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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード7
84/94

アンカー

「――クロ!」


遠くから。


聞き覚えのある声が響いた。


「無事か!」


クロが顔を上げる。


血と埃にまみれながら、こちらへ駆けてくる人物がいた。


「……境さん」


資料保管区画で、いつも自分を気にかけてくれていた上司。


境だった。


普段の落ち着いた姿からは想像できないほど、服は汚れ、呼吸も荒い。


それでも。


その目だけは、いつもと変わらなかった。


「そっちは……」


境はすぐにクロの隣へ膝をつく。


倒れている負傷者の状態を確認する。


「……大丈夫だ」


短く息を吐く。


「まだ生きてる」


その言葉に。


クロの胸に、ほんの少しだけ安堵が広がった。


「運べば間に合う」


境はそう言って、立ち上がる。


だが。


その瞬間。


地面が揺れた。


遠くから響く轟音。


崩れ落ちる建物。


そして。


瓦礫の向こうから現れる、無数の影。


第二波。


怪異の群れが。


崩壊した拠点へ押し寄せてきた。


「……っ」


境の表情が変わる。


一瞬だけ。


覚悟を決めた顔になった。


「クロ」


「はい」


「そいつを連れて下がれ」


「……境さん?」


「聞こえなかったか」


境は、いつものように淡々と言う。


「運ぶんだ」


「でも……!」


「俺は残る」


クロの言葉を遮る。


「殿だ」


一拍。


そして。


少しだけ笑った。


「お前、力仕事だけは本当に向いてないからな」


「……」


「この数ヶ月でよく分かった」


いつもの軽口。


いつもの境だった。


けれど。


クロには分かった。


その手が。


わずかに震えていることを。


「境さん……」


「行け」


今度の声は。


上司としての命令だった。


「お前は、助けられる奴を助けろ」


その言葉に。


クロの身体が動く。


負傷者を抱える。


足を踏み出す。


それでも。


振り返ってしまった。


「境さん!」


叫び声。


その先で。


境の姿が、怪異の群れの中へ消えていく。


「境さん――!」


戻らなければ。


助けなければ。


そう思った。


でも。


足が動かなかった。


今戻れば。


自分も。


抱えている命も。


全て失う。


分かっている。


分かっているのに。


それでも。


悔しかった。


自分はまた。


目の前の誰かを助けられない。


しばらくして。


怪異の群れが過ぎ去った後。


そこに残っていたのは。


静まり返った瓦礫の山だった。


そして。


その中央に。


境は横たわっていた。


「……」


声が出ない。


涙も出なかった。


ただ。


理解した。


もう。


この人の声を聞くことはできないのだと。


その時。


淡い光が浮かんだ。


境の身体から。


ゆっくりと。


金色の光が溢れ出す。


「……え」


光は、空中で形を作る。


黄金色の林檎。


その輝きは。


ギンの時と同じだった。


「……境さん」


クロは震える手を伸ばす。


声は聞こえない。


それでも。


なぜか。


確かに分かった。


『悪いな』


『もう少し、色々教えてやりたかった』


そんな言葉が。


聞こえた気がした。


光は。


ゆっくりとクロの手元へ降りてくる。


そして。


二つ目の黄金の林檎になった。


それだけではなかった。


「……」


クロは周囲を見る。


崩れた拠点。


倒れた職員たち。


そのあちこちから。


同じ光が立ち上っていた。


「……なんで」


一つ。


また一つ。


黄金の光が集まってくる。


名前も知らない支援員。


搬送の時に、短く礼を言ってくれた職員。


一度だけ、通路ですれ違った人。


本来なら。


相手はクロのことなど覚えていないかもしれない。


それでも。


クロは覚えていた。


顔。


声。


名前。


交わした短い会話。


その全てを。


境が頼った、クロの記憶力。


誰にも価値がないと思っていたもの。


それが今。


失われた命の証を繋いでいた。


「……僕」


黄金の林檎が増えていく。


両手では抱えきれないほど。


「なんで……」


震える声。


「なんで、僕なんかに……」


答える者はいない。


ただ。


光だけが集まる。


まるで。


忘れないでほしいと。


そう願うように。


自分たちが確かに生きていた証を。


誰かに預けるように。


いくつあるのか。


もう分からなかった。


クロは膝をつく。


腕の中にある黄金の林檎。


その一つ一つが。


重かった。


物理的な重さではない。


そこに込められた想いが。


あまりにも大きかった。


「……こんなの」


声が震える。


「こんなの……」


涙が落ちる。


「僕には……重すぎるよ」


それでも。


黄金の林檎は消えなかった。


確かな熱を持って。


クロの手の中に残り続ける。


まるで。


まだ終わっていないと。


まだ、託されたものがあると。


伝えるように。

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