状況整理
作戦会議室には、誰一人として席を立つ者がいなかった。
大型モニターへ映し出されているのは、世界各地から集約された被害報告。
死者。
行方不明者。
負傷者。
増え続ける数字だけが、静かに画面を書き換え続けている。
誰も、その数字を口にしなかった。
口にした瞬間、それが現実になってしまう気がしたからだ。
やがて室長が、重く息を吐く。
「……今回の事件で、一つ確定したことがある」
視線はモニターへ向けたまま、静かに続ける。
「事件A――ゾンビ大量発生。」
「事件B――ベヒモス暴走。」
「事件C――古代生物脱走。」
「事件D――円卓による宣戦布告。」
「そして今回の事件E――裂域現象。」
「これらはすべて、一つの原因から派生した事件だった」
会議室が静まり返る。
ダージリンが一歩前へ出た。
「情報解析局による解析結果です」
淡々と資料を切り替える。
「今回確認された襲撃者は、こちら側の職員と完全に一致する生体情報を有していました」
画面には比較データが並ぶ。
顔。
指紋。
虹彩。
DNA。
どれも一致率は限りなく一〇〇パーセントに近い。
「変装ではありません」
ダージリンは静かに首を振る。
「彼らは"本人"です」
その言葉だけで、会議室の空気がさらに重くなった。
通信モニターからココアの声が聞こえる。
『"マルチバース"という呼び方が、一番近いと思います』
いつもの柔らかな声ではない。
疲労と緊張が滲んでいた。
『向こう側にも世界政府が存在していて、私たちと同じ顔、同じ名前、同じ人生を歩んだ"もう一人"がいる』
『今回侵入してきたのは、その人たちです』
『だから生体認証では見抜けません』
『私たちが疑っていた内部スパイなんて、最初から存在しなかったんです』
誰も言葉を返せない。
あまりにも現実離れした結論だった。
しかし。
だからこそ、これまで説明できなかった全てが繋がる。
「敵は途中で撤退した」
室長が続ける。
「現場の状況から判断して、自ら退いた可能性が高い」
ユズが静かに頷く。
「滞在時間、ですね」
「その可能性が高い」
室長も同意する。
「事件Aでは短時間。」
「事件B、事件Cでは単独潜入。」
「そして今回は複数人による長時間作戦。」
「侵入技術そのものが進歩している」
誰も反論しない。
否定できる材料が、一つもなかった。
「つまり」
ユズが資料へ目を落とす。
「次は、今回以上になる」
その一言だけで十分だった。
室長は静かに頷く。
「円卓はすでに全面戦争を宣言している」
「今回が前哨戦だとするなら、本番はこの先だ」
部屋の空気が張り詰める。
「我々に残された時間は多くない」
室長は全員を見渡した。
「生存戦力を再編成する」
「各支部は即日、訓練体制へ移行」
「敵との最終決戦に備える」
それが今、世界政府にできる唯一の選択だった。
誰も異論はなかった。
その時だった。
通信モニター越しに、ココアが小さく呟く。
『……ギンくんは?』
部屋が静まる。
ユズがゆっくり答えた。
「まだ……エースさんの傍を離れようとしませんでした」
言葉を選びながら続ける。
「今は、一人にしてあげるべきだと思います」
室長は静かに目を閉じる。
「……そうか」
短い返事だけだった。
けれど、その一言には失われた命の重さが滲んでいた。
会議は、それで終わった。
誰も雑談をしない。
誰も疲れを口にしない。
静かな足音だけが、廊下へ響いていく。
ユズも足早に部屋を出た。
向かう先は一つ。
ギンのところだった。
ドアを開ける。
「……ギン?」
返事はない。
部屋は、静まり返っていた。
そこにあるのは。
机へ丁寧に畳まれたエースの腕章だけ。
ユズはゆっくりそれを手に取る。
まだ、少しだけ温もりが残っている気がした。
『……ココア』
通信を開く。
『ギン、どこにいるか分かる?』
少しの沈黙。
そして、返ってきたのは小さなため息だった。
『ごめん……』
『監視カメラにも映ってない』
『たぶん今は……誰にも会いたくないんだと思う』
通信が切れる。
ユズは腕章を胸へ抱き寄せた。
追いかけたい。
声をかけたい。
一人にしてはいけない。
そう思うのに。
今のギンへ、どんな言葉をかければいいのか。
その答えだけは、誰にも見つけられなかった。




