バカ
人混みを抜け、境内の裏手までたどり着いてから、ユズはようやく足を止めた。
祭りの喧騒は木々に遮られ、ここまで届くのは風に乗った祭り囃子だけだった。境内の表では笑い声が響いているはずなのに、この場所だけが切り離されたように静かだった。
ユズは小さく息を吐く。
その瞬間、胸の奥に押し込めていた言葉が、また浮かび上がってきた。
――浮ついたの、良くないと思う。
――はっきり言って、邪魔。
「……っ」
思わず唇を噛む。
分かっている。
ああいう言い方しかできない人だということくらい、とっくに知っている。
照れ隠しなのか、素直になれないだけなのか。それとも本当に何も考えていないのか。
考えたって、答えは出ない。
それでも。
「……やっぱり、傷つくよ」
声にした途端、自分でも驚くほど弱い声だった。
ユズは懐から護符を取り出した。
結界の要となる岩へ、一枚ずつ慎重に貼り付けていく。
護符の角度。
霊脈との位置。
結び目の向き。
どれも一つでも狂えば意味がない。
だから手だけは、迷わなかった。
父に何度も教え込まれた手順を、体が覚えている。
――任務中。
余計なことを考えちゃ駄目。
そう言い聞かせても、意識は勝手にさっきの参道へ戻ってしまう。
あの小物入れは、屋台を何軒も見て回って選んだものだった。
派手じゃなくていい。
丈夫で、毎日使えるものがいい。
ギンはきっと、そういう方が好きだから。
ただ、それだけだった。
特別な意味なんて持たせるつもりはなかった。
……少しくらい、「ありがとう」って笑ってくれたら嬉しいな。
そんな小さな期待を、自分でも気づかないうちに抱いていただけだ。
「……バカ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
自分なのか。
ギンなのか。
それとも、勝手に期待してしまった、この気持ちなのか。
無意識に、自分の耳へ触れる。
指先が耳飾りを撫でた。
そして自然と、ギンの耳元を思い浮かべる。
あの日渡した耳飾りは、今もちゃんと付けてくれている。
それだけで嬉しかったはずなのに。
「欲張り、だな……」
小さく笑おうとして、笑えなかった。
風が吹き抜ける。
木々が揺れ、結界に組み込まれた護符がかすかに鳴った。
ユズは深く息を吸う。
ゆっくり吐く。
そして最後の護符を所定の位置へ貼り付ける。
「……大丈夫」
その一言は、自分自身へ向けたものだった。
今日は任務だ。
何が起ころうと、結界だけは守り切る。
そう決意して立ち上がったユズの耳に、遠くから祭り囃子が届く。
楽しげな音色だけが、今はまるで別の世界の出来事のように聞こえていた。




