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それは、昨日の夜遅くのこと。
ツアーも終わり、次のシングルを作るべくレコーディング・スタジオに籠もっていた《DARK BLUE》の二人を、マネージャーである橘が訪ねて来た。
橘は《DARK BLUE》のチーフ・マネージャーだが、今のところ、デビュー間近の健太のマネージャーも兼任している。最近はレコーディングで籠もったきりの《DARK BLUE》がメディアに露出する頻度が少ないためだが、双方のパイプラインの意味を多大に含むのは、関係者には周知の事実である。
彼が持って来たのは、ひとつの音楽データだ。
それが、《DARK BLUE》によって提供された健太のデビュー曲であることは、説明を受けずともわかっていた。多忙なために(と言うか、自分たちのレコーディングを優先しているのだ)健太のレコーディングに立ち会えなかった二人は、歌入れが上がって来たらすぐにそれを寄こせと、橘に厳命していたのである。
「お、それ、あいつのだろ?」
ちょうど煮詰まっていたところだった海斗は、抱えていたギターを放り出すように傍らに置き、橘に詰め寄るようにしてその音源データを奪い取った。
「どんなふうに料理したのか、気になるしな」
作曲・編曲・作詞共に《DARK BLUE》のクレジットだが、そこに歌が入ればまた雰囲気は変わる。他のアーティストに曲を提供するのは初めてではないから、それを聴くのは提供側の楽しみでもある。
歌を乗せる人間によって、曲はいくらでも表情を変える。こちらが意図したものとは違う曲になっていることも多く、それは新鮮な驚きとして次への糧になることが多いのだ。
「……聴かない方がいいと思うぞ」
うきうきと受け取る海斗に対して、橘の言葉は、心なしか力がない。
その言葉の意味がわからないまま、海斗はきょとんとして彼を見つめる。そうやって止める理由が、見当もつかなかったからだ。
「? 何で? 俺たちの曲だもん、聴きたいよ。そういや、これって、律が作詞したんだろ?」
律に話を振ると、律は当然のごとくうなずいた。
《DARK BLUE》の楽曲はほとんど二人の共同作業で作成されるが、作詞は律、もしくは海斗が単独で作業することも多い。今回はそのパターンで、この曲のメロディーの大元を作ったのは海斗だが、作詞の方には海斗はノー・タッチだったのだ。
そうであれば、どんな歌詞が付いたのか当然興味はあるし、それに歌が乗っているとなれば尚更である。
「……まあな。それにしても、デビュー曲提供が《DARK BLUE》だなんて、贅沢なことするよなぁ。さすが、社長の息子。ま、そうでなければ面白くはないけどさ」
自分がけしかけたのだから、デビュー曲の提供くらいはしてもいい、と思っていたのだ。だが、本当に社長からそう言われるとは思わなかった。とは言え、社長の一言がなくとも、強引にそういう展開に持って行ったかもしれないだろう、とは思う。
「タイトルは?」
「Everlasting Summerだよ。ちょいと季節外れかな。まだ早いって感じだけど、発売時期を考えたらそうでもないかな、と思ってさ」
「発売日、いつだっけ?」
「六月下旬……だよな?」
橘に確認の意味で話を振る。彼は慌ててうなずいて見せたが、妙に挙動不審な態度に変わりはない。
何をそんなにおどおどしているんだ(その要因が、自分の傍若無人な振る舞いによってクビの危機に晒されることがままあるせいだ、とは気づかない律である)、と思いつつ、律は海斗に音源の再生を促した。
海斗はそれに素直に同意し、橘が言っている意味をよく理解しないまま、音源を再生する。
そして、時が過ぎること三分三十秒。
ラストの余韻を引くギター・リフを残して、海斗はそれをぶちっと切った。突然音が途切れ、静寂が戻る。
そして続く、数十秒の沈黙。
その短いような長いような静寂は、橘にとって恐怖以外の何物でもなかった。
逃げの体勢を取り、出口に近づこうとしている橘を呼び止めるがごとく、律が声を発する。
「……なあ、これ、加工してあるんだよな?」
地を這うような低い声で、問いかける律。彼の機嫌が急降下していることが丸わかりで、もはや逃れることなどできないことを橘は悟った。
「もちろん。ちゃんと、加工してあるはずだ。エンジニアが頑張ったらしい」
と、橘はひどくマジメくさった顔でうなずいて、律の問いを肯定する。その答えに、律はこめかみをひきつらせた。
「……元のメロディはどこに行ったのかと、俺は聞きたいんだが?」
にっこりと、浮かべる笑み。その笑みは、きっと、多くのファンを魅了して尚余りある魅力的なものだが、怖い。顔は笑っているが、目が笑っていない。
大体、そんなことを聞かれても、橘に答えられるはずもなかった。むしろ、こっちが聞きたいくらいである。
「……俺に聞くな」
もう嫌、と言わんばかりに吐き捨てる橘。それを聞いて、更に律の機嫌が氷点下を示した。
ブリザード注意報、発令。
くだらないことを一人で突っ込んでいる橘を横目に、海斗が深い溜め息をついた。
「……っつか、これってさぁ、歌も歌わせるアイドルで売るの、無理なんじゃないの? モデルとか役者とかだけで行くとか、そういうのは考えなかったのかね?」
と、再び溜め息をつく。
自分たちで作った曲のはずなのに、そのバックの音は確かに合っているはずなのに、そこに歌が入っているだけで、まるで違う見知らぬ曲に聞こえるのは何故だろう? いや、そもそも、これって歌と言えるのか?
律の言いたいことは、全て聞かなくてもわかるような気がした。自分だって、同じ感想を抱いているはずだ。
そんなこと、わざわざ聞かなくてもわかる。それだけの付き合いをしている自信は、あった。
「聴き心地のいい部分だけをつぎはぎしてこれかよ? いや、アイドルに歌唱力は求めないんだけど……」
だからって、これはひどすぎるだろ。と、律は大きく溜め息をつく。
「あのガキ、天下の《DARK BLUE》に曲をもらっておいて、どういう体たらくなんだーっ!!」
「お、落ち着け、律!」
うがーっ、と怒鳴り散らした律を、慌てて海斗が羽交い絞めにする。目の前に卓袱台があれば、確実にひっくり返していただろう。
暴れるなよ、と耳打ちする。こんな、機材が山のように置いてある狭い場所で暴れられても困るのだ。機材は、かなり高価なものも多いのだから。
「ああ? これが落ち着けるか? あんのガキ、どういうつもりだ……っ!」
「どういうつもりも何も、まあ、行き着く結論ってひとつなんじゃ……? 加工してあるんだし、もう、これ以上はどうにもしようがないって言うか……」
音痴なんだろ、と決定的な一言だけは裂けて会とが口を挟む。だが、律は聞いちゃいない。
「つぎはぎしてもこの程度ってことは、元はどうなんだっつーの! 人間が聞くに堪えない電波なのか!? くっそ、素材はいいと思ったのが間違いだってのか!」
「……いや、別にそこまでは……」
俺は言ってないし、と海斗はへらっと笑った。
確定的に言ってはいないが、その言い方では、律の言い分を肯定していると見ても、間違いはないのだが。
「でもさぁ、これって、いいの? 金取れるレベルじゃねーだろ」
「っつか、俺が許したくはないな。この惨状じゃ、《DARK BLUE》の曲を穢されている気がしてならん」
「……いやあ、まあ、でも、それは、曲を他人の手に委ねた時点で終わりだとは思うんだけどさ」
……わかっている。わかっていますとも。
こっちは曲を提供しただけで、その後、どういう命を吹き込むかは、歌を入れる者の力量だ。それに対して、こっちがあれこれ言える立場ではない。
だが。
それでも。
文句を言っても許される時があっても、いいのではなかろうか。
「それで納得できるかーっ!!」
スタジオに卓袱台がなかったのは、不幸中の幸いとでも言うべきか。




