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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード3
26/94

変わらない午後

住宅街の空気は、神奈川支部の地下施設とはまるで違っていた。


 乾いた風がそよぎ、どこからか子どもたちの笑い声が聞こえてくる。特別なことは何もない。それでも、この街には人の暮らしの温もりがあった。


 ユズは、調整を終えたTypeⅠ装備のケースを抱えながら、見慣れた路地を歩いていた。


 本来なら、支部の連絡便に預ければ済む仕事だ。


 わざわざ自分で届ける必要なんてない。


 ――たまたま近くまで来たから。


 もし誰かに理由を聞かれたら、きっとそう答える。


 もっとも、その「たまたま」が何度目なのかは、自分でも数えていなかった。


 ギンの家の前へ着くと、ちょうど玄関の扉が開き、ギンが顔を出した。


「……何だ、ユズか」


 相変わらずの仏頂面だった。


「監督役は終わったんじゃなかったっけ」


「その言い方、感じ悪い」


「思ったことを言っただけ」


 変わらないやり取りに、ユズは肩をすくめる。


「はい」


 抱えていた装備ケースを差し出した。


「調整終わったから持ってきた」


 ギンはケースを受け取りながら首を傾げる。


「連絡便でよかったのに」


「……たまたま近くに用事があったから」


「ふーん」


 その返事を、ギンはあまり信じていないようだった。


 ほんの少し目を細めただけで、それ以上は何も聞いてこない。


 代わりに装備を軽く持ち上げ、動作を確かめる。


「ありがとう」


 ぽつりと漏れた言葉は、思った以上に素直だった。


 ユズは少しだけ面食らう。


「べ、別に」


 視線を逸らす。


「キミのためじゃないし。仕事だから」


「うん」


 ギンは淡々と頷く。


「それでも助かった」


 あまりにも自然に言われてしまい、ユズは返す言葉を失った。


「……その返事、感じ悪い」


 ようやく絞り出した一言に、ギンが片眉を上げる。


「さっきも聞いた」


「うるさい」


「うるさい」


 声が綺麗に重なった。


 一瞬だけ沈黙が流れ、ユズとギンは顔を見合わせる。


 先に視線を逸らしたのは、ほぼ同時だった。


 呆れ半分でため息をついたギンが、ふと思い出したように口を開く。


「そういえば」


「ん?」


「ユズって、アクセサリー好きだったよね」


 突然の話題だった。


 ユズは思わず瞬きをする。


「……何、急に」


「前に言ってたから」


 それだけ言って、ギンは肩をすくめる。


「覚えてただけ」


 ユズは少しだけ目を丸くした。


「……覚えてたんだ」


「たまたま」


 照れ隠しなのか、本当にそうなのか。


 相変わらず分かりづらい。


 けれど、不思議と悪い気はしなかった。


 胸の奥が少しだけ温かくなる。


 そんな自分をごまかすように、ユズは話題を切り返す。


「そういうキミこそ」


 少し意地悪そうに笑う。


「虫、苦手だったよね」


 その瞬間、ギンの表情がわずかに固まった。


「……覚えてたんだ」


「当然でしょ」


 ユズは得意げに胸を張る。


「キミのことなんだから、それくらい」


 言いかけて、はっとする。


「……仕事で見てたんだから」


 慌てて付け足す。


 ギンは小さく笑った。


「後から付け加えても遅いよ」


「笑うな!」


「笑ってない」


「笑った!」


 乾いた風が二人の間を吹き抜ける。


 何気ない言い合い。


 何気ない笑い声。


 ただそれだけの午後だった。


 ユズは、この時間が嫌いではなかった。


 ここへ来る理由を聞かれても、きっと「仕事だから」と答えるだろう。


 その言い訳を、自分自身が一番信じ込んでいることにも、まだ気づいていない。


「じゃ」


 ユズは踵を返す。


「装備、大事に使いなさいよ」


「言われなくても」


 ぶっきらぼうな返事を背に受けながら歩き出す。


 振り返ることはなかった。


 それでも、その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。


 監督役と被監督者ではなくなっても。


 二人の距離は、少しだけ形を変えながら、今日も変わらずそこにあった。


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