内容に僕はまるで時が止まったかの様に固まってしまった。
「服を脱げ」
「………………は?」
「聞こえなかったか?服を脱げ」
えっ?なにそれこわい。
どうやら仔犬(けだもの)だったらしい。
まさか女の子になって初めての貞操の危機が、仔犬相手になろうとは。
「もうちょっと、言い方、あるだろ……」
右手の手のひらに残る3つの小さな歯型を涙目で見つめながら言う。このコント何度目だ。天丼は二回までが原則だぞ。
「汝がしょうもない勘違いをするからだ。侮辱しているのか。噛み殺すぞ」
あまりの怒りに仔犬のキャラが微妙に変わっている。これ以上怒らせると、噛み殺されないまでも、全身歯型だらけにされそうなので反論と言うか言い訳は飲み込んで、仔犬がもってきた“着替えと濡れタオル”を受け取る。切裂き魔の返り血で血まみれになった僕の姿は、とてもでは無いけれど正視できるものでは無い。深夜徘徊する、血だらけの黒服の少女……新しい都市伝説になってもおかしくない。無論、逮捕されなければの話だけれど。
人目がない事もあり、さっさとシャツとスカートを脱ぎ、濡れタオルで返り血を拭く。真っ白なタオルがどんどん浅黒く汚れていく様子が目に入り、気が滅入る。鏡が無いのでよく分からないが、とりあえず全身を拭き終える。
ふと、自分の姿を見下ろす。この一週間で多少見慣れた姿だが、手入れもせず、碌なものを食べていないせいか視界に入る髪の毛は少し痛んでいる気がする。身体はやせ過ぎと言うほどではないが、それでもかなり細い為、このまま栄養失調が続けば容易く倒れてしまいそうだ。ううむ、これは早々に生活環境を何とかしないと、化物の前に空腹に殺されてしまいそうだ。
「おい、貴様。何ジロジロと躰を見ている。まさか幼児性愛者か……!?」
ちっげえよ!?人の事を変態ロリコン扱いしてやがる!!唐突に人をペドフィリア扱いしてきた駄犬に、先ほどまでの歯型の仕返しも兼ねて血まみれのシャツとスカートをかぶせてやると、絡まったのかまるで獅子舞の後ろの様にモゴモゴと蠢く人形になった。ざまぁみろ。