頭脳が戦場になる時
けたたましい警報音が、情報解析局の静寂を引き裂いた。
赤い警告灯が一斉に点滅し、フロア全体が非常事態を告げる光に染まる。
普段なら各々のモニターへ向かって黙々と作業を続ける職員たちが、一斉に顔を上げた。
ココアも口の中で転がしていたキャンディを止め、反射的に正面のモニターへ視線を向ける。
次々と流れ込む情報を、その瞳が瞬く間に読み取っていく。
「……封印個体No.031」
小さく呟く。
「封印機構に異常」
その一言だけで、周囲の空気が凍りついた。
「No.031……?」
隣の同僚が画面を覗き込み、息をのむ。
「まさか――ベヒモスか」
「うん」
ココアはすでに別の画面を開いていた。
「十年近く封印されてた個体」
大型モニターへ現地映像が映し出される。
海外支部管轄の島嶼国。
かつて未曾有の災害に見舞われた土地。
その中心部に築かれた巨大封印施設だった。
地面が大きく脈打つ。
監視カメラが激しく揺れ、映像には何度もノイズが走る。
砂煙。
警報。
施設内を走る職員たち。
そして。
映像は唐突に途切れた。
フロアに緊張が走る。
「各員、配置につけ!」
フロア奥から上官の声が飛ぶ。
「緊急対策本部を立ち上げる!」
一斉に椅子が引かれ、職員たちが持ち場へ散っていく。
静かだった情報解析局は、一瞬で戦場へ変わった。
「ココア!」
上官が振り向く。
「現地部隊との情報連携に入れ。分析班サブリーダーを任せる」
「了解」
返事は短い。
もうそこに、先ほどまでのおどけた少女はいなかった。
指先が高速でキーボードを走る。
封印個体No.031。
コードネーム――ベヒモス。
十年近く前、大規模な原子力事故をきっかけに誕生した潜在怪異。
放射線への恐怖。
巨大災害への畏怖。
人々の認識が積み重なることで異常性は際限なく肥大化し、通常兵装では討伐不可能な存在へ変貌した。
だから世界政府は討伐を諦めた。
殺せないのなら封じるしかない。
大規模封印術式によって活動を停止させ、それ以来、十年近く監視を続けてきたはずだった。
「封印破壊の原因は?」
ココアが尋ねる。
別の職員がすぐに首を振った。
「不明です」
画面を操作しながら続ける。
「定期点検では異常なし。経年劣化も確認されていません」
別の資料が開く。
「ここ数日の監視ログにも異常はありません」
ココアの手が一瞬だけ止まった。
「……変」
小さな呟きは誰にも届かない。
封印は突然壊れない。
まして十年間、何の兆候もなかった封印が。
予兆ゼロで崩壊するなど、理屈が合わない。
けれど。
今その違和感を追う余裕はなかった。
「現地対応部隊の展開状況は?」
「海外支部が応戦中」
すぐに返答が飛ぶ。
「近隣支部へ応援要請済み。各地域から増援を招集中です」
「再封印班は?」
「編成中」
「日本支部にも要請が入っています」
その報告に、ココアの指がほんの一瞬だけ止まる。
「結界術の適性を持つ戦力が必要との判断です」
「……了解」
それだけ返し、すぐ作業へ戻る。
「分析班」
ココアは周囲を見回した。
「封印術式データを再構成。被害予測、避難経路、地形変化シミュレーションを優先」
職員たちが一斉に動き出す。
「現地通信との照合は五秒更新」
「封印残存率の再計算開始」
「支援部隊の到着予測を同期します」
誰も慌てない。
誰も悲鳴を上げない。
ただ、それぞれが自分の役割を全力で果たしていく。
前線で怪異と戦う者たちがいるように。
ここでは情報を武器に戦う者たちがいる。
世界政府情報解析局。
人類の"頭脳"は、静かに戦場へと変わっていた。
やがて大型モニターの映像が復旧する。
砂塵の向こう。
崩れ落ちた封印施設の中心で。
山脈のような巨体が、ゆっくりと身じろぎした。
その一歩だけで、大地が震える。
十年近く眠り続けていた怪物は、ついに封印を破り、再び世界へ姿を現した。




