変わらない午後
住宅街の空気は、神奈川支部の地下施設とはまるで違っていた。
乾いた風がそよぎ、どこからか子どもたちの笑い声が聞こえてくる。特別なことは何もない。それでも、この街には人の暮らしの温もりがあった。
ユズは、調整を終えたTypeⅠ装備のケースを抱えながら、見慣れた路地を歩いていた。
本来なら、支部の連絡便に預ければ済む仕事だ。
わざわざ自分で届ける必要なんてない。
――たまたま近くまで来たから。
もし誰かに理由を聞かれたら、きっとそう答える。
もっとも、その「たまたま」が何度目なのかは、自分でも数えていなかった。
ギンの家の前へ着くと、ちょうど玄関の扉が開き、ギンが顔を出した。
「……何だ、ユズか」
相変わらずの仏頂面だった。
「監督役は終わったんじゃなかったっけ」
「その言い方、感じ悪い」
「思ったことを言っただけ」
変わらないやり取りに、ユズは肩をすくめる。
「はい」
抱えていた装備ケースを差し出した。
「調整終わったから持ってきた」
ギンはケースを受け取りながら首を傾げる。
「連絡便でよかったのに」
「……たまたま近くに用事があったから」
「ふーん」
その返事を、ギンはあまり信じていないようだった。
ほんの少し目を細めただけで、それ以上は何も聞いてこない。
代わりに装備を軽く持ち上げ、動作を確かめる。
「ありがとう」
ぽつりと漏れた言葉は、思った以上に素直だった。
ユズは少しだけ面食らう。
「べ、別に」
視線を逸らす。
「キミのためじゃないし。仕事だから」
「うん」
ギンは淡々と頷く。
「それでも助かった」
あまりにも自然に言われてしまい、ユズは返す言葉を失った。
「……その返事、感じ悪い」
ようやく絞り出した一言に、ギンが片眉を上げる。
「さっきも聞いた」
「うるさい」
「うるさい」
声が綺麗に重なった。
一瞬だけ沈黙が流れ、ユズとギンは顔を見合わせる。
先に視線を逸らしたのは、ほぼ同時だった。
呆れ半分でため息をついたギンが、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば」
「ん?」
「ユズって、アクセサリー好きだったよね」
突然の話題だった。
ユズは思わず瞬きをする。
「……何、急に」
「前に言ってたから」
それだけ言って、ギンは肩をすくめる。
「覚えてただけ」
ユズは少しだけ目を丸くした。
「……覚えてたんだ」
「たまたま」
照れ隠しなのか、本当にそうなのか。
相変わらず分かりづらい。
けれど、不思議と悪い気はしなかった。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
そんな自分をごまかすように、ユズは話題を切り返す。
「そういうキミこそ」
少し意地悪そうに笑う。
「虫、苦手だったよね」
その瞬間、ギンの表情がわずかに固まった。
「……覚えてたんだ」
「当然でしょ」
ユズは得意げに胸を張る。
「キミのことなんだから、それくらい」
言いかけて、はっとする。
「……仕事で見てたんだから」
慌てて付け足す。
ギンは小さく笑った。
「後から付け加えても遅いよ」
「笑うな!」
「笑ってない」
「笑った!」
乾いた風が二人の間を吹き抜ける。
何気ない言い合い。
何気ない笑い声。
ただそれだけの午後だった。
ユズは、この時間が嫌いではなかった。
ここへ来る理由を聞かれても、きっと「仕事だから」と答えるだろう。
その言い訳を、自分自身が一番信じ込んでいることにも、まだ気づいていない。
「じゃ」
ユズは踵を返す。
「装備、大事に使いなさいよ」
「言われなくても」
ぶっきらぼうな返事を背に受けながら歩き出す。
振り返ることはなかった。
それでも、その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
監督役と被監督者ではなくなっても。
二人の距離は、少しだけ形を変えながら、今日も変わらずそこにあった。




