神々の円卓
円卓の間は、現世のどこにも属さない。
人の世界でもなく、神域でもない。
その狭間にのみ存在する、静謐な円形の広間。
床も壁も天井も曖昧なまま、ただ巨大な円卓だけが、世界の中心であるかのように確かな存在感を放っていた。
ダージリンは慣れた足取りで、卓の外周へと歩み寄る。
世界政府側に用意された席。
神々の会議に、人間が加わることは許されない。
交渉官である彼女の役目は、あくまで記録と伝達。
決して裁定ではない。
すでに各神話圏の代表は席についていた。
黄金の装飾をまとい、王のような威厳を漂わせる者。
純白の装束に身を包み、静かな神気をまとった老神。
幾重もの装飾を身に着け、星々の理を映したような瞳を持つ者。
武具を鳴らしながら腕を組み、獣のような気迫を隠そうともしない戦神。
互いに出自も価値観も異なる神々。
本来であれば、決して同じ卓を囲むことなどない存在たちだった。
「――だから言っているだろう」
最初に口を開いたのは、オリンポスの代表だった。
卓へ身を乗り出し、不敵な笑みを浮かべる。
「今期の資源配分は我らへ厚くすべきだ。
対怪異戦闘における加護、その一割二分は我らオリンポスが支えている」
「一割二分程度で誇るとは、ずいぶん慎ましいことだ」
対岸から穏やかな声が返る。
白髪の老神――高天原の代表だった。
「結界と浄化の維持は、我らが一割八分を担っている。
怪異を討つだけでは秩序は守れぬ」
「情報と未来予測なら我らだ」
今度はインドの代表が静かに口を開く。
「星々の巡りを読み、人類では届かぬ未来を補っている。
それなくして世界政府は十分な備えを築けまい」
「……災害級怪異への直接介入を忘れてもらっては困る。」
低く響く声。
北欧の代表だった。
「人の軍だけでは止められぬ災厄は少なくない。
その最前線に立つのは、いつも我らヴァルハラだ」
神々は互いに譲らない。
自らの神話こそ最も優れていると信じ、
自らの役割こそ最も重要だと疑わない。
それが、この円卓の日常だった。
ダージリンは淡々と議事録へ記していく。
神々は世界政府そのものではない。
戦闘。
結界。
予知。
災害対応。
それぞれの分野で一割から二割ほどを担う補助戦力。
数字だけ見れば決して多数ではない。
だが、その一割二割は、人類だけでは決して埋められない領域だった。
だからこそ世界政府は、彼らと協定を結び続けている。
そして神々もまた、人の世界と共に在る道を選び続けてきた。
本来なら。
会議は、このまま昼まで終わらない。
互いに譲らず。
皮肉を飛ばし合い。
それでも最後には、どうにか折り合いをつける。
それが神々の円卓だった。
――だが。
今日の空気は、どこか違う。
議論は続いている。
声も大きい。
言葉も鋭い。
それなのに。
熱だけがなかった。
まるで誰も、本気で勝とうとしていない。
言い争っているというより、
"言い争っているふり"をしているようだった。
ダージリンは記録の手を止め、円卓を静かに見渡す。
その違和感は、すぐに見つかった。
オリンポスの代表。
高天原の代表。
インドの代表。
北欧の代表。
皆、議論の合間にほんの一瞬だけ、
同じ方向へ視線を向けている。
円卓の最奥。
そこには一脚の椅子が置かれていた。
空席。
議長席ではない。
円卓に上下関係は存在しない。
誰もが対等。
それが、この会議の絶対の原則だった。
だからこそ、その席には最初から誰も座らない。
……それなのに。
誰もが、その空席を気にしている。
「……何か、懸念でもおありでしょうか」
気づけば、ダージリンは一歩前へ出ていた。
人間が神々の議論へ口を挟む。
本来なら許されない無礼。
それでも、尋ねずにはいられなかった。
一瞬。
円卓が静まり返る。
「懸念?」
オリンポスの代表は肩をすくめ、不敵に笑った。
「何もない。」
その笑みは、いつもと変わらない。
……ように見えた。
「今日の議題は資源配分の見直しだ。
それ以上でも、それ以下でもない」
高天原の代表も何も言わず、小さく頷くだけだった。
ダージリンは静かに頭を下げ、自席へ戻る。
胸の奥に、小さな棘が刺さる。
毘沙門天の社で覚えたものと、よく似た感覚。
証拠はない。
記録にも残せない。
それでも交渉官として積み重ねてきた経験が告げていた。
――何かが、おかしい。
会議は最後まで何事もなく進み、
表向きには普段どおり閉会した。
神々はそれぞれの神域へ帰っていく。
ダージリンも書類をまとめ、円卓の間を後にした。
出口で一度だけ振り返る。
静まり返った円卓。
誰もいないはずの最奥の席。
その空席に――。
ほんの一瞬だけ。
誰かが腰掛けていたような気がした。
瞬きをした時には、もう何もない。
気配だけが、静かに消えていく。
見間違いだ。
そう結論づけるしかなかった。
しかし、その違和感は。
胸の奥で、確かに形を持ち始めていた。




