頭の中
朝一番の掃き掃除は、物心つく前から続けている習慣だった。
境内の石畳を箒で払いながら、ユズはひんやりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。
まだ参拝客の姿はない。
静かな境内には、竹箒が砂利を掃く音だけが規則正しく響いていた。
今日という日が、特別な日であることを、身体は昔から知っている。
祭りの日。
そして、厄除けの神事の日。
表では大勢の人が笑い、屋台が並び、子どもたちが走り回る。
その裏側では、誰にも知られない結界の維持と、穢れを封じるための儀式が進められる。
どちらも、この神社に生まれた自分の役目だった。
「――ユズ」
奥の間から室長が姿を見せる。
今日は支部長ではなく、この神社の宮司としての装いだった。
「準備は」
「できてる。結界札も、祭具も確認した」
ユズは懐に忍ばせた護符へそっと触れる。
祭りで使う飾り札に紛れるように、本物の結界札が何枚も混ぜ込まれている。
一般の参拝客が気付くことはない。
だからこそ意味がある。
「今年は例年より念入りに頼む」
「……うん」
ココアの解析結果は、もう頭に入っている。
過去の記録よりも高い異常値。
だから今回だけは、世界政府も各地から応援を呼んだ。
「遊撃はギン君とエース殿が担当する」
「知ってる」
「安心して任せられる」
父がそう言い切ったことに、ユズは少しだけ驚いた。
普段、人をそう簡単に褒める人ではない。
「父さん、結構評価してるんだ」
「当然だ。任務を見れば分かる」
それだけ言うと、室長は祭具の確認へ戻っていった。
ユズも再び境内を歩き始める。
提灯の位置を確認し、参道へ護符を仕込み、屋台の配置を見回る。
一つ一つは祭りの準備。
そのすべてが、裏では結界の一部になっている。
誰も知らない。
知られなくていい。
それが、この神社の在り方だった。
作業の途中、参道に並び始めた露店へ目が留まる。
色とりどりの飾り紐や、小さなお守り、小物入れ。
その中に、黒い革で作られた素朴な小物入れがあった。
丈夫そうで、余計な飾りもない。
ふと、誰かの腰にぶら下がっている姿を想像する。
……案外、似合いそう。
そこまで考えて、ユズは首を振った。
「何考えてんの、ワタシ」
今日はそんなことを考える日じゃない。
そう言い聞かせながら歩き出したものの、数歩進んでからもう一度だけ振り返ってしまう。
値札は思ったより安かった。
「……あとで、残ってたら」
誰に聞かせるでもなく呟いて、その場を離れる。
昼が近づくにつれ、境内にも人の気配が増え始めた。
提灯を運んでいると、鳥居の向こうから見慣れた姿が歩いてくる。
ギンだった。
その少し後ろには、腕を組んだエースの姿もある。
「手伝うことある?」
開口一番、それだけだった。
祭りを見に来たというより、仕事をしに来た顔。
ユズは思わず笑ってしまう。
「いっぱいある」
「了解」
迷いなく提灯の束を担ぐギンを見て、エースが肩をすくめた。
「お前、来た瞬間から働いてんな」
「任務だからな」
その返事があまりにも自然で、ユズは小さく息を吐く。
祭りが始まるまで、あと少し。
せめてこの慌ただしい時間くらいは、いつも通りでありますように。
そんなささやかな願いを胸にしまいながら、ユズは再び境内を歩き始めた。




