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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード6
75/94

黄金の林檎

石段は、長かった。


何段あるのかは分からない。


数えようとも思わなかった。


一段、また一段と踏みしめるたび、胸の奥に沈んだ重みだけが、自分の中で確かなものになっていく。


風が吹く。


木々がざわめく。


それでも、この場所だけは不思議なほど静かだった。


ギンの右手には、一つの林檎があった。


黄金色に輝く、小さな林檎。


冷たくも熱くもない。


けれど確かな存在感だけが、掌へ伝わってくる。


それを見るたびに思い出す。


最後まで笑っていた男の顔を。


「――間に合った、な」


「こんな俺でも、助けられて良かったぜ」


耳を塞いでも、その声だけは消えてくれなかった。


「……なんで」


小さく漏れる。


「なんで、お前なんだよ……」


返事はない。


あるはずもない。


それでも林檎だけは、静かに光を宿し続けていた。


石段を登り切る。


古びた社が、静かにそこへ佇んでいた。


風鈴にも似た鈴の音が、どこからともなく響く。


「来たか」


低く響く声。


社の奥から、一人の男が姿を現す。


甲冑を纏い、宝塔と矛を携えた武神。


毘沙門天。


その鋭い眼差しは、ギンではなく、手にした林檎へ向けられていた。


「……見事な魂だ」


静かな声だった。


「深い絆を持つ者だけが遺せる黄金の林檎。」


「これほど澄んだものは、久しく見ておらぬ」


ギンは黙ったまま、一歩前へ進む。


「お願いがあります」


掠れた声だった。


「あなたと契約したい」


毘沙門天は答えない。


ただ静かに見つめている。


「理由は」


短い問い。


ギンは俯いた。


「……守れなかった」


唇を噛む。


「俺は、また守れなかった」


脳裏に蘇る。


炎。


両親。


伸ばした手。


届かなかった背中。


そして。


腕の中で息を引き取ったエース。


「もう嫌なんです」


声が震える。


「目の前で、大切な人が死ぬのは」


「俺のせいで失うのは」


「もう……嫌なんだ」


社に沈黙が落ちる。


風だけが静かに吹き抜けていく。


やがて毘沙門天が、小さく頷いた。


「……偽りはないな」


矛を静かに掲げる。


「我が司るは守護。」


「仲間を守ろうと願う者に、力を貸そう」


その指先が自らの腕を裂く。


一筋の血が流れ落ちる。


滴は黄金の林檎へ触れ、ゆっくりと染み込んでいった。


淡い黄金色だった実が、夕焼けのように深い輝きを帯び始める。


「契約とは誓い。」


「一度交わせば、戻ることはできぬ」


「それでも進むか」


ギンは迷わなかった。


「……はい」


林檎を持ち上げる。


その瞬間。


一瞬だけ、笑い声が聞こえた気がした。


『ギンちゃん』


振り向く。


誰もいない。


分かっている。


幻聴だ。


それでも。


「……ありがとな」


誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


ゆっくりと。


黄金の林檎へ歯を立てる。


甘くはなかった。


苦くもなかった。


ただ、温かかった。


胸の奥へ溶けていく。


その熱とともに、数え切れない記憶が流れ込む。


初めて会った日。


訓練で笑われた日。


無茶をして怒られた日。


肩を並べて戦った日。


「お前なら大丈夫だ」


そう言って笑うエース。


その笑顔だけが、最後まで消えない。


「っ……!」


熱が全身を駆け巡る。


膝が折れそうになる。


胸が苦しい。


それでも、不思議と恐怖はなかった。


まるで。


誰かが背中へ手を添えてくれているようだった。


気が付けば、林檎は消えていた。


跡形もなく。


まるで最初から存在しなかったかのように。


毘沙門天が静かに口を開く。


「これより先。」


「そなたは"盾となる意志"を宿す」


「守ると決めた者の前で、その力は決して折れぬ」


ギンはゆっくり掌を見る。


何も変わっていない。


それなのに。


体の奥底で、確かな何かが目を覚ましていた。


「だが」


毘沙門天の声が少しだけ低くなる。


「世の理に、代償なき力は存在せぬ」


その先は語られなかった。


ギンも聞かなかった。


今の彼には。


そんなことはどうでもよかった。


守れるのなら。


失わずに済むのなら。


どんな代償でも払う。


本気で、そう思っていた。


「……ありがとうございました」


深く頭を下げる。


そして社を後にする。


石段を一歩ずつ下りていく。


振り返らない。


振り返れば。


今度こそ前へ進けなくなる気がした。


夕焼けが、世界を赤く染めていた。


その色はどこか、あの日エースの胸を染めていた赤に似ていた。


ギンは拳を握る。


その手には、もう黄金の林檎はない。


けれど。


あの人が遺した想いだけは、確かに胸の中で生き続けていた。


彼はまだ知らない。


その力が、何を代償としているのかを。


そして。


その代償を払う覚悟が、本当に試される日が、すぐそこまで迫っていることも。

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