異例の招集
円卓の間へ足を踏み入れた瞬間。
ダージリンは息をのんだ。
空気が違う。
神気の密度が、普段とは比べものにならない。
円卓を囲む席には、それぞれの代表だけが座る。
それが、この会議の絶対の慣例だった。
しかし今日、その慣例は崩れていた。
オリンポスの代表の背後には、幾柱もの神々。
高天原にも。
ヴァルハラにも。
インドにも。
各神話圏の中枢を担う神々が、一堂に会している。
この場に姿を現すこと自体が稀な神格までいる。
「……これは。」
思わず声が漏れる。
書類挟みを持つ手へ、自然と力が入った。
対神交渉部門に残る記録。
歴代交渉官の日誌。
そのどれを遡っても、これほどの招集は見当たらない。
少なくとも、この百年では。
ダージリンは自席へ着きながら、静かに場を見渡した。
妙だった。
誰一人として言い争わない。
オリンポスも。
高天原も。
ヴァルハラも。
普段なら顔を合わせた瞬間に皮肉の一つは飛ぶ。
それが円卓の日常だった。
それなのに今日は、沈黙だけが広がっている。
そして。
全員が、同じ場所を見ていた。
円卓の最奥。
誰も座ることのないはずの空席。
そこには――
"何か"がいた。
輪郭はある。
確かに視界へ映っている。
しかし、焦点を合わせようとすると霞み、
目を逸らすと、またそこにいる。
人のようにも見える。
だが、人ではない。
神のようにも見える。
しかし、神とも違う。
存在だけが、現実からわずかにずれている。
ダージリンは無意識に息を止めた。
記録にはない。
協定にも存在しない。
それでも。
この場にいる神々は皆、その存在を当然のように受け入れていた。
誰一人として驚いていない。
まるで、以前から知っていたかのように。
その瞬間。
一柱の古き神が静かに立ち上がった。
オリンポスの代表ではない。
さらに古く、
さらに重い神格。
その声が円卓へ響く。
「本日は、議決のために集まってもらった。」
議決。
その一言に、ダージリンは眉をひそめる。
円卓は議論の場だ。
結論を急ぐことなど、これまで一度もなかった。
「諸君も、すでに話は聞いているだろう。」
その言葉に。
誰一人として首を傾げる神はいなかった。
静かに。
当然のように。
それぞれが頷く。
――知らないのは。
私だけなのか。
胸の奥が冷たくなる。
この場へ来る前に。
神々はすでに何かを共有している。
今日の会議は、相談ではない。
決定事項を確認するための場。
そう理解した瞬間だった。
不意に。
円卓の最奥にいる"何か"が動いた。
音はない。
足音もない。
それでも、確かに視線だけがダージリンへ向く。
全身の感覚が粟立った。
その存在を見ているはずなのに、
どんな姿だったのか説明できない。
思い出そうとすると、
記憶から零れ落ちていく。
「世界政府の交渉官。」
声が響く。
男とも女とも判別できない。
一人の声なのに、
幾重もの音が重なって聞こえる。
「今日ここで語られることは、いずれ歴史となる。」
「ゆえに、記録してほしい。」
ダージリンは返事ができなかった。
喉が動かない。
身体が拒絶している。
それほどまでに、その存在は異質だった。
やがて古き神が静かに両手を広げる。
「では、始めよう。」
その一言で。
円卓の空気が変わる。
しかし、それはいつもの激論ではない。
神々は争わない。
否定もしない。
ただ一柱ずつ。
静かに。
確かな意思を持って頷いていく。
その姿は恐ろしいほど統一されていた。
長い年月をかけても決してまとまらなかった神々が。
今だけは、一つの意思を共有している。
ただ一柱だけ。
ヴァルハラの若き戦神だけが動かなかった。
何かを言おうとして。
口を開きかけて。
隣に立つ年長の神と目が合う。
それだけで。
若き戦神は静かに口を閉ざした。
最後には頷く。
だが、その瞳に宿った迷いだけは消えなかった。
ダージリンは気付く。
自分の手が、小さく震えていることに。
理由は分からない。
何が決まろうとしているのかも分からない。
それでも、一つだけ確信できた。
これは、いつもの円卓ではない。
そして。
今日という日を境に。
神々と世界政府の関係は、決定的に変わってしまう。
そんな予感だけが、静かに胸を締め付けていた。




