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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード3
32/94

新しい風

ベヒモス事件が終結してから、数日。


 神奈川支部には、ようやく普段の静けさが戻りつつあった。


 結界の点検を終えたユズは、廊下で室長と顔を合わせる。


「ユズ、本部から内部調査の担当者が来るって話は聞いたかい?」


 穏やかな口調のまま、室長は歩調を合わせてくる。


「まあね。……何かあったんですか?」


「ベヒモス事件の事後調査さ。もっとも、この件は一部の人間しか知らない話だけどね」


「ふーん……」


 ユズは軽く相槌を打った。


 あれほどの事件だ。各支部へ確認が入ることくらい、不思議ではない。


 その程度の認識しかなかった。


 二人はそのままエントランスへ向かう。


 すでに室長は来客を迎える準備を整えており、ユズはただ偶然その場に居合わせただけだった。


 やがて、転移魔方陣が淡く輝く。


 光が収まると、一人の少女が姿を現した。


 肩口で切り揃えられた淡い桃色の髪。


 白衣の上からゆるく羽織ったパーカー。


 丸い伊達眼鏡の奥には、人懐っこそうな瞳が笑っている。


「はじめましてっ!」


 少女は元気よく一礼した。


「情報解析局所属、ココアです♪ 本日からしばらくお世話になります。よろしくお願いします!」


 思った以上に礼儀正しい。


 室長も柔らかく微笑み返した。


「ようこそ神奈川支部へ。話は聞いているよ。調査が終わるまで、こちらで協力させてもらう」


「ありがとうございます!」


 ココアはぱっと顔を輝かせる。


「施設も見て回りたいので、あとで案内していただけると嬉しいです!」


「もちろん構わないよ」


 和やかな挨拶を交わす二人を横目に、ユズは静かに踵を返そうとした。


 その時だった。


「あっ!」


 弾んだ声が支部内に響く。


 廊下の向こうから、一人の青年が歩いてきていた。


 銀髪の少年――ギン。


「もしかして、ギンくん?」


「……は?」


 突然名前を呼ばれ、ギンは怪訝そうに立ち止まる。


 ココアは迷う様子もなく駆け寄った。


「やっぱり!」


 ぱっと笑顔を咲かせる。


「データで見た通りだぁ。実物のほうがずっとかっこいいね!」


「……誰?」


「ココアです♪ 本部の情報解析局から来ました!」


 ぺこりと頭を下げる。


「今回の事件の調査で、しばらくお世話になります!」


「……ああ」


 ギンはまだ状況を飲み込めていないらしい。


 その様子を気にも留めず、ココアは自然な距離まで歩み寄った。


「よろしくね、ギンくん」


 軽く腕に触れる。


 本当に一瞬だけ。


 けれど初対面としては、ずいぶん近い。


「……近い」


「あはは、ごめんごめん♪」


 そう言いながらも、一歩しか下がらない。


 むしろ興味深そうにギンを見つめている。


「記憶処理も受けずに、世界政府職員になったんだよね?」


「……そうだけど」


「すごいなぁ。そういう経歴の人、私初めて見た」


 屈託のない笑顔。


 まるで以前からの知り合いのような親しさだった。


「すっごく興味あるかも」


「……初対面で言う?」


「言っちゃった」


 ココアは舌を少しだけ出して笑う。


「ごめんね?」


 悪びれる様子はほとんどない。


 ギンは困ったように眉を寄せるだけで、それ以上何も言わなかった。


 拒絶するわけでもなく、受け入れるわけでもなく。


 ただ、初めて会うタイプの相手に戸惑っている。


 そんな反応だった。


 少し離れた場所で、その様子を見ていたユズは、小さく息を止める。


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


 理由は分からない。


 ココアが悪いことをしたわけではない。


 ギンだって、何もしていない。


 なのに。


 あの距離の近さ。


 自然に笑いかける表情。


 ギンのすぐ隣へ入り込んでいく姿。


 それら全部が、胸のどこかを引っかいていく。


 ――なんなの。


 胸の奥が落ち着かない。


 見ているだけなのに、なぜか居心地が悪い。


 そんな感覚は初めてだった。


 自分でも、その正体が分からない。


「ユズ?」


 室長の声で、はっと我に返る。


「え?」


「案内を途中まで手伝ってもらえるかな。彼女もしばらくここで仕事をするから」


「あ……はい」


 短く返事をしながら、もう一度だけギンたちを見る。


 ココアは相変わらず楽しそうに話しかけていて、ギンは少しだけ困ったような顔をしている。


 その光景が、なぜか頭から離れない。


 ――別に。


 ――何でもない。


 心の中でそう繰り返しながら、ユズは二人から視線を逸らした。


 けれど、一度芽生えた小さな棘は消えなかった。


 むしろ時間が経つほど、少しずつ、その存在を主張し始める。


 名前も分からない感情が、静かにユズの胸の奥で息づき始めていた。


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