力
乾いた衝突音が、広大な訓練場へ幾度も響き渡る。
木製の模擬武器がぶつかり合う音。戦闘靴が床を蹴る音。荒い息遣い。そして時折鳴り響く、訓練用モニターの電子音。
世界政府本部の合同訓練施設には、今日も各支部から集められた戦闘員たちが汗を流していた。
エースを失ってから、数週間。
世界政府は、来るべき総力戦に備え、生き残った戦力の再編と強化を急いでいた。
円卓が予告した「決着の時」は、確実に近づいている。
誰もその言葉を口にはしなかったが、この場にいる全員が、その事実を理解していた。
「――ギン、右!」
鋭い声が飛ぶ。
その声を聞いた瞬間、ギンの身体は反射的に動いていた。
振り向くよりも早く足を踏み込み、迫ってきた模擬怪異の一撃を受け止める。
鈍い衝撃が腕へ伝わる。
「っ……!」
重い一撃だった。
以前なら体勢を崩していてもおかしくない。
それなのに。
「……いける」
押し返せる。
腕に伝わる重さを、そのまま力でねじ伏せるように押し返し、得物を振り抜く。
模擬怪異が砕け、光の粒となって消えた。
「ナイス!」
ユズがすぐ横へ滑り込み、別方向から迫る標的を切り払う。
二人の連携は、以前よりも滑らかだった。
互いに余計な言葉を交わさなくても動きが噛み合う。
それでも。
「……ふぅ」
息を整えながら得物を下ろしたギンを見て、ユズは小さく眉を寄せた。
「大丈夫?」
「ん?」
「少し反応が遅れた。」
「あー……ちょっと考え事してただけ。」
笑って誤魔化す。
その笑顔は以前よりも増えた。
けれど、その奥に残る影だけは、消えてはいなかった。
ユズは何も言わない。
言ったところで、どうにもならないこともある。
だから今は、隣で戦うことだけを選んでいた。
少し離れた観覧スペースでは、ダージリンが静かに端末へ記録を入力している。
各隊員の動き。
反応速度。
連携。
そして、新たな契約による能力変化。
一つひとつを淡々と記録しながらも、その視線だけは、何度もギンへ向いていた。
「……やはり。」
小さく呟く。
隣に立っていた補助員が首を傾げる。
「何か?」
「いえ。」
ダージリンは首を横に振る。
まだ確信ではない。
だが。
ギンは以前よりも明らかに危険な動きを選ぶようになっていた。
敵を倒すためではない。
仲間を守るため。
誰かが攻撃を受けそうになると、考えるより先に身体が動く。
それは勇敢さとも言える。
だが、その動きには、どこか躊躇がなかった。
まるで。
自分が傷つくことなど最初から勘定に入れていないかのように。
「――ギン殿。」
ダージリンが声を掛ける。
「もう一本、お願いできますか。」
「もちろん。」
ギンは迷わず頷いた。
模擬戦が再開される。
今度は複数体。
四方から一斉に標的が迫る。
「左!」
「了解!」
別の隊員へ一体が飛び掛かった瞬間だった。
「危ない!」
誰かの叫び。
その声と同時に、ギンの身体が一直線に飛び出す。
考えるより早かった。
身体が勝手に動いていた。
得物を交差させる。
激しい衝撃。
訓練場へ甲高い音が響き渡る。
本来なら二人で受け止める威力だった。
しかしギンは一人で押し返した。
黄金の林檎を口にして以来、身体の奥底に宿った新たな力。
仲間を守ろうと思った瞬間だけ、身体の芯から湧き上がるような圧倒的な力。
それが今も確かに発動していた。
だが。
「……っ」
ほんの一瞬。
ギンの膝がわずかに沈む。
呼吸が浅くなる。
それは瞬きをするより短い時間だった。
周囲の誰も気付かない。
ただ一人。
すぐ隣にいたユズだけは、その小さな揺らぎを見逃さなかった。
「ギン?」
「平気。」
返事が早すぎる。
問い掛け終わる前には笑っていた。
「ちょっと踏み込みすぎた。」
「本当に?」
「平気平気。」
軽く手を振る。
だが、その笑顔を見たユズの胸の奥には、説明のできないざわめきだけが残った。
以前なら、こんな無茶はしなかった。
いや。
正確には、できなかった。
守れると信じているから飛び込むのではない。
守れなかった後悔があるからこそ、飛び込まずにはいられない。
そんな戦い方に、いつの間にか変わっていた。
訓練終了の電子音が鳴る。
隊員たちが散っていく中、ダージリンは静かにユズの隣へ歩み寄った。
「……今の動き、見えましたか。」
「はい。」
ユズは迷わず頷く。
「また庇いました。」
「ええ。」
ダージリンも静かに頷いた。
「しかも以前より迷いがない。」
少しだけ沈黙が流れる。
訓練場の中央では、ギンが一人、得物の手入れをしている。
その背中を見つめながら、ダージリンは静かに言った。
「力が増したこと自体は喜ばしいことです。」
「でも……」
「ええ。」
視線は変わらずギンへ向けられたままだった。
「守ろうとする意志に比例して力を発揮する能力。」
その言葉を口にした瞬間。
ダージリンの胸に、わずかな違和感が走る。
「そのような力に、本当に限界はあるのでしょうか。」
ユズも息を呑む。
もし。
本当に際限がないのだとしたら。
その力は、一体何を代償に成り立っているのだろうか。
二人の視線が自然とギンへ向けられる。
その時だった。
訓練場の空気が、不意に変わった。
誰も足音を聞いていない。
それなのに。
入り口には、一人の偉丈夫が静かに立っていた。




