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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード8
88/94

最高司令

各地で発生した裂け目は、予想を大きく下回る被害で次々と鎮圧されていった。


 負傷者こそ出たものの、死者は報告されていない。


 司令室を埋め尽くしていた慌ただしい声も、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。


「……こんなの、初めてだ。」


 通信卓の職員が、小さく息を漏らす。


「これだけ同時多発で裂け目が発生したのに……。」


「信じられん。本当に人的被害ゼロなのか……?」


 誰もが同じ思いだった。


 あまりにも出来すぎている。


 まるで最初から、敵の動きがすべて分かっていたかのような戦いだった。



 司令室を出た廊下でも、職員たちは慌ただしく行き交っていた。


 その中を、一人の青年が静かに歩いていく。


「最高司令。」


 すれ違った職員が足を止め、深く頭を下げる。


「本部への帰還便の準備が整っております。」


「……後でいい。」


 青年は歩みを止めない。


「まだ、こちらでやることがある。」


「しかし、本部では会議が――」


「後で構わない。」


 短く、それだけ告げる。


「……承知しました。」


 職員はそれ以上何も言わず、深々と頭を下げた。


 そのやり取りを、少し離れた場所からギンたちは見ていた。


「……。」


 ギンは目を瞬かせる。


「え。」


 エースも口を半開きにしたまま固まっている。


「やっぱり……。」


 ユズが小さく呟く。


「あの人、本当に最高司令なんですね……。」


「いやいやいや。」


 ギンは首を横に振った。


「どう見ても俺らと歳変わんねぇじゃん。」


「俺も信じたくねえけど。」


 エースも苦笑する。


「さっきから職員全員あの態度だ。間違いねえ。」


 ギンは腕を組んだ。


「……ちょっと聞いてくる。」


「お、おい!」


 止める間もなく歩き出してしまう。


 ユズとエースは慌ててその後を追った。



「なあ。」


 青年は振り返る。


 黒い瞳が、静かにギンを映した。


「今日、助けてくれたよな。」


「……。」


「ありがとう。」


 その一言に、青年は何も答えない。


 ただ静かに待っている。


「でもさ。」


 ギンは首を傾げた。


「あんた、何者なんだ?」


「なんで俺らのいる場所が分かった?」


「なんで敵が出てくる場所まで全部知ってた?」


「それに。」


 ギンは苦笑する。


「最高司令なのに、なんで現場なんか来てんだよ。」


 少しだけ沈黙が流れた。


 青年は書類を整えながら答える。


「記録を読んでいるだけだ。」


「いやいや。」


 ギンは思わず笑う。


「記録読んだだけであんな動きできたら苦労しねぇって。」


 返事はない。


 青年は書類を閉じる。


 その横顔は、何を考えているのかまったく読み取れなかった。


「……じゃあさ。」


 ギンはもう一歩近付く。


「名前くらい教えてくれよ。」


「俺はギン。」


「こっちはエース。」


「ユズ。」


 ユズも小さく頭を下げた。


「で、あんたは?」


 青年は三人を見つめる。


 ほんの一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 その瞳が、懐かしいものを見るように揺れた。


 しかし次の瞬間には、何事もなかったかのような静けさへ戻っていた。


「……ただの補佐官です。」


「……は?」


 ギンが固まる。


「補佐官?」


 その瞬間だった。


 近くで報告書を運んでいた職員たちが、一斉に息を呑む。


「お、おい……。」


「何を言ってるんだ、あの新人……。」


「最高司令に向かって……。」


 小声が聞こえてくる。


 エースもその空気に気付き、慌ててギンの肩を掴んだ。


「お前、もう少し言い方ってもんが……!」


「いやだって!」


 ギンは困惑する。


「本人が補佐官って――」


「ええ。」


 青年は平然と頷いた。


「雑務を担当しています。」


 職員たちが一斉に目を丸くする。


「司……。」


 誰かが何か言いかける。


 青年は視線だけを向けた。


 それだけで、その職員は口を閉ざした。


「ほら。」


 ギンはエースへ振り向く。


「やっぱ補佐官じゃん。」


「いや……。」


 エースは頭を抱えた。


「絶対違うだろ……。」


 青年は少しだけ視線を逸らした。


 口元が、ほんのわずかに緩みかける。


 だが、それも一瞬だった。


 すぐにいつもの無表情へ戻る。


「それより。」


 青年は静かに言った。


「怪我はありませんか。」


「あ?」


「今は、それが一番大切です。」


 ユズが小さく笑う。


「はい。みんな無事です。」


「そうですか。」


 短い返事。


 それだけなのに。


 青年は、胸の奥に張り詰めていた糸が切れたように、小さく息を吐いた。


「……よかった。」


 あまりにも小さな声だった。


 三人には届かないほど。


 青年は踵を返す。


「失礼します。」


「え、もう帰るのか?」


 ギンの問いにも振り返らない。


 廊下を静かに歩いていく。


「クロノス最高司令!帰還便、用意できました!」


 職員たちは次々と足を止め、敬礼を送る。


 それに応えることもなく、青年は角を曲がった。



 誰もいない廊下。


 青年はようやく歩みを止めた。


 壁へそっと手を添える。


 静かに目を閉じる。


 胸の奥に込み上げるものを、誰にも見られないように。


(……助けられた。)


 その想いだけを胸にしまうと、青年は再び顔を上げた。


 もう、そこに迷いはない。


 最高司令として、次の戦場へ向かうために。

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