終わらない違和感
「――封印完了。封印個体No.031《ベヒモス》、再封印を確認」
報告が響いた瞬間、情報解析局のフロアを満たしていた張り詰めた空気が、ほんのわずかに緩んだ。
大型モニターには、崩壊した封印施設が映し出されている。砂塵の向こうで、巨大な獣の身体が幾重もの結界に包まれ、ゆっくりと動きを止めていく。
十年前、島一つを壊滅寸前まで追い込んだ災厄。
その再来だけは、どうにか防ぐことができた。
もちろん、被害は決して小さくない。
施設は半壊し、周辺地域にも甚大な損傷が出ている。それでも、世界政府が積み重ねてきた技術と経験は、十年前より確実に組織を強くしていた。
「前衛部隊、負傷者四十三名。死者十五名」
新たな報告が読み上げられる。
ココアは画面から目を離さず、小さく息を吐いた。
予想よりは少ない。
そう判断した自分に、少しだけ苦笑する。
現場で命を落とした職員たちの顔も名前も知らない。それでも、数字だけで被害を評価してしまうのは、分析官という仕事の癖なのだろう。
「お疲れ、ココア。今日はもう上がっていいぞ」
同僚が肩を回しながら声をかける。
「んー……もうちょっとだけ」
ココアは椅子をくるりと回し、笑顔を浮かべた。
「事後処理まで終わらせたいし」
「真面目だなぁ」
「性分なの」
そう言って笑うと、再びモニターへ向き直る。
現場が終息すれば、次は情報解析局の仕事だ。
各支部から送られてくる戦闘記録。
通信ログ。
時系列データ。
転移履歴。
部隊配置。
それらを照合し、一つの事件として整理する。
地味だが、誰かが必ずやらなければならない仕事だった。
ココアの指先が軽やかにキーボードを叩く。
一つ。
また一つ。
膨大なログが整理され、時系列へ並び替えられていく。
「……ん?」
その手が、不意に止まった。
通信記録。
転移承認。
応援要請。
各支部の出動記録。
それぞれを重ね合わせる。
「……変」
呟きながら、さらに別の画面を開く。
通常なら、応援要請が発令されると同時に、
受付。
承認。
転移準備。
出動。
そのすべての履歴が秒単位で記録される。
しかし、いくつかの支部だけ、その流れが不自然だった。
承認ログが途中で欠けている。
通信のタイムスタンプに微妙なずれがある。
書式も僅かに統一されていない。
一つひとつは些細な違和感。
単独なら、見逃しても不思議ではない程度の誤差だ。
けれど。
同じような綻びが、複数の支部で繰り返されている。
「……偶然?」
その言葉を口にした瞬間、別の事件が頭をよぎった。
少し前。
同時多発ゾンビ事件。
あの事件も、どこか説明の足りない報告書だった。
原因不明。
偶然。
それだけで片付けられた事件。
「……また?」
ココアは眉を寄せる。
もちろん、断定できる材料など何もない。
通信障害かもしれない。
入力ミスかもしれない。
現場の混乱による記録漏れかもしれない。
それでも。
胸の奥で、小さな警鐘が鳴っていた。
「ココア?」
上官が足を止める。
「どうした」
「あ、はい」
ココアは画面を指差した。
「複数支部の通信ログなんですけど、少し気になるところがあって」
上官は画面へ目を向ける。
しばらく無言でデータを追い、
「……確かに」
と、小さく呟いた。
「一つ一つは説明できそうだが、数が多いな」
「はい」
「現地で記録を照合した方が早そうです」
ココアは頷く。
「だったら、その調査」
一拍置いて、笑顔を浮かべた。
「私に任せてもらえませんか?」
上官は少しだけ驚いたような表情を見せる。
「珍しいな。お前が現場を希望するとは」
「気になったことは、検証しないと気が済まない性分なので」
その返答に、上官は苦笑しながら肩をすくめた。
「分かった。派遣申請はこちらで通しておく」
「ありがとうございます」
「数日中には現地へ向かえるだろう」
ココアは深く頭を下げた。
上官が立ち去ると、静かなフロアにキーボードの音だけが戻ってくる。
ココアはもう一度だけ、問題のログを開いた。
ほんのわずかな時刻のずれ。
欠けた承認履歴。
説明できそうで、説明しきれない空白。
「……ただの記録ミスなら、それでいいんだけど」
モニターを閉じる。
画面が暗転する直前、最後まで表示されていたタイムスタンプだけが、黒い画面に一瞬だけ残った。
0.7秒。
ココアはその数字をじっと見つめる。
「……たった〇・七秒」
誰にも聞こえない声で呟く。
「でも、この〇・七秒が――なんだか、すごく気になる」
静かな笑みを浮かべたまま、彼女は端末の電源を落とした。
その違和感が、自分をどこへ導くことになるのか。
このときのココアは、まだ知る由もなかった。




