40.家族になろう
屋敷中に憲兵たちの聞き慣れない足音が行きかっていた。
それだけの人員がリアムの警護に当たっているならと警戒を解いていた。
だから油断していたのだ。
セレスティアを前にして冷静さを欠いていた自覚もある。
だけどよりによって、リアムの足音を聞き逃すなんて。
反省してももう遅い。
暗い顔のリアムが部屋の中に入ってくるのに、私もアレクシスも何も言えなかった。
「まぁリアム! 目が覚めたのね!」
その隙を逃さずセレスティアが駆け寄る。
あんなにひどいことを言ったのに、まるで聖母みたいな顔ができるなんて。
知らない生き物を見ているようで気持ち悪かった。
「リアムに触らないで」
「あなたは黙っててちょうだい!」
とっさに肩を掴んで止めるが、セレスティアは構うことなくリアムを抱き寄せた。
リアムは無表情のまま、セレスティアの顔をじっと見つめている。
「怖かったでしょう……! でももう大丈夫よ。お母様が守ってあげるからね!」
「守る……? 母様はたすけてくれなかったのに……?」
「わたくしも怖くて動けなかったの……あんな大勢の男の人に囲まれて、どうしていいかわからなくなってしまって」
うるうると目を潤ませる母親を、リアムは読めない表情のまま腕の中から抜け出すように一歩下がる。
セレスティアは一瞬ムッとした顔になるが、すぐに慈愛の表情を浮かべた。
「いいの。まだ混乱しているわよね。でもこれだけは覚えておいて」
儚い微笑みに美しい涙を添えて、セレスティアは愛情深い母親の顔をしている。
「お母様はあなたを一番に愛してる。嘘じゃないわ。分かるでしょう? ホラ見て、お父様がわたくしの正しさを証明してる」
そう言ってアレクシスのギフトを盾に自分の真心をアピールしてみせる。
卑怯な手だ。
その言葉を疑うということは、アレクシスの正しさを疑うことになる。
父親を信頼するリアムの罪悪感に付け込んで、自分を正当化するなんて。
「あなたは本当に最低な人間ですね」
リアムがセレスティアを必要とするのなら、口を出すべきではないと分かっている。
どんなに捻じ曲がった性根をしていても、リアムの前でだけ良い母親を演じてくれる限り、黙っているべきだ。
そう分かっているはずなのに、言わずにはいられなかった。
「あなたと違ってわたくしは非力なの。あの状況で助けに入れるわけないでしょう?」
こちらを見てうるさそうにセレスティアが言う。
彼女の中ではすでに、助けたかったけど助ける力がなかっただけの被害者という思い込みが成立してしまっているらしい。
そうやって自分に都合がいいだけの現実の中でしか生きられないのなら。
こんな母親なら、いない方がいい。
「リアム。ごめんなさい。私やっぱり、あなたの母親を追い出す存在だったみたい」
覚悟を込めて苦笑する。
「エリー……」
リアムのためだとかもう知ったことではない。
私は私の意思で、この女をこの屋敷から排除したいのだ。
「リアム。俺のギフトは万能じゃない。なにが正しいか、もう分かっているだろう?」
アレクシスが柔らかい声で言う。
リアムは私を見て、くしゃりと顔を歪めた。
「……ボクには母様の言うことがウソかどうかなんて分からない」
今にも泣き出しそうな震える声で、リアムが懸命に言葉を紡ぐ。
「でも、あいしてるなんて言わなくても、母様よりエリーの方がボクを大事にしてくれてるのはちゃんと分かってる」
言い終わる直前に涙がこぼれ落ちる。
リアムの迷いや葛藤を目の当たりにして、胸が抉られるように痛んだ。
その涙を拭うこともせず、リアムがこちらへ両腕を伸ばした。
「エリー、ボクをここからつれだして。母様のかおなんて二度と見たくない」
ボロボロと涙をこぼしながらリアムが言う。
「ちょっと! 何をする気よ!」
私は無言でセレスティアを押しのけ、リアムを抱き上げた。
「あとはお願いしても?」
「ああ、もちろん。不甲斐ない父親ですまないな」
申し訳なさそうに笑うアレクシスに苦笑を返し、私はリアムを抱いたまま窓を開け放ち夜の闇へと飛び出した。
外壁の凹凸を足場にして一気に屋上へと駆け上がる。
いつの間にか外は夜になっていて、空には満天の星と満月が煌々と輝いていた。
縁に腰掛け、泣きじゃくるリアムを膝に乗せて優しく抱き直す。
「ありがとっ、エリー、っ」
信じていた母親に傷つけられてつらい中でさえ人のことを気遣える優しい子なのに。
どうして報われないのだろう。
「大丈夫。大丈夫よ、リアム」
何の根拠もなく、ゆらゆらと身体を揺らしながらリアムの背を優しく叩く。
こんな時に子守唄でも歌ってあげられれば、少しは落ち着かせることもできたかもしれない。
だけど愛情とは無縁だった私には、こんなときどうすれば慰められるかも分からない。
親からの愛を諦めてしまったことを悔やみながら、リアムのこめかみに愛情を込めたキスを贈る。
しばらく無言で抱き合って、ようやくリアムの涙がおさまったところでリアムが小さく笑った。
「なぁに?」
「今日は高いところにのぼってばかりだ」
柔らかく問うと、リアムが泣きはらした赤い目でクスクスと笑う。
涙はもう止まっていた。
強い子だ。身体だけでなく、心もとても。
「……あのね、母様にあいされていないことなんて、ホントはずっと前から知ってたんだ」
リアムが寂しそうに呟く。
ずっと前、というのはセレスティアが駆け落ちする前からということなのだろう。
リアムは聡い。
寂しさで目を逸らしていただけで、セレスティアが自分のことしか愛していないということにとっくに気づいていた。
だから屋敷に戻ってきたあとも、セレスティアの言葉を信じることができず距離をとっていたのだ。
「私とおそろいね」
否定も肯定もできず、ただ苦笑してみせる。
リアムは驚いたように「エリーもそうだったの?」と目を丸くした。
「そう。お母様は私が嫌いだった」
本当は母だけではなかったけれど。
そんなことを言えば、この優しい子供が胸を痛めてしまうから。
「……エリーといっしょならいっか」
子供らしくない達観した表情でリアムが小さく呟く。
それが諦めに似た色をしていて、たまらない気持ちになる。
そんなふうに無理やり大人になってほしくなんてない。
リアムにはいつだって笑っていてほしいから。
「――ねぇ。私たち、本当の家族にならない?」
「ホントの?」
「そう。師匠と弟子からもう一歩進むの。私は絶対にあなたを守るし、あなたも私をセレスティア様から守ってくれた。それってもう、立派な家族だと思うの」
私の提案に、リアムは考えるようにまぶたを伏せたあと、キラキラと目を輝かせ始めた。
「それって、父上は仲間はずれ?」
「ふふ、どうしようかしら」
嬉しさを滲ませた冗談に、思わず笑ってしまう。
「そうね……仲間に入れてって言われたら考えるわ」
冗談で返すと、背後から「仲間に入れてくれ」とアレクシスの声が加わった。
「父上!」
リアムはびっくりした顔で、アレクシスが私の隣に座るのを凝視していた。
「つらい思いをさせてすまなかった」
謝りながら、アレクシスがリアムの頭を撫でる。
「父上は何もわるくない」
照れたように目を細めながらリアムが返す。
「わるいことをしたのは母様だ。それを見つけるためだったんでしょ?」
赤い目のまま、大人びた表情で言うリアムに胸が苦しくなる。
まだたったの八歳なのに、この子を取り巻く環境のせいで急いで大人になるしかなかった。
「おまえは本当に賢い子だな」
私の腕からリアムを受け取って、アレクシスが申し訳なさそうな顔でリアムを抱きしめる。
「父上はとっても大切なおしごとをしてるんだもの。ボク、ちゃんと分かってるよ」
「だが国のためと言い訳をして、何度もリアムに甘えて傷つけてしまった」
「ううん、それもちがう。だってずっとエリーが守ってくれてたから」
アレクシスの腕に抱かれながら、リアムが私の手をきゅっと握る。
「それに知らなかった? ボクってけっこう強いんだよ」
「ああ知っているとも。エリシアにそっくりだ」
「ホント!?」
「私に?」
嬉しそうに笑い合う親子に、驚いて素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ああ、気づいてなかったか? 歩き方も、ちょっとした仕草も、笑い方も。ずっと一緒にいたから、自然と似てきたんだろうな」
「そう……そうかしら?」
そう言われてじわじわと嬉しくなってくる。リアムも嬉しそうに私を見ていた。
「君たちはもうとっくに家族だったよ」
私とリアムの手を握り、アレクシスが幸せそうに笑う。
「……あなたも?」
「違うと言われたら泣いてしまうな」
おずおずと問う私に、アレクシスがおどけてみせる。
「あはっ、しょうがないから父上も入れてあげるね」
リアムがはしゃいだ声を上げて、アレクシスがホッとした顔で「ああよかった」とリアムの頬にキスをした。
それから私の手を取り、許しを請うように指先に口づける。
「息子がこう言っているんだが、君もそれでいい?」
ぶっきらぼうに言うアレクシスの耳が赤い。
リアムが期待に満ちた目で私の返事を待っている。
「……仕方ありませんわね。よろしくてよ」
目に涙を滲ませながら、ツンと澄ました顔で言う。
「君の嘘は不思議と不快じゃないな」
アレクシスは楽しそうに笑いながら、リアムごと私のことを抱きしめた。




