第三話 複利の力
「——おい女、何をしてるんだ!?」
カルロスの用心棒が怒声を発するのも無視して、俺は【両替商A】のカウンターに、借りたばかりの金貨50枚をドサリとぶちまけていた。
両替商の親父が目を剥く。金貨50枚。
この港町でも一回の取引としては破格の金額だ。
「この帝国金貨50枚を、全部『海洋銀貨』に両替してちょうだい! レートは看板通り、金貨1枚=銀貨12枚よね!?」
俺はポニーテールを大きく揺らし、ハキハキとした声で言い放った。
アリアの肉体の癖が声にノリを添える。
「あ、ああ! 50枚……つまり銀貨600枚だな、少々待ちねぇ!」
親父が慌ただしく奥から重い銀貨の袋を運んできた。
用心棒二人が眉をひそめて顔を見合わせる。
「金貨を銀貨に換えてどうすんだ? 金貨100枚どころか、160枚返さなきゃいけないんだぞ?」
「黙ってついてきなさい! ここからが本番なんだから!」
俺は銀貨600枚の詰まったズシリと重い袋(約6キログラム)を自ら抱え込むと、息を切らせるトマスと見張り二人を引き連れて、中央広場の【両替商B】へと全速力で走った。
◇
「次は【両替商B】! この海洋銀貨600枚を、すべて『青銅貨』に両替して!」
広場の店主が悲鳴のような声を上げた。
「ぎ、銀貨600枚だと!? 青銅貨で15,000枚になるぞ!? うちの在庫が底をつく!」
「出せるだけ出しなさい! 足りない分は近所の店から集めてもいいわよ!」
「分かった、出し切ってやる!」
木箱三つ分にも及ぶ大量の青銅貨。総重量およそ30キログラム。
さすがに腰がイカれそうになり、俺は眉をひそめた。
「ちょっとトマス! それに用心棒の二人! ボーッとしてないでこの木箱を持ちなさい!」
「ええっ!? お、俺たちに持たせるのか!?」
用心棒の一人が狼狽える。
「アンタたちは私が逃げないように見張るのが仕事でしょう!? 私が重さで倒れたら取引が止まって日没に間に合わないわよ! 200枚回収したいなら手伝いなさい!」
「くっ……イカれた商人の小娘が仕切りやがって……!」
毒づきながらも、大男ふたりが重い青銅貨の箱を抱え上げる。
前世の金融市場では、資金移動はすべて光ファイバーを通る電子データだった。
通過の物理的重量に悩まされるなんて、異世界ならではの洗練されていない市場構造だ。
「よし、ラスト! 北街の【両替商C】へダッシュ!」
◇
「な、なんだお前たちは……!?」
北街の静寂な商店街に鎮座する【両替商C】の店主は、青銅貨の箱を抱えた大男ふたりと、汗だくで息を吐く赤毛の美少女を見て呆然とした。
「この青銅貨15,000枚を、できる分だけ『帝国金貨』に両替して!」
俺は手帳の数字と店頭の看板を交互に見つめた。
よし、まだレートは書き換えられていない。
【両替商C】のレートは、青銅貨210枚 = 帝国金貨1枚。
「せ、青銅貨15,000枚……!? 15,000割る210は……金貨71枚か!?」
店主が計算盤を弾きながら血相を変えた。
「そうよ! 余りは青銅貨90枚。さあ早く、金貨を出して!」
店主は震える手で奥の金庫を開け、帝国金貨71枚をカウンターに並べた。
俺はその金貨をひっつかみ、高く掲げてニヤリと笑った。
「トマス、見なさい! 最初の金貨50枚が、一時間もしないうちに『金貨71枚と青銅貨90枚』に化けたわよ!」
「ひぃぁぁぁっ! 付加価値も商品も何も生み出していないのに、金貨が20枚以上も増えましたぞー!?」
トマスが目玉を飛び出させて叫んだ。
そう、これが三角裁定取引だ。
商品を作ったり、リスクをとって海を渡ったりする必要はない。
ただ市場間にある情報伝達のタイムラグをつき、通貨の三角関係を周回するだけで、純粋な数学的利益が生まれる。
だが、これで満足している暇はない。
「まだまだ行くわよ! ループ2周目スタート!」
「えぇぇぇっ!? まだ走るんですか!?」
俺は増えた金貨100枚を抱え直し、再び東港の【両替商A】へと踵を返した。
金貨71枚 ➔ 銀貨852枚 ➔ 青銅貨21,300枚 ➔ 金貨101枚+青銅貨90枚!
「ぜぇ……っ、ハァ……っ! 息が……っ!」
アリアの華奢な肉体が限界を訴える。
ポニーテールは汗で湿り、首筋にへばりついていた。手足がガクガクと震える。
前世のデスクワーク育ちの脳みそと乙女の体力はここへきて奇跡的な合致をみせていた。
しかし、俺の脳内にはアドレナリンが駆け巡っていた。
(楽しい……! 市場のバグを突いて金を毟り取るこの感覚、ウォール街時代と同じだ……!)
「おいアリア! もう日没まで一時間を切ったぞ! 金貨101枚じゃ160枚には届かねえ!」
用心棒の男が焦りを浮かべて叫ぶ。
「うるさいわね、分かってるわよ! 次の3周目がラスト……資金量が大きくなりすぎて、そろそろ両替商たちに市場の歪みに気づかれるわ、その前に行くわよ!」
3周目!
金貨枚を握り締め、俺は本日三度目となる【両替商A】の門を叩いた。
「また来たのかお前はーっ!?」
店主が悲鳴をあげる。
「全部銀貨に! 早く!」
金貨101枚 ➔ 銀貨1,212枚。
そこから【両替商B】で青銅貨30,300枚に換算し——最後の【両替商C】へと飛び込んだ。
「頼む、金貨を出して……っ!」
【両替商C】の店主は青ざめた顔で計算盤を弾き、ついに頭を抱えた。
「青銅貨30,300枚は、金貨に換算すると144枚、あまりは青銅貨90枚か!? うちにある帝国金貨はこれで全部だ!」
「それで合ってるわ! 全部寄越しなさい!」
ドサリ、とカウンターに並べられた金貨144枚。
そして、端数として残った大量の銀貨と青銅貨。
複利の力はすさまじい。
元手としてカルロスから借りた金貨50枚は、わずか三時間の周回運動によって『金貨144枚』へと膨れ上がっていた。
「はぁ……はぁ……っ! これで……終わりよ……!」
俺は汗を拭い、膝に手を当てて荒い息を吐いた。
「す、凄すぎる……アリア様、神がかり的な手腕です! ですが……」
トマスが泣きそうな顔で手帳を指差した。
「カルロス様への返済額は金貨160枚です! 144枚では、まだ16枚足りませんぞ……! もう日没です!」
北街の西の空が、鮮やかな茜色に染まり始めていた。
鐘の音が、遠く港からゴーン、ゴーンと響き渡る。
「……フフッ」
俺は濡れた赤毛をかき揚げ、不敵に口角を上げた。
「大丈夫よトマス。……足りない金貨は、あいつ自身のポケットから支払わせるから」
「え……?」
「さあ、ゴルドン商会へ戻るわよ。——最後の『取引』を見せてあげるわ!」




