分析官の違和感
世界政府本部――情報解析局。
地下深くに築かれた巨大施設の一角には、規則正しく並んだ無数のモニターが青白い光を放ち、静かな電子音だけが絶え間なく響いていた。
その一席で、ココアは椅子にもたれながら、口の中でキャンディをころころと転がしている。
パーカーにホットパンツというラフな格好は、周囲の職員たちのきっちりとした服装の中では少しだけ浮いて見えた。
「ねえねえ、聞いてる?」
くるりと椅子を回し、隣の席へ身を乗り出す。
「このヘアピン、新しく買ったんだけどさ。めっちゃ可愛くない?」
隣の同僚はモニターから目を離さない。
「はいはい、可愛い可愛い」
「もー、それ絶対ちゃんと見てないでしょ」
頬を膨らませながら、前髪を指先でくるくると巻く。
同僚は苦笑するだけだった。
情報解析局では珍しくない光景だ。
勤務中でもよく喋る。
よく笑う。
仕事中とは思えないほど気が抜けている。
それが、ココアという少女の日常だった。
「……あ」
ふいに、小さな声が漏れる。
モニターへ向いていた瞳が止まった。
その瞬間だった。
さっきまで柔らかく笑っていた表情から、感情がすっと消える。
空気が変わった。
「例の海外案件、正式な処理結果が上がってる」
声色まで別人のようだった。
平坦で、無駄な抑揚が一切ない。
同僚がようやく視線を向ける。
「ゾンビ大量発生の件か?」
「うん」
キーボードの上を指が滑る。
複数の報告書が高速で開かれ、画面いっぱいに並んでいく。
「結論は――『各地で独立して発生した偶然の同時多発事象』」
「まあ、そんなところだろ」
「……ううん」
ココアは小さく首を振る。
「変」
その一言だけだった。
同僚は肩をすくめる。
「何が?」
「直接的な繋がりは確認されてないんでしょ?」
「そう書いてある」
「でも、それって」
画面を切り替えながら続ける。
「『繋がりが存在しない』ことと、『繋がりが見つかっていない』ことは、同じじゃない。」
モニターには報告書だけではない。
支部間通信記録。
照会履歴。
承認ログ。
事件発生時刻。
解析データ。
無数の情報が一斉に並び始める。
ココアの視線は、その膨大な文字列を恐ろしい速さで読み進めていく。
「……やっぱり」
「何かあったか?」
「初動から決裁までが早すぎる」
即答だった。
「この規模の事件なら、もっと各支部間で情報照合が行われるはずなの」
画面を指差す。
「でも、その履歴がほとんど残ってない」
「上が判断を急いだだけじゃないか?」
「それも考えた」
即座に別の資料を開く。
「でも過去十年間、同規模案件の処理時間は平均でこのくらい」
画面には比較グラフが表示される。
「今回は半分以下」
さらに別の資料。
「横断照会ログも異常に少ない」
また別の画面。
「担当部署の閲覧履歴にも空白がある」
同僚は思わず眉をひそめた。
「……そこまで見るのか」
「見るよ」
ココアは画面から目を離さない。
「だって」
静かに言う。
「情報って、『あるもの』より『ないもの』のほうが怖いから」
その言葉に、同僚は何も返せなかった。
沈黙が流れる。
電子音だけが静かに響く。
やがてココアは小さく息を吐いた。
「九十九・九九パーセントって言うほどじゃないけど……」
モニターを見つめたまま呟く。
「何か、一枚足りない感じ」
「気にしすぎだよ」
同僚は椅子にもたれた。
「世界政府が『偶然』って決裁したんだ。俺たちはその結論に従えばいい」
「うん」
ココアは素直に頷く。
「それは分かってる」
少しだけ間を置く。
「でも」
画面をもう一度上から下まで見直す。
文字列を追う速度は、人の目とは思えないほど速い。
「気になったことは、検証しないと気が済まない性分なの」
その一言とともに、前髪を指先でくるりと巻く。
それだけで、まるでスイッチが切り替わったようだった。
鋭かった瞳が柔らかく緩み、頬には甘い笑みが浮かぶ。
「ま、今日はこのくらいにしとこっかな♪」
口の中のキャンディを転がしながら、にこりと笑う。
「また戻った」
同僚は呆れたように笑った。
「その切り替え、本当に毎回びっくりする」
「えへへ」
ココアは悪びれる様子もなく笑う。
けれど、その胸の奥では、先ほど見つけた小さな違和感が静かに残り続けていた。
――誰も気にしていない。
だからこそ、気になる。
証拠はない。
確信もない。
あるのは、情報の隙間に生まれた、ほんの小さな違和感だけ。
だが、ココアは知っていた。
そういう違和感ほど、見過ごしてはいけないことを。
そして彼女自身、その直感が外れたことは――これまで一度もなかった。




