エース
何かが、風を裂いた。
視界の端を、一つの影が弾丸のような速度で駆け抜ける。
「――ッ!」
その身体は迷うことなくギンと刃の間へ滑り込み。
次の瞬間。
甲高い金属音が戦場へ響いた。
AAAの胸部装甲が砕ける。
続いて響いたのは、金属でも骨でもない。
鈍く、重い音だった。
振り下ろされた刃は装甲を突き破り、胸部に搭載されたマイクロタービン発電ユニットごと、その奥にある心臓までを一直線に貫いていた。
時間が止まる。
「……エース?」
掠れた声だった。
目の前に立っているのは、紛れもなくエース。
さっきまで一緒にいた"エース"とは違う。
言葉にできないほど自然に、それが本物だと分かった。
「……ったく」
エースは苦しそうに息を吐きながら、それでも笑った。
「ギリギリじゃねぇか」
その声を聞いた瞬間。
ギンの胸が締めつけられる。
本物だ。
間違いなく、本物だった。
だが。
その身体には、あまりにも致命的な傷が刻まれていた。
偽エースは勝ちを確信したように刃を引き抜こうとする。
その刹那。
「悪いな」
エースの右手が動く。
速かった。
抜く。
構える。
撃つ。
そのすべてが、一つの動作だった。
乾いた銃声が一発。
偽エースの眉間に風穴が空く。
声を上げる暇すらなく、その身体は崩れ落ちた。
完全な速射。
神隠し出身の戦闘員として鍛え抜かれた、誰よりも速い一発だった。
敵が倒れるのを見届けた瞬間。
エースの膝から力が抜ける。
胸部装甲の内側で明滅していたヘッドプラズマシールドが消えた。
マイクロタービン発電ユニットを失ったAAAは、もう機能しない。
重い装甲ごと、身体が前へ傾く。
「エース!」
ギンは慌てて抱き留めた。
腕の中へ伝わる重みが、嫌なほど現実だった。
「……間に合ったな」
いつもの調子だった。
笑おうとしている。
けれど、その笑顔は少しだけ苦しそうだった。
「なんで……!」
声が震える。
「なんで来たんだよ!」
エースは苦しそうに息を整えながら、小さく笑う。
「俺の隣にいたギンちゃんが……偽物だった」
一度咳き込む。
血が口元を染めた。
「だから……嫌な予感がしてさ」
「お前の方が……危ねぇって」
ギンは必死に応急処置キットを探る。
止血剤。
ナノファイバー。
人工凝固剤。
何でもいい。
何か。
何かあれば。
「待ってろ!」
震える手で装備を取り出す。
「すぐ止血する! まだ助かる!」
「ギンちゃん」
優しい声だった。
まるで、いつもの休憩時間みたいな声。
「しゃべんな!」
ギンは叫ぶ。
「絶対しゃべるな!」
「助かるから!」
「だから!」
「……ギンちゃん」
エースの手が、そっと肩へ置かれる。
もう力なんて残っていないはずなのに。
その温もりだけは、不思議なほどいつも通りだった。
「聞け」
短く。
静かに。
「お前さ」
少しだけ笑う。
「もう、自分を神隠しだからなんて言い訳にすんな」
ギンは首を振る。
嫌だ。
聞きたくない。
そんな話をしてほしくない。
「……俺より」
息が浅くなる。
「ずっと、いい奴なんだからよ」
「やめろ……」
「だから」
エースは穏やかに笑った。
「胸張って、生きろ」
涙が零れる。
「嫌だ……」
「お前がいないと……」
言葉にならない。
喉が震える。
「俺は……」
エースは目を細めた。
その顔は、不思議なくらい穏やかだった。
「こんな俺でも」
ゆっくり息を吸う。
「助けられて……良かったぜ」
その笑顔が。
最後だった。
瞳から、静かに光が消える。
肩から力が抜ける。
身体が重くなる。
それでもギンは何度も呼びかけた。
「……エース?」
返事はない。
「おい」
肩を揺する。
「起きろよ」
動かない。
「エース」
もう一度。
「なぁ」
何度呼んでも。
返事は返ってこなかった。
戦場だけが、静かだった。
その静寂の中で。
エースの胸から、小さな金色の光が浮かび上がる。
蛍火のような光だった。
温かく。
柔らかく。
それはゆっくりと宙へ昇り、迷うことなくギンの両手へ降りてくる。
光は少しずつ形を持ち。
やがて、一つの黄金の林檎になった。
手のひらへ収まるほどの、小さな果実。
「……なんだよ」
声が震える。
「こんなの……」
林檎は何も答えない。
けれど。
胸の奥で、確かに誰かの声がした気がした。
――託したぜ。
ほんの一瞬。
そんな気がしただけだった。
ギンは林檎を握り締める。
そして。
腕の中のエースを見る。
まだ温かい。
ほんの少し前まで笑っていた。
さっきまで話していた。
それなのに。
もう、その瞳が開くことはない。
「……なんで」
理解できなかった。
受け入れられなかった。
両親を失ったあの日。
世界が崩れたと思った。
でも違った。
本当に世界が壊れる音は。
もっと静かだった。
音もなく。
心のどこかが、ぽっかりと抜け落ちる。
叫びたいのに叫べない。
泣きたいのに涙も出ない。
ただ。
何も考えられなかった。
怪異はまだ遠くで吠えている。
無線は救援要請を叫び続けている。
誰かが仲間の名を呼んでいる。
世界は止まらない。
戦いも終わっていない。
それでも。
ギンだけは、その場から動けなかった。
腕の中の温もりだけが、少しずつ失われていく。
それを止める方法を。
彼は、知らなかった。




