第十一話
(終わりだ)
―――極限まで鍛えぬいた集中力により、まるでスローモーションにさえ感じる刹那の中、勇者は思考する。
(“この世界に”魔女が居たのは驚いたが、どうやら産まれたてなのか戦い方も魔法の使い方もてんで素人。感情のまま全力で指向性も持たずに、力を垂れ流すだけの幼稚な魔法。楔は打った。この一撃で、決める!)
―――勇者は冷静にその能力を見切っていた。何度も、何度も“全く同じ箇所”を傷つけられた悠の魔法は、本人が気付かない程静かに綻んでいた。勇者の必殺の一撃は、まるで楔を打たれた板の様に、破竹の如く絶対防御にスキマを開け、潜り込む。その一撃は弾き切れずに確実に悠の白く細い首を刎ね飛ばす筈だった。
―――刎ね飛ばす、筈だった。
『いいえ、終わらせない、殺させない』
―――それはあまりにも不自然な一言。トップスピードに達した剣を振り切るその一瞬にはっきりと届いた声。言葉一つどころか瞬きすらも許さぬ刹那の間に勇者ははっきりとその声を聴いた。動揺し、混乱したが、長年の経験により鋭さを衰えさせぬ斬撃は勇者の内心を余所に、正確に悠の首元に流れて行った。
(な、に……?)
―――勇者の表情が驚愕に染まる。万物を弾き飛ばす結界を切裂き、悠の首を刎ね飛ばす筈の斬撃は、その首の薄皮一枚をわずかに切裂いただけで、まるで時間が止まってしまったかのように停止していた。弾かれたのではない。“その斬撃を正確に停止させる反力”を発生させ、斬撃自体を止められたのだ。その事実に気づき勇者は戦慄する。先ほどまでの稚拙な魔女の技量では到底不可能な神業だ。
―――必殺の一撃を止められ、隙が生じる。そして其れは戦いにおいては致命的な隙だ。いくら熟練の剣士であろうとも、物理法則から逃れる事は出来ない。強固な結界を切断する為の全霊の斬撃。それを物理法則を無視した力で止めたのだ。必然、その体は慣性の法則に引きずられ、乱れたものになる。そして、悠の手が、勇者の右手首を握る。
「ああ、やっとだ。やっと捕まえた。もう離さない、逃がさない。どんなに弾き飛ばしてもいなされ、かわされるのなら、どこかを固定してしまえばいい。」
「く、貴様!!?」
僕の狙いを察したのか、振りほどこうとする勇者の右腕を思い切り握りしめたまま、僕は抱きつくように、寄り添うように切り裂き魔の胸によりかかる。そう、丁度、右手と躰の間の位置へ。
「弾け、飛べええぇぇぇえぇぇ!!!」
叫び声と共に心のどこかに力を込める。強く、早く、吹き飛べと願う。その願いに反応するように、今までの中で最大の斥力が発生する。
ボグッと鈍い音が僕の左耳に響く。勇者が弾かれたピンボールの様に吹き飛んでいくのが見えた。一瞬遅れて生ぬるいお湯の様なものが顔に掛かる。なんだこれ、と考えて自分の左手が掴んでいるものを見て思い出す。ああ、そうか、腕を毟られれば流石に血も沢山出るか。勇者の右腕、だったものを見ながらそんなことを考える。丁度寄りかかった肩辺りから引きちぎれたのだろう。上腕骨の肩関節の部分が白く覗いていた。
「ぁ、う、うぷ、ぅえ」
それが人間の腕ということに意識が向くと、先ほどまでの怒りと恐怖で鈍っていた思考に冷や水をかけた様に冷静さが戻ってくる。と、同時に、自分の左手が握っているそれが恐ろしくなる。怖い、悍ましい、気持ち悪い。様々な感情が押し寄せ、それは吐き気となって込み上げる。朝から何も食べていなかったおかげで吐き出したりはしなかったが、胃液の味が口の中に広がって気分が悪くなる。慌てて口を押えるとソレはドサリと地面に落ちる。
「く、そ、やって、くれたな……」
僕が自分で引きちぎった腕に恐怖している間に、再び近づいてきた勇者が言う。当たり前だが、その右肩から先は何もなく、大量の血が溢れ出し、勇者の上着の右半分を赤黒く染め上げていた。しかし、その状態でもその瞳から殺気は消えず、諦めていない。
「なんで、まだ……立って……ひ、くる、な……」
対して僕は恐怖に飲まれ、まともに立っている事すらおぼつかない。なんでだよ。なんでまだ向かってくるんだ。腕、とれちゃった、んだぞ?そんな出血、早く止血しないと、死ぬかもしれないんだぞ。なのになんで立てるんだ。なんで戦おうとしてるんだ。意味が分からない。痛くないのか?死ぬのが怖くないのか?
……僕は、ただ、あいつの仇を取ろうとしてただけなのに。
「お、おおおぉぉぉおおお!」
「く、来るなぁぁああぁぁぁぁ!!!」
叫びながら突進してくる勇者に拒絶の叫びと共に斥力を発生させる。
「ぐっ……ガハッ……!」
「……えっ?」
先ほどの全力とは比べ物にならない程弱い斥力だったが、勇者はあっさりと弾き飛ばされた。
「ガッ……ぐ……お……おぉぉぉおおお!」
「おい、バカ……やめろよ……」
ドシャ
再び立上り向かってくるも、弾き飛ばされる。なんだよ、この執念……
「無理だって……」
ドガッ
「死んじゃうだろ……」
ドッ……ザザザッ
「やめて……くれよ……」
ドシャ
…グシャ
……ザザッ
…………
「……ここまで、か」
「…………」
何度繰り返しただろうか。両手では数えきれないほど繰り返した後、ついに力尽きたのか、勇者は起き上って来ず、そうつぶやいた。対する僕はその凄惨な状況を何度も見せつけられ、完全に気持ちが萎えて、うつむくばかりだった。
「…安心しろ。もう体が動かない。血を流し過ぎた。じきに死ぬ」
「……なんで」
「ん?」
「なんで、こんな事を?お節介だったけど、助けてくれた時はそんな様子は無かったのに」
「助けた?……あぁ、どこかで見た事あると思ったら、駅での」
駅での出来事を思い出したのか、ひどく懐かしそうに僕の顔をまじまじと見つめる。
「あの時のあんたはそんな目をしてなかった。今のあんたの目には狂気と怒りしか見えない」
「あぁ、成程。世間は狭いと言うべきか、それともこれが運命ってやつなのかね」
「え?」
「君の言うとおりだったよ。安易な親切は身を滅ぼす、だっけか。あのチンピラはあの後僕に恨みの矛先を向けたみたいだった。一緒に居た所を見られたのかね、妹で恨みを晴らそうとしたみたいだ」
「それって……」
確かに僕はそんな事を言った気がする。そのときはまさかこんな事になるなんて思っても居なかった故の発言だ。
「妹を犯そうとした悪人を、僕は殺した。今迄そうしてきたんだ。何も間違っている事なんて無いと思ってたんだ。でも、この世界は違った。僕の妹はその光景が耐えられなかったんだろうね、違う違うと泣き叫びながら自殺したよ」
「つまらない、よくある話さ。それでも許せなかった。何かを憎まなければやっていられなかった。僕は、何のためにこっちの世界に戻ってきたんだ。両親との約束だったんだ。妹を頼むって。だから、あいつが独り立ちするまで僕が護らなきゃいけなかったのに。」
「しゃべり、すぎた、な。眠く、なってきたよ。あぁ、これが、死か。思ったより、こわくは、ない、な…………」
そう言いながら切り裂き魔はゆっくりと目を閉じて言った。何を言っているんだ。だって、こんなにも、こんなにも・・・・・・
「勇者様!何をぼーっとしていらっしゃいますの?」
「リザ?」
不意に声を掛けられてハッと振り向くと、不満げな表情の王女様が立っていた。ムスッとした表情は普通なら子供っぽいと思うだけだが、美しい彼女がすると不思議と色っぽくも感じる。
「魔王を倒して平和になって気が抜けるのは分かりますが、話を無視されるのは悲しいですわ」
「はは、ごめんごめん」
どうやら知らず知らずの内に彼女を無視する形になってしまっていたらしい。こう見えて案外さびしがりやだ。これは機嫌をとるのは大変そうだ。
「本当に反省していらっしゃいますの?……所で何を考えていらしたの?」
そう問われて言葉に詰まる。一瞬言おうか言うまいか悩むが、彼女には本当のことを一番に伝えなければいけないと決めていた。この決断は彼女をとても傷つけるだろう。それでも意を決して彼女に伝えた。
「……これから、の事についてね。やっぱり、戻る事にしたよ。やらなきゃいけない事があるんだ」
「……そう、ですの」
妹の為、亡き両親の約束の為。この世界に無理やり召喚された時は恨んだりもしたが、長い間旅をして、愛しい人が出来て少しずつこの世界も好きになっていた。それでも元の世界に残された妹の事をそのままにしておくわけにはいけなかった。
一言も言わず、肩を震わせ、うつむいて涙を目にためながら耐える彼女に、もうひとつの決定を伝える。
「だから、やらなきゃいけない事が終わったら、妹が独り立ちしてから、戻ってくることにした」
「え?」
「どうやらこっちとあっちは元から強く繋がっているらしいんだ。だからもう一度こっちに来ることは不可能じゃないと思う。だから、もう一度こっちに来た時に、えっと、あー、うん、結婚、しないか?」
「!?」
「その、僕は平民だけど、一応勇者だし。王様も反対じゃないみたいだし」
指輪も何もない、ロマンチックもムードもないプロポーズ。しかも年単位での先延ばし付きだ。返事がビンタでも文句は言えないだろう。そう思うとついつい言い訳を重ねてしまうのは僕の悪い癖だ。
「……ぐすっ、ふぁ、ぐすっ」
「え?な、泣く程嫌、だったかな?」
「バカ!これは、その、もう!うれし涙ですわ!察しなさいよ朴念仁!」
「えっと、じゃあ、オッケーって」
「ただし!ただし、早く帰ってこなければ婚約解消ですわよ!わたくし行き遅れなどしたくありませんわ!」
笑いながら泣くと言う器用なことをしながら、彼女は僕の鼻先を指差す。反対の手はしっかりと腰に当てられており、少々間抜けなポーズながらも、スタイルの良い彼女がやれば中々様になっているように見える。僕は苦笑し、もちろんと言いながら彼女の肩を持ち、やさしく抱き寄せてキスをする。
「なるべく早く、迎えに来るさ。……愛しているよ。リザ」
「……わたくしも、愛しておりますわ。勇者様、いえ、勇一様」
あぁ、リザ……もう一度、もう一度だけ、君の声が聴きたかった。もう一度だけ、君の顔を見たかった。ごめん、ごめんな。どうやら僕は、そっちに戻ることは出来ないみたいだ。約束、初めて破っちゃったな。傲慢だって、身勝手だって分かっているけど、僕の事は忘れてくれとは到底言えない。でも、ほんとはすごく悔しいけど、別の誰かを愛して幸せになってくれ。君が幸せになってくれたなら、こんな人生にも意味があったと思えるから。君の世界を護れたんだって地獄で胸を張ることができるから。
―――だから、さようなら。愛しているよ。リザ。
「何が、死ぬのは怖くない、だよ。そんな顔しやがって」
僕はその死に顔を見ながら呟く。
悲しさと後悔と懺悔と、そして何より悔恨にまみれた表情は二度と忘れる事は出来なさそうだった。
第一部完




