祭りのあと
提灯の明かりが、一つずつ消えていく。
数時間前まで人の声と笑い声で満ちていた境内は、少しずつ本来の静けさを取り戻していた。
残された屋台は片付けられ、参道には掃除をする職員たちの姿がある。
誰も大きな声を出さない。
大きな事件があったことも。
その裏側で危険なものが滲み出しかけていたことも。
ここにいる一般の人々は、何も知らない。
それでいい。
それが、彼らの仕事だった。
「……終わったな」
片付けを終えたギンは、境内の端でぼんやり立っているクロを見つけた。
祭りの明かりが消えていく様子を、どこか遠くから眺めているようだった。
「クロ」
「あ……ギンさん」
名前を呼ばれたクロが、慌てて振り返る。
「お疲れ様です」
いつものように、少し背筋を伸ばして頭を下げる。
ギンは苦笑しながら手を振った。
「そんな固くすんなって」
「す、すみません」
「だから、それ」
「あ……」
クロが困ったように口を閉じる。
その様子がおかしくて、ギンは小さく笑った。
「今日のこと」
「はい?」
「助かった」
短い言葉だった。
けれど、クロにはそれが十分すぎるほど伝わった。
「東側の反応、お前が気づかなかったら対応が少し遅れてたかもしれねえ」
「でも……僕は、ただ資料を読んでいただけで」
「それができる奴が少ないんだよ」
ギンは夜の境内を見ながら続ける。
「現場で戦う奴だけが役に立つわけじゃねえ」
「……」
「お前は、お前にできることをやった。それで十分だろ」
クロは何も返さなかった。
ただ、少しだけ目を伏せる。
「……僕なんかでも」
小さな声だった。
ギンはすぐに言葉を返す。
「"僕なんか"って言うな」
クロが顔を上げる。
「今日、お前がいたから助かった。それは事実だ」
「……はい」
「だから、もう少し自信持て」
ぶっきらぼうな言葉。
けれど、不思議と温かかった。
クロはしばらく黙ったあと、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
その声は、いつもの謝罪ではなかった。
少しだけ、嬉しそうだった。
クロはふと空を見上げる。
鎌倉の夜空には、都会では見えないほど多くの星が浮かんでいた。
以前の自分なら。
きっと、この場所にいることすら申し訳なく思っていた。
世界政府に拾われた。
生き残った。
それだけで、周りに迷惑をかけている気がしていた。
でも。
今日、誰かの役に立てた。
誰かに必要とされた。
その事実が、胸の奥に小さな灯りのように残っている。
――ここにいても、いいのかもしれない。
そんな考えが浮かんだことに、自分自身が一番驚いていた。
「二人とも」
声に振り返る。
そこには、片付けの確認を終えた室長が立っていた。
「今回は、大きな問題なく収束した」
室長は静かに二人を見る。
「皆の働きがあったからだ」
「室長も、お疲れ様です」
ギンが軽く頭を下げる。
クロも慌てて続いた。
室長は小さく頷いた。
そして、ふと夜空へ視線を向ける。
「……ただ」
その声の変化に、ギンが顔を上げる。
「最近、各地から届く報告に、少し気になるものが増えている」
「気になるもの?」
室長はしばらく黙った。
まるで、言葉を選ぶように。
「今までとは違う流れが、始まっているような気がしている」
風が境内を抜ける。
遠くで、最後の祭り囃子が小さく響いた。
「……まあ」
室長は小さく息を吐く。
「今夜くらいは忘れていい」
そして、二人へ向き直る。
「よくやった。今日は休め」
それだけ言うと、室長は静かに歩き去っていった。
しばらく、その背中を見送る。
「……なんか、気になる言い方でしたね」
クロが呟く。
「ああ」
ギンも夜空を見る。
「でも」
少し間を置いて、続けた。
「今はいいだろ」
祭りは終わった。
任務も終わった。
今日だけは、何も考えなくていい。
ギンは大きく伸びをする。
静かな境内に、虫の声と遠い波音だけが残っていた。
誰も知らない。
この穏やかな夜の先に。
世界そのものを揺るがす、大きな異変が待っていることを。




