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VERSE0.0-世界政府記録アーカイブ文書001  作者: 甘酒
エピソード1
10/94

第10話 巫女姫



「決定が出るまで少し時間がかかる。」


室長はそう言って、ユズへ視線を向けた。


「――それまで、この子を見ていてくれるかい。」


「……はい。」


短く返事をすると、ユズは部屋を出る。


ギンも何も言わず、その後ろについて歩いた。


廊下には静かな空気が流れている。


天井の照明だけが白く光り、職員らしき人影が時折すれ違う。


まるで普通の役所のような光景だった。


けれど、ここは普通ではない。


ギンだけが、その現実にまだ取り残されていた。


怒りも、悲しみも、恐怖も。


胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざり合い、どうにも整理できない。


そんな時だった。


資料室と書かれた扉の隙間から、黒い靄のようなものがゆっくりと這い出してきた。


煙のようでもあり、人影のようでもある。


輪郭は曖昧なのに、確かに"何か"がそこにいる。


その瞬間――


ギンの身体が勝手に反応した。


「――っ!」


心臓が跳ねる。


息が止まる。


あの夜の怪物が脳裏によみがえった。


父が倒れた。


母が叫んだ。


黒い影。


赤い血。


身体が一歩後ろへ下がる。


喉の奥から声にならない息が漏れた。


しかし。


ユズは振り返ることすらしなかった。


懐から一枚のお札を取り出し、人差し指と中指で軽く挟む。


「――。」


小さく何かを唱えた、その瞬間。


札が淡く輝いた。


指を弾くように放たれた札は空中を滑るように飛び、黒い靄へ吸い寄せられる。


ぱん、と乾いた破裂音。


同時に靄は苦しげな唸り声にも似たノイズを残し、煙のように消え去った。


廊下には何事もなかったかのような静寂だけが戻る。


ユズは札の灰を軽く払い落とした。


「……ただの記録漏れ。」


「こんなの、雑魚。」


それだけ言うと、何事もなかったように歩き出す。


ギンだけが、その場に立ち尽くしていた。


鼓動だけが、まだ速い。


「……今の、何だったんだ。」


自分でも驚くほど声がかすれていた。


「お札。」


ユズは前を向いたまま答える。


「ウチの神社に伝わる術。」


「神社……?」


「鎌倉にある古い神社。」


「代々受け継いできた妖術と陰陽術。」


少しだけ考えるように言葉を区切る。


「まあ、この世界では"魔法"の一種って扱いかな。」


ギンは思わず聞き返した。


「……じゃあ、お前は巫女なのか。」


ユズは少しだけ顎を上げる。


「巫女姫。」


その言葉には誇示するような響きはない。


ただ、自分の名前を名乗るくらい自然だった。


ギンは思わずその横顔を見つめる。


この少女は。


あんな得体の知れないものを、まるで虫でも払うように片付けた。


自分は何もできなかった。


あの日も。


今日も。


胸の奥で、別の痛みが広がる。


怒りではない。


悔しさでもない。


もっと重く、冷たい感情。


無力感だった。


ユズはそんな視線にも気付いているのかいないのか、そのまま資料室の扉を開けた。


「ほら。」


「ぼさっとしてないで。」


ギンは小さく拳を握り直し、その背中を追う。


資料室の中には壁一面の棚が並んでいた。


色分けされた分厚いファイルが隙間なく収納されている。


「……何だよ、これ。」


「怪異のファイル。」


ユズは一冊を抜き取りながら答える。


「色と数字で危険度を管理してる。」


「E、D、C、B、A、S。」


「後ろへ行くほど危険。」


「さっきモニターに出てた"E-114"とか"C-002"っていうのは、そのランクと管理番号。」


ギンは棚を見回した。


「……さっきの靄は?」


「論外。」


ユズは即答した。


「ランクにも入らない。」


「残骸みたいなものだから。」


あれで残骸。


ギンは思わず息を飲む。


もしあれが最弱ですらないのなら。


父と母を殺したあの怪物は、一体どれほど危険だったのか。


そんな考えが頭をよぎる。


ユズはファイルを抱え直し、いつも通りの調子で言った。


「涼しい顔してるって思った?」


ギンは少しだけ目を見開く。


「……まあ。」


「慣れ。」


それだけ言って歩き出す。


「仕事だから。」


その一言が、不思議なくらい重く響いた。


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