ガキ
日が傾き始めた頃には、参道は提灯の明かりと人々の笑い声で賑わっていた。
祭り囃子が流れ、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。
「いやぁ、祭りってのはこうでなくちゃな」
串焼きを片手に歩くエースが、楽しそうに辺りを見回した。
もっとも、その視線は時折人混みの奥や屋根の上へと向いている。
遊んでいるように見えて、警戒は一瞬たりとも切らしていなかった。
「食いながら仕事すんなよ」
「逆だよ。仕事しながら食ってんの」
肩をすくめるエースに苦笑しながら、ギンも参道を歩く。
そのときだった。
「……ギン」
聞き慣れた声に振り返る。
巫女装束のユズが、小さな包みを両手で持って立っていた。
「これ。」
「ん?」
「屋台で見つけたの。」
少しだけ視線を逸らしながら続ける。
「今使ってる小物入れ、だいぶ傷んでたから。」
「祭りの記念みたいなもの。……別に深い意味はないけど。」
そう言って包みを差し出す。
開いてみると、黒い革に飾り紐が付いた小さな小物入れだった。
派手ではない。
けれど丈夫そうで、いかにもギンが普段使いそうな品だった。
「……これ。」
思わず声が漏れる。
「ありが──」
その瞬間だった。
「あっ、ギンくーん!」
明るい声が人混みの向こうから飛んできた。
私服姿のココアが、小走りで駆け寄ってくる。
「ちょうどよかったぁ!」
手には、やはり小さな包み。
「あ、ユズちゃんもいたんだ!」
屈託なく笑う。
「実はね、私も屋台で見つけて、ギンくんに似合うかなって思って。」
そう言って包みを差し出した。
中には革紐を編み込んだシンプルな腕輪が入っている。
「あれ?」
ココアが目を丸くする。
「ユズちゃんもプレゼント?」
「……うん。」
「わ、偶然だね!」
悪気は、本当に一つもなかった。
だからこそ、その場の空気だけが少しずつ固まっていく。
ユズは小物入れを持ったまま。
ココアは腕輪を差し出したまま。
二人とも自然な笑顔を浮かべている。
なのに、ギンだけが汗を流していた。
(やばい。)
(これ、どうすりゃいい。)
受け取れば、もう一人に悪い気がする。
順番を決めても角が立つ。
断るのも失礼だ。
頭の中が一気に真っ白になる。
恋愛経験ゼロ。
こんな状況の対処法など知るはずもない。
(落ち着け。)
(今日は任務だ。)
(そうだ、それを理由に──)
「……二人とも。」
ようやく絞り出した声は、思っていたより硬かった。
「今日は任務中だろ。」
二人が同時にこちらを見る。
「こういうのは……任務が終わってからにしてくれ。」
ここまでは、まだよかった。
けれど焦りは止まらない。
「今は余計なことで気を散らしたくない。」
「こういうことで揉められても困る。」
言った瞬間。
空気が止まった。
ユズの表情から、すっと笑みが消える。
「……そう。」
小さく息をついたあと、無理に笑顔を作る。
「ごめん。」
「仕事中だったね。」
それだけ言って、小物入れをそっと引っ込めた。
「また今度にする。」
踵を返し、人混みの中へ歩いていく。
その背中は、どこか少しだけ小さく見えた。
「……。」
ココアも静かに腕輪を見つめる。
それから、困ったように笑った。
「えへへ……私も空気読めなかったかぁ。」
包みをバッグへ戻す。
「解析班、戻らなきゃ。」
「またあとでね。」
いつもの調子を崩さないよう努めながら、反対方向へ歩いていった。
残されたギンは、その場で固まる。
「…………。」
胸の奥が重い。
言いたかったのは、あんなことじゃない。
二人とも任務に集中してほしかった。
喧嘩になってほしくなかった。
それだけだった。
なのに。
「……違うんだよ。」
誰にも届かない声が漏れる。
少し離れた屋台の陰。
串焼きを食べ終えたエースが、その一部始終を静かに見ていた。
「……あーあ。」
苦笑しながら紙串を捨てる。
「ギンちゃん、それは一番やっちゃいけない失敗だぞ。」
もちろん、その声は本人には届かない。
エースは肩をすくめると、それ以上は何も言わず、人混みの警戒へと戻っていった。
祭り囃子は変わらず賑やかに鳴り続けている。
けれどギンの耳には、それが少しだけ遠く聞こえていた。




