総力戦の号令
支部全体を揺らすような警報が鳴り響いたのは、ユズが結界の巡回を終えた直後だった。
甲高い警報音が廊下へ反響し、赤い警告灯が断続的に明滅する。
『――全職員、エントランスへ集合。緊急出動命令』
放送が流れるより早く、ユズは駆け出していた。
すれ違う職員たちも一様に足を速めている。
普段は落ち着いた空気が流れる神奈川支部に、明らかな緊張が満ちていた。
エントランスへ到着すると、すでに室長が職員たちを前に立っていた。
その穏やかな表情は影を潜め、静かな緊迫感だけが漂っている。
「状況を説明する」
集まった職員たちを見渡し、室長は口を開いた。
「封印個体No.031――通称『ベヒモス』の封印が破られた」
その名前が告げられた瞬間、周囲がざわめく。
「現場は海外某支部管轄の島嶼国。十年近く前、大震災の被災地となった場所だ」
誰も口を挟まない。
続きを待っている。
「世界政府は本件を戦略級災害と認定した」
室長の声が一段低くなる。
「総力戦で対応する」
その一言の重みを、ユズは肌で感じた。
支部単位ではない。
世界政府全体が動く規模の事件。
それだけで、事態の深刻さは十分伝わってくる。
「神奈川支部にも応援要請が届いている」
室長はユズを見る。
「ユズ」
「はい」
「結界班――巫女姫として、再封印作戦へ参加してもらう」
「了解しました」
迷いなく答える。
胸の奥では緊張が波打っている。
それでも、恐怖より先に体が動いていた。
「前衛戦闘部隊については――」
その時だった。
廊下の奥から足音が響く。
振り向けば、すでに装備を身につけたギンが歩いてきていた。
「話は聞いた」
ケースを肩へ担ぎ直しながら言う。
「俺も出るんだろ」
「話が早いね」
室長は小さく頷いた。
「戦略級案件だ。神奈川支部の戦闘員は全員出動してもらう」
モニターへ現地情報が映し出される。
「転移後は現地支部へ合流。その後、アメリカ支部戦闘部隊隊長――エース君の指揮下へ入る」
「エースが?」
ギンがわずかに眉を動かした。
「近隣で稼働していた部隊だからね」
室長は説明する。
「最も早く戦力を投入できる」
「了解」
短く返事をし、ギンは自分の装備を点検し始める。
その横でユズも護符や術具を一つずつ確認していく。
手順はいつも通り。
何度も繰り返してきた確認作業。
なのに今日は、指先へ妙な力が入っていた。
護符を持つ手が、少しだけ固い。
深呼吸を一つして気持ちを整える。
「――ユズ」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
ギンがこちらを見ていた。
「ユズも来るんだ」
「当然でしょ」
ユズは護符を持ち直す。
「再封印には結界班が必要なんだから」
「……そうか」
それだけ言って、ギンは再び装備へ視線を落とした。
いつも通りの返事。
いつも通りの無表情。
なのに今日は、その横顔が少しだけ遠く感じた。
ユズは小さく息を吸う。
言うつもりなんてなかった。
本当に、なかったのに。
「……ギン」
自然と言葉がこぼれる。
「気をつけてね」
言った瞬間、自分で驚いた。
柄じゃない。
今さら取り消すこともできない。
ギンは装備を締めていた手を止めた。
ゆっくりとこちらを見る。
少しだけ間を置いてから、
「……ユズも」
それだけ返した。
ぶっきらぼうな一言。
けれど、その声はどこか穏やかだった。
二人とも、それ以上は何も言わない。
言葉を重ねれば、この張り詰めた空気の中で何かが変わってしまいそうだった。
「転移魔方陣、起動完了!」
職員の報告が響く。
エントランス奥の巨大な魔方陣が青白く輝き始め、幾重もの光の輪が床いっぱいに広がっていく。
「各隊、転移準備!」
室長の号令が飛ぶ。
「前衛戦闘部隊、結界班、順次転移開始! 目的地は封印施設周辺!」
職員たちが一斉に魔方陣へ踏み出した。
ユズも護符を握り締め、光の中へ足を進める。
隣にはギン。
その横顔は、いつもと変わらず不敵だった。
けれど。
固く握られた拳だけは、いつもより少しだけ力が入っているように見えた。
――大丈夫。
声には出さず、心の中だけでそう呟く。
青白い光が視界を埋め尽くす。
次の瞬間。
二人を含む神奈川支部の隊員たちは、十年前の傷跡が今なお残る島へと転移していた。




