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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード8
86/94

異変

「――で、結局いつまでこっちにいるんだ? エース」


 待機室のソファにもたれたまま、ギンは缶ジュースのプルタブを開ける。


 向かいではエースが腕を組み、大きなあくびを噛み殺す。


「さあな。円卓のあの宣戦布告があったろ。各支部から戦力を集めてる最中だし、しばらくは神奈川に厄介になるかもな」


「迷惑料でも払えよ」


「食堂のプリンならやる」


「いらねえ」


 そんな他愛もないやり取りに、二人は小さく笑った。


 束の間の静寂。


 ――その空気を裂くように、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。


「急げ!」


「まだ到着まで時間が――」


「馬鹿、もう着く!」


 何事かと待機室の外へ目を向ける。


 聞こえてくる職員たちの声は、どれも緊迫していた。


「最高司令が、神奈川支部へ向かわれている!」


「本部から直々に!?」


「室長を呼べ!」


「全員、敬礼準備!」


 ざわめきは瞬く間に廊下中へ広がっていく。


 ギンは思わずエースを見る。


「最高司令って……世界政府の、一番偉い人だよな?」


「ああ。」


 エースも珍しく眉をひそめていた。


「俺も詳しくは知らねえけど、先代が失脚してから就任したらしい。とんでもなく若いって噂だけは聞いたことがある。」


「若いって?」


「二十歳そこそこじゃねえかって。」


「そんな奴が最高司令?」


「だから噂なんだよ。」


 二人とも半信半疑だった。


 そんな人物が、こんな地方支部へ来る理由など思い浮かばない。


 その時だった。


 待機室の扉が、静かに開く。


 音らしい音はなかった。


 ただ、それだけで部屋の空気が変わる。


 一人の青年が立っていた。


 黒髪。


 黒い制服。


 整った顔立ちには、感情らしい感情が見当たらない。


 その瞳だけが、不思議なほど静かだった。


 青年は部屋を一瞥し、短く告げる。


「――総員、配置につけ。」


 低く落ち着いた声。


「世界各地で、次元の裂け目が同時に発生する。」


 それだけ言うと、青年は返事を待つことなく歩き出した。


「あ、おい。」


 ギンが思わず呼び止める。


「誰だよ、あんた。」


 青年は振り返らない。


 そのまま廊下の奥へ消えていった。


 数秒後だった。


 支部全体に警報が鳴り響く。


『――全職員へ緊急通達。世界各地において、次元の裂け目の同時多発的出現を確認。各員は直ちに第一種戦闘配置へ移行せよ』


 ギンは思わず立ち尽くく。


「……おい。」


 エースも表情を強張らせる。


「今の……。」


「警報より先に言ってたよな。」


 二人は顔を見合わせる。


 偶然。


 そんな一言で片付けられる空気ではなかった。


「行くぞ。」


「あ、ああ。」


 二人は慌てて司令室へ駆け出した。



 作戦司令室では、すでに各支部との通信が絶え間なく飛び交っていた。


 大型モニターには世界地図が映し出され、その各地で赤い警告表示が次々と灯っていく。


「ヨーロッパ支部、裂け目拡大!」


「北米第二防衛線、交戦開始!」


「太平洋方面より多数接近!」


 怒号が飛び交う中、その青年だけは静かだった。


「太平洋方面、防衛ラインを一時後退。」


 迷いがない。


「関西支部への転移経路を変更。神奈川へ優先的に戦力を回せ。」


「ですが、関西方面も――」


「問題ない。」


 短い一言。


「二十三分後に敵は撤退する。」


 一瞬。


 司令室全体が静まり返った。


 誰も、その数字の意味を理解できない。


 それでも。


「……了解!」


 誰一人として異を唱えなかった。


 青年の言葉には、不思議なほど逆らえない重みがあった。


 その隣で、室長は微動だにせず姿勢を正している。


「……最高司令。」


 普段の豪胆な面影はない。


 まるで新兵のように背筋を伸ばし、深く頭を下げた。


「まさか御自ら神奈川支部へお越しになるとは……。」


「気にするな。」


 青年はモニターから視線を外さない。


「今回は、この支部が最重要拠点になる。」


 淡々とした声だった。


 だが、その一言だけで司令室の空気が張り詰める。


 ギンは隣のエースへ小声で囁いた。


「……え。」


「つまり。」


「さっきの奴が……。」


 エースも信じられないという顔で青年を見つめる。


「最高司令……なのか。」


 青年はそんな二人に目もくれない。


 次々と報告を受け、次々と命令を下していく。


 誰よりも早く。


 誰よりも迷いなく。


 まるで、この戦場の結末を知っている者だけが持つ確信を、その胸に秘めているかのように。


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