10.疑念と迷走 サトシ
疑念と迷走
コウの答えはタバコの火を消してからだった。
六畳間の部屋には四人と死体が居る。サトシは立ち上がったままコウを見つめ、警戒する様に膝を落としている。コウは緊張することなく思案する様に時折天井を仰ぐ。リカはヒッキーが視界に入らない様俯いて座っている。ヒトミは左手を右手で覆い、顔は伺うことが出来ない。
そうして、コウは重い口を開いた。
「……サトシにサークルの連中と仲良くなって欲しかったんだ。サークルの先輩は卒業しちまう。その居なくなるだろう穴を埋めたかったのかもな。ただ、それだけだ」
コウはサトシを一点に見つめてそう言った。
サトシはその言葉に動揺した。まさかあのコウが人を思いやる様な事を言うとは思わなかったのだ。サトシの硬くなった拳が緩んでいった。そうしてサトシは、そうか、と短くコウに返した。そこでコウの目が一瞬だけ揺らぎ、下に目を逸らした。そしてサトシはもう一度、そうか、とつぶやき、押し黙った。
リカも、そう、とつぶやき再び俯いてしまった。しばらくの沈黙があり、今まで口を閉じていた人物が口を開いた。
「……サトシ君、包帯ってあるかしら?」
誰もが息を押し殺してなければ聞こえなかったろう、小さな声はヒトミのモノだった。コウは「どうしたんですか!?」とヒトミに駆け寄る。リカは肩をピクリと動かすだけで顔も上げようともしない。
「……ええ、ありますが、どうしたんです?」
サトシがそう答えるとヒトミは右手を退けて左手をあらわにした。その左手首は赤い跡が付いていた。そして手を表に返すとその跡が何なのか分かった。
それを見たコウは呻き、サトシは言葉をなくしてしまった。
ヒトミの手首には人の手で掻き毟った様な爪の跡が深く刻まれていた。そしてその爪跡からは血が流れていた。頸動脈までは達していないのか血はほとんど止まっていた。
しかし、傷の手当てをする前にサトシは気付いてしまったのだ。その爪跡は、ヒッキーが残したことに。コウも気付いているだろうに、サトシに声を荒げて言った。
「早く持ってこい! 消毒液もだ!」
その声でサトシはとっさに動くことが出来た。溢れる服も気にしないでサトシはふすまを開けた。そうしてしばらく物置を調べてようやく救急箱を見つけた。それをコウに渡し、コウはヒトミの手首を消毒しようとする。しかし、ヒトミは言った。
「自分で出来ます」
ヒトミはそう言ってコウの手から消毒液を奪い、慣れた手つきで包帯を巻いていく。それを見ていたサトシは思わず聞いてしまった。
「ヒトミさん、手慣れていますね。どこかで勉強されたんですか?」
「いえ、ただ親が開業医をやってまして、その影響です」
「そうだったんですか」
「サトシ、お前知らなかったのかよ。結構有名な話だろ」
サトシはコウの言葉にそうだったんだ、と答えて、ある事に気付いた。ヒッキーの死因についてはヒトミが詳しいはずだと。一方、どうしてヒッキーの処置をヒトミはしなかったのか。綺麗に巻かれた包帯を見て、サトシは疑問をヒトミに聞いてみた。
「その傷は、どうしたんですか? ヒッキーの死因分かりますか?」
その言葉にヒトミは包帯を撫でる手を止めた。それを見たコウは、ヒトミさんはなんもしてねぇ! と大声で叫んだ。サトシは遂に堪忍袋の緒が切れたのか、低い声で威圧するようにコウに言った。
「ちげぇよ、ただ聞いてるだけだろうが。うっせーよ。ヒトミさん信者もここまで来ると狂人だな、黙れよ、コウ」
コウは無表情で言うサトシが本気で怒ったことを察したのか黙ってしまう。
サトシは自分の言葉に自身でも驚いていた。サトシは脳みそは今日起きた出来事があまりにも多すぎてパンクしてしまった様に感じてはいた。ダメだ、このまま怒っていてはダメだ、考えるんだ。そうサトシは自分に言いかけて、落ち着く方法を模索する。
硬く握った拳は石の様になっていて、自分では開けない。サトシはゆっくりと深呼吸をした。それでも怒りは収まらない。怒りに飲まれ無い様、深呼吸を続ける。ふぅー、とため息を吐き出して感情の高ぶりを抑える。サトシは静かな怒りの中、自分に問う。どうしてこんなにイライラする。コウが悪い。それもあるだろう。しかし、客観的に自分を見つめろ、今日はどんな日だったのだ。そう、あまりにも目まぐるしい一日だった。そうだ、一日に起きる情報量が巨夜を越えている。頭を冷却しろ。そう結論に達したサトシはコウにタバコを一本寄越せ、と言って煙を肺に入れた。
「くそまず」
そうサトシは口にはせずに居られない程苦く、喉が焼かれる様な感覚に吐き気を覚えた。そして、体は重くなり、脳の機能が鈍くなるのを感じていた。
サトシ以外の一同は黙っており、家主であるサトシの言葉を待っているかの様だった。サトシはゆっくりになった思考の中、怒りが薄れる錯覚を覚えた。そして、自分が喫煙と言う想像もできなかった状況に改めて冷静になっていく。
サトシは煙の味が舌に残る感覚を拭う様に火を消した。そうして、サトシは再びヒトミに質問をした。
「ヒッキーをどうして処置しなかったんです? 開業医の娘ならある程度の事はできたでしょうに。まぁ実際僕らも何もできなかったんで、しょうがない部分はあったんでしょうけど。それにその傷、ヒッキーが付けた傷でしょ? ヒッキーに何かしたから掴まれたんでしょう? ヒッキーのダイイングメッセージとも受け取れると思うんですが、どうでしょう?」
サトシはあくまで冷静に、そして刺すような視線をヒトミにやった。
ヒトミはその視線を合わせようとはせずに俯いているだけだった。コウはヒトミの代わりだ、とばかりに立ち上がりサトシの視線を奪おうとする。
「サトシ、お前の意見はもっともだ、でもな、ヒッキーが苦しんだのはなぜだ? それが分からない限り、ヒトミさんがやったとは考えにくい。実際ヒッキーは右利きだ、ヒッキーの右隣はヒトミさんだったんだ。苦しんで腕を掴んだ、というのが現状で筋の通る話だと思う」
「なるほどな。でもな、ヒトミさんは医者の娘だ。ましてや開業医の娘なんだから薬の調達だってこの中じゃ一番しやすい立場にあるだろう?」
「例え入手方があってもヒトミさんに殺意がなければヒッキーを殺すようなことはしない」
「じゃあなんで警察に電話しない? それならヒトミさんの無実は証明されるのんだろ? 後ろめたい事があるからそうしなんじゃないのか?」
「はっ、じゃあサトシ、お前が無理やりにでも電話すればいいじゃねぇか。お前こそ警察に電話出来ない理由があんじゃねぇのか? 実際ヒッキーのよだれを綺麗にふき取ったのはお前だ。隣に居たのだってお前なんだ。鍋の食材をわざわざキッチンに取りに来たのだって怪しすぎる」コウは鼻息荒く、そう言って、サトシの答えを待つ様にひたと視線を逸らさない。
サトシはグッとッ拳に力を入れて喉を鳴らした。この四人の中で一番怪しいまれるのではないか、そうサトシの頭の中によぎった。しかし、
「いや、怪しいのは俺かもしれない。でも少なくとも故意ではない。俺は何もやっていない」
「どうかな? 警察ってのは案外適当なもんだろ? お前が入れた物も何かは俺たちは分からない。分かっているのはカレーってことだ。それが腐っていたとしたらどうだ? カレーの匂いで薬品の匂いを消すためだったかもしれない」
「じゃあ、お前は理由もなく闇鍋をやったのか、いや、ヒトミさんがしてみたい、そうだったな?」
再び三人の視線がヒトミに集まる。
「ヒッキーが面白いって言っていたものだから」
サトシは再び煮えくり返りそうになることに気付き始めた。サトシは犯人がこの部屋に居ると言うのに堂々巡りになっているこの状況に結論を出したくてしょうがなかった。
そこで、意外な人物が口を開いた。
「じゃあ、どこかに隠す?」
リカの細く、どこか頼りないその声は小さな部屋の中に静寂を呼び込んだ。
読んで下さってありがとうございます。更新遅れまして申し訳ありません。私、サミシ・ガリーが風邪を引きまして更新できる状態ではありませんでしたのでご容赦くださいませ。次話は5月13日金曜日ジェイソンの日に更新します。




