いつもの仕事
祭りが最も賑わいを見せ始めた頃だった。
提灯の灯りが参道を照らし、屋台からは香ばしい匂いが流れてくる。
笑い声も、祭り囃子も絶えることはない。
そんな喧騒の中、不意に耳元の通信機が短く震えた。
『――予測時刻到達。地脈反応、上昇開始』
室長の落ち着いた声だった。
ギンは食べかけだった串焼きをゴミ箱へ放り込み、顔つきを切り替える。
「時間か」
「予定通りだな」
隣のエースも頷く。
二人は目立たないよう人混みを抜け、境内の裏手へ向かった。
祭りは何一つ変わらず続いている。
異変に気付く一般客は、一人もいなかった。
裏手では、すでに各班が配置についていた。
術式班は結界杭の最終確認。
警備班は参道との境界線を自然な形で封鎖。
応援職員も、それぞれ持ち場で静かに待機している。
誰も慌てていない。
全員が、この瞬間を待っていた。
『第一次反応、確認』
ココアの声が通信へ流れる。
『予測座標との誤差、〇・四メートル。解析値の範囲内です』
室長が短く応じた。
「第一段階、開始」
その合図と同時に、境内の数か所から淡い黒い靄が滲み始める。
地面から染み出すような、不快な揺らぎ。
形を持つ前の"ホトケ"だった。
「結界班、固定」
ユズが護符を掲げる。
数人の術士が同時に札を打ち込み、淡い光が地面を走った。
滲み出しかけた靄が、その場で押し留められる。
しかし完全には止まらない。
ごくわずかに、東側へ流れようとしていた。
その瞬間だった。
『クロです!』
少し緊張した声が通信へ飛び込む。
『三十二年前と十七年前の記録では、この反応のあと必ず東側の井戸跡へ流れています! 今年も同じなら――』
ココアが即座に照合する。
『一致しました。過去十二件中十二件。同傾向です』
「東側へ二班追加」
室長の指示は一拍も遅れない。
「了解!」
応援職員たちが即座に移動を開始する。
ギンとエースも同時に駆けた。
「ギン、右」
「了解」
二人は結界の外縁へ回り込み、万一漏れ出した場合に備える。
だが、その役目は最後まで訪れなかった。
ユズを中心とした術式班が、流れ始めた穢れを正確に封じ込める。
別方向では応援職員が護符を追加し、警備班が一般客を自然な導線へ誘導していた。
混乱は起きない。
悲鳴もない。
誰一人、自分の持ち場を外さない。
『収束率、七十八……八十九……九十七』
ココアの報告が続く。
『地脈反応、減衰確認』
黒い靄がゆっくりと薄れ、
やがて何事もなかったかのように消えていく。
静寂。
そして再び、
遠くから祭り囃子だけが聞こえてきた。
室長は結界全体を見渡し、小さく頷く。
「……終了だ」
誰かが歓声を上げることはなかった。
各班は確認作業へ移り、
警備班は何事もなかったように境内へ戻っていく。
これもまた、日常業務の一つだった。
エースが肩を回しながら笑う。
「聞いてたより平和な任務だったな」
「みんな準備してたからだ」
ギンが短く返す。
通信機から、おずおずとクロの声が聞こえた。
『あの……』
「ん?」
『僕の情報……役に立ちましたか』
ギンは少し笑って答える。
「ああ。かなり助かった。」
「資料を全部覚えてる奴なんて、そうそういねぇよ。」
通信の向こうで、小さく息を呑む音がした。
『……ありがとうございます』
その声は、どこか照れくさそうだった。
祭りは今も続いている。
参拝客は誰一人として、
自分たちが危険のすぐそばにいたことを知らない。
それでいい。
世界政府の仕事とは、
誰にも知られないまま日常を守り抜くことなのだから。




