異変
「――で、結局いつまでこっちにいるんだよ、エース」
ギンが缶ジュースのプルタブを起こしながら尋ねる。
待機室のソファでは、エースが腕を枕にして寝転がり、大きなあくびを一つこぼした。
「さあな。円卓のあの物騒な宣戦布告のせいで、しばらくは各支部の戦力をかき集めることになるだろ」
「ああ……」
円卓が世界政府へ宣戦布告してから、まだ日も浅い。
世界各地の支部では戦力の再編が急ピッチで進められ、神奈川支部にも応援要員が次々と派遣されていた。
アメリカ支部所属のエースも、その一人だった。
「ま、俺は助かってるけどな」
エースが片目を開けて笑う。
「ギンちゃんの顔、見飽きねえし」
「気持ち悪いこと言うな」
思わず顔をしかめる。
けれど、その返事に本気で嫌そうな色はなかった。
エースが近くにいる。
その事実だけで、どこか肩の力が抜けている自分がいる。
そんな感覚に、ギン自身はまだ気づいていなかった。
その穏やかな時間は、あまりにも突然終わる。
待機室の照明が、不気味な赤へと切り替わった。
次の瞬間。
支部中を揺らすような低い警報音が鳴り響く。
これまで聞いたことのない警報だった。
腹の底まで震わせるような重低音が、途切れることなく施設全体へ流れていく。
「……なんだ、この警報」
ギンが立ち上がる。
それと同時に、ソファから飛び起きたエースの表情からも、さっきまでの気だるさが完全に消えていた。
『――全職員へ緊急通達』
室長の声が館内放送に乗って響く。
いつも通り落ち着いた声音。
それでも、その奥に張り詰めた緊張だけは隠せていなかった。
『世界各地にて、次元の裂け目の出現を同時多発的に確認。詳細は追って通知する。全戦闘要員は直ちに戦闘配置に就け』
一瞬。
部屋の空気が凍りつく。
「……世界各地?」
思わずギンは呟いた。
これまでの事件は、一つの街、一つの現場で起きていた。
だが今回は違う。
世界中。
その言葉が意味する規模を、頭が理解しきれない。
「同時多発、か……」
エースが低く呟く。
いつもの軽口はどこにもなかった。
「行くぞ、ギン」
「ああ」
それだけで十分だった。
二人は同時に待機室を飛び出す。
廊下では、装備庫へ駆ける職員たちが慌ただしく行き交い、無数の足音が施設中に反響していた。
誰もが険しい表情を浮かべている。
現場へ向かう時の緊張とは違う。
もっと根本的な何かが崩れ始めている――そんな空気だった。
ギンは湧き上がる緊張を一瞬だけ抑え込みながら、装備庫へ向かって駆け出した。
胸の奥で、理由の分からないざわめきが膨らんでいく。
――何かが起きる。
いや。
もう、起きてしまったのだ。
この日を境に。
世界は、二度と元には戻らなかった。




