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「……よお、奈央に亜紀、元気かー?」
張り詰めた空気が漂うスタジオに、場違いなほど能天気な声が響く。それと共に現れたのは、件の《DARK BLUE》のヴォーカルであるところの、相川律だ。この状況を一番面白がっているのは、他でもない彼である。
今日、彼がこのスタジオに来る予定はなかったはずで(そうであれば、奈央がチェックしていないはずがない)、予定にはない突然の登場に、奈央は呆気に取られて彼を見つめてしまう。
いきなり、彼が登場して来たその意味が、わからない。
「り、律さんっ」
彼のファンである亜紀は瞬時に頬を染め、慌てたようにぺこりとお辞儀をした。
「おはようございますっ」
「おう、おはよう。亜紀は今日も可愛いねー」
にこにこして軽口を叩きながら、律はちらりと撮影風景に目をやる。そして、わずかに首を傾げた後、奈央に向き直る。
「……順調?」
「ちょっと押しているみたいですけど、大体は。あの、どうしてこっちに?」
「ふうん、あいつも頑張っているみたいだな、こっちの方は。ちょっと、現場を確認したくてさ。要は見学」
と、含みのある言い方をしてにやにやした律は、手近の空いている場所に直に腰を下ろした。どうやら、本当に、ただ単に見学に来ただけらしい。
「ねえ、海斗は?」
律が座るか座らないかのうちに、奈央は急いたように尋ねる。律ではなく海斗のファンである奈央にとって、それは何よりも重要なことだった。
いつもであれば、律は海斗とセットで行動しているのだ。
奈央のリサーチが間違っていなければ、今日の二人のスケジュールはレコーディングしかなかったはずだ。レコーディング・スタジオには行かないと決めている奈央としては、レコーディングが始まってメディアへの露出が減って、会える機会が少なくて寂しいな、という気分だったのだ。
その分、何故か健太のスケジュールがぎちぎちで、それに付き合わされるのは、はっきり言って大迷惑だった。
それでも、頼まれたというのもあるし、亜紀が行くと言うのだから仕方がない。
文句を言いつつも亜紀に付き合って、こんな所まで来ていたわけで、その先で律と会えたことは計算外だとしても嬉しい。律が来たということは、基本的にセットで行動しているはずの海斗が、いないはずはないからだった。
奈央の言いたいことは、律にもわかっているのだろう。彼は、それを見越したかのようにくすくすと笑った。
「あいつは駐車場。差し入れ買ってから来るってさ。すぐに来るよ」
「……差し入れ? あんなのに? もったいない! お金と時間の無駄ですよ!」
ここに律たちが差し入れを持って来る理由など、ひとつしか考えられない。彼らが健太に気を使ったのかと思うと、何だか腹立たしい。健太の方こそ、気を使って彼らを出迎えるべきだと思うのに。
その気分のまま、あんな奴は飲まず食わずで充分です、と奈央が付け加えると、律はひらひらと手を振ってそれを否定する。
「いーのいーの、これから、俺ら、あいつを地獄に叩き落すつもりだし、その前に少しくらいはね。優しくしてやったってバチは当たらないっしょ」
更ににやりとした律は、その意味がわからずにきょとんとした表情を作る奈央を面白そうに眺めている。
そもそも、こういうことになるきっかけを作ったのは、間違いなく律だった。
最初は、単純に面白がっていただけなのだが、今は「仕事」としても面白いと思っている。だが、どうにも気に入らないと言うか、どうしても直接言いたいことがあって、わざわざスケジュールをやりくりしてここまで来たのである。
騒動が起きた時、律が健太にデビューしてみろと言ったのは、半分冗談で、半分本気だった。
それを本気で取って挑んでくらいの気概がある奴なら、勝負を受けるのも悪くはないと、その時に思ったのだ。
律たちが所属するのは健太の父親が経営する事務所だったが、元々、社長には息子を業界入りさせる意思はなかったらしい。
だが、それを息子本人が覆した。
あっという間に父親を説き伏せ、デビューまでの段取りをつけたのはいい。それを、事務所の先輩として無関係で押し通すこともなく、依頼された通りに律も協力をするつもりだった。
だが、しかし。
そこに大問題があることに気付いたのは、つい昨日のことだ。
どうやらアイドル系で売り出すつもりらしく、そのデビュー・シングルの楽曲提供を《DARK BLUE》が担当することになったのは、当然の結果とも言えるだろう。事務所の先輩であれば無理のないものだし、話題性は抜群だし、何より、売り上げが相乗効果で伸びることも計算の内だ。
それは、確かに販売戦略としてはうなずける。納得の行く展開だ。
だから、律も海斗もそれを引き受けた。それは、別にかまわないのだけれど。
「ったく、あんなの、想像できるかっての……」
昨日、歌入れまでが終わって上がったという、健太のデビュー・シングルの音源データを受け取った。曲を提供した側としては、それがどんな表情を持った曲に仕上がっているのか、気になるのは当然のことだ。作り手として、楽しみな部分でもある。だが、それを聴いて卒倒しそうになったのは律だけではあるまい。
一緒に聴いていた相棒たる海斗も、どう反応していいかわからずにきょとんとしていたのだった。




