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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード6
72/94

エース

何かが、風を裂いた。


視界の端を、一つの影が弾丸のような速度で駆け抜ける。


「――ッ!」


その身体は迷うことなくギンと刃の間へ滑り込み。


次の瞬間。


甲高い金属音が戦場へ響いた。


AAAの胸部装甲が砕ける。


続いて響いたのは、金属でも骨でもない。


鈍く、重い音だった。


振り下ろされた刃は装甲を突き破り、胸部に搭載されたマイクロタービン発電ユニットごと、その奥にある心臓までを一直線に貫いていた。


時間が止まる。


「……エース?」


掠れた声だった。


目の前に立っているのは、紛れもなくエース。


さっきまで一緒にいた"エース"とは違う。


言葉にできないほど自然に、それが本物だと分かった。


「……ったく」


エースは苦しそうに息を吐きながら、それでも笑った。


「ギリギリじゃねぇか」


その声を聞いた瞬間。


ギンの胸が締めつけられる。


本物だ。


間違いなく、本物だった。


だが。


その身体には、あまりにも致命的な傷が刻まれていた。


偽エースは勝ちを確信したように刃を引き抜こうとする。


その刹那。


「悪いな」


エースの右手が動く。


速かった。


抜く。


構える。


撃つ。


そのすべてが、一つの動作だった。


乾いた銃声が一発。


偽エースの眉間に風穴が空く。


声を上げる暇すらなく、その身体は崩れ落ちた。


完全な速射。


神隠し出身の戦闘員として鍛え抜かれた、誰よりも速い一発だった。


敵が倒れるのを見届けた瞬間。


エースの膝から力が抜ける。


胸部装甲の内側で明滅していたヘッドプラズマシールドが消えた。


マイクロタービン発電ユニットを失ったAAAは、もう機能しない。


重い装甲ごと、身体が前へ傾く。


「エース!」


ギンは慌てて抱き留めた。


腕の中へ伝わる重みが、嫌なほど現実だった。


「……間に合ったな」


いつもの調子だった。


笑おうとしている。


けれど、その笑顔は少しだけ苦しそうだった。


「なんで……!」


声が震える。


「なんで来たんだよ!」


エースは苦しそうに息を整えながら、小さく笑う。


「俺の隣にいたギンちゃんが……偽物だった」


一度咳き込む。


血が口元を染めた。


「だから……嫌な予感がしてさ」


「お前の方が……危ねぇって」


ギンは必死に応急処置キットを探る。


止血剤。


ナノファイバー。


人工凝固剤。


何でもいい。


何か。


何かあれば。


「待ってろ!」


震える手で装備を取り出す。


「すぐ止血する! まだ助かる!」


「ギンちゃん」


優しい声だった。


まるで、いつもの休憩時間みたいな声。


「しゃべんな!」


ギンは叫ぶ。


「絶対しゃべるな!」


「助かるから!」


「だから!」


「……ギンちゃん」


エースの手が、そっと肩へ置かれる。


もう力なんて残っていないはずなのに。


その温もりだけは、不思議なほどいつも通りだった。


「聞け」


短く。


静かに。


「お前さ」


少しだけ笑う。


「もう、自分を神隠しだからなんて言い訳にすんな」


ギンは首を振る。


嫌だ。


聞きたくない。


そんな話をしてほしくない。


「……俺より」


息が浅くなる。


「ずっと、いい奴なんだからよ」


「やめろ……」


「だから」


エースは穏やかに笑った。


「胸張って、生きろ」


涙が零れる。


「嫌だ……」


「お前がいないと……」


言葉にならない。


喉が震える。


「俺は……」


エースは目を細めた。


その顔は、不思議なくらい穏やかだった。


「こんな俺でも」


ゆっくり息を吸う。


「助けられて……良かったぜ」


その笑顔が。


最後だった。


瞳から、静かに光が消える。


肩から力が抜ける。


身体が重くなる。


それでもギンは何度も呼びかけた。


「……エース?」


返事はない。


「おい」


肩を揺する。


「起きろよ」


動かない。


「エース」


もう一度。


「なぁ」


何度呼んでも。


返事は返ってこなかった。


戦場だけが、静かだった。


その静寂の中で。


エースの胸から、小さな金色の光が浮かび上がる。


蛍火のような光だった。


温かく。


柔らかく。


それはゆっくりと宙へ昇り、迷うことなくギンの両手へ降りてくる。


光は少しずつ形を持ち。


やがて、一つの黄金の林檎になった。


手のひらへ収まるほどの、小さな果実。


「……なんだよ」


声が震える。


「こんなの……」


林檎は何も答えない。


けれど。


胸の奥で、確かに誰かの声がした気がした。


――託したぜ。


ほんの一瞬。


そんな気がしただけだった。


ギンは林檎を握り締める。


そして。


腕の中のエースを見る。


まだ温かい。


ほんの少し前まで笑っていた。


さっきまで話していた。


それなのに。


もう、その瞳が開くことはない。


「……なんで」


理解できなかった。


受け入れられなかった。


両親を失ったあの日。


世界が崩れたと思った。


でも違った。


本当に世界が壊れる音は。


もっと静かだった。


音もなく。


心のどこかが、ぽっかりと抜け落ちる。


叫びたいのに叫べない。


泣きたいのに涙も出ない。


ただ。


何も考えられなかった。


怪異はまだ遠くで吠えている。


無線は救援要請を叫び続けている。


誰かが仲間の名を呼んでいる。


世界は止まらない。


戦いも終わっていない。


それでも。


ギンだけは、その場から動けなかった。


腕の中の温もりだけが、少しずつ失われていく。


それを止める方法を。


彼は、知らなかった。

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