39.純粋な悪意
頭を殴られたような衝撃だった。
それが表情に出ていたのだろう。
セレスティアがニタニタといやらしい笑みを浮かべた。
「ま、ちょっとした保険ね。不確実だけど、ご両親の制御を失ったあなたがうっかりリアムを殺してしまえば大成功。晴れて妹さんはお兄様の婚約者になれるというわけ」
怒りで身体が震え出す。
アレクシスとの結婚に、まさかそんな邪悪な思惑が絡んでいたなんて。
「おそらくセドリック殿下との密約だろうな。グランドール家は第二王子の子飼いだから」
落ち着かせるようにアレクシスがそっと私の手に触れる。
その冷静な声に、手の温かさに、震えが少しだけおさまった。
「……アレクシス様はもしかしてご存じでしたか?」
「いや。君との婚約の時点で何か裏があるだろうとは予測していたが、それが何かまでは」
「拒否するより、なにを企んでいるか探ることを選んだのですね」
婚約を受け入れたわりに少しも歓迎されていない様子だったのはこのせいか。
「グランドールの企みなど、若い娘を通せば簡単に見抜けると思ったからな」
アレクシスが苦笑する。
「期待はずれでしたわね」
自嘲するように言って肩を竦める。
もし私が本当にお父様が仕向けた刺客だったなら、すぐにでもボロを出して芋づる式にグランドール家の悪事を白日の下に晒すことができただろうに。
何も知らされていない捨て駒だったせいで、アレクシスの思惑は不発に終わってしまった。
「まったくだ。君ときたらあまりにも予想外のことばかりで、何度調子を狂わされたことか」
責めるように言うくせに、その口調はどこか優しい。
「結婚を受け入れたこと、後悔されているのでは?」
「まさか。もし君じゃなかったら、リアムの命はとっくになかった」
力づけるような笑みを向けられホッとする。
「ホント、あなたのせいで何もかも台無し。どうして他人の子を守るの? 怪物のくせに」
心底不思議、という顔で吐き出されたセレスティアの言葉に、アレクシスの表情が消える。
「我が子を手に掛けようとするお前の方がよほど怪物だ」
怒りに満ちた声に、セレスティアの肩がびくりと跳ねる。
「な、なによ! だってフィオナさんが言ってたもの! お姉様は心のない怪物できっとクロイツ様も手を焼いてるはずって。だからわたくしはあなたのためを想って」
「黙れ」
嘘を重ねようとするセレスティアを、アレクシスが一言で黙らせる。
「さすがに自分を取り繕うのにも無理が生じてきたようだな。汚い音でしゃべるな。耳障りだ」
心底不快そうに言うアレクシスに、気圧されたようにセレスティアが身を引いた。
自分すら偽って真実を捻じ曲げるセレスティアの厄介な性質も、度重なるイレギュラーによって綻びが出てきたのだろう。
彼女の言葉は、アレクシスの耳に雑音として認識され始めているようだ。
「街のチンピラどもも、お前の仕業なのだろう」
「……なんのことか」
「嘘だな」
しらばっくれようとするセレスティアに、アレクシスが先回りして低く言う。
そうか。あの三度目以降の襲撃。
確かにあの襲撃はいつもと違うと感じていた。
質だけではない。あれはリアムを狙うというより、私を排除しようとする動きだった。
この屋敷に入り込むために、あの時からすでに画策していたのだ。
「お前の嘘と同じ、その場しのぎの安っぽい策略だ。依頼者とされる男もいずれ捕まるだろう」
「もうなんなの!? 知らないったら! わたくしは関係ないの!」
追い詰めるような言葉にセレスティアがイラついた様子で喚き散らす。
アレクシスの言葉で私もようやく気づく。
もしかしたら大金を用意した貴族風の男というのは、駆け落ちした従者かもしれない。
その場合、依頼者が捕まればすぐにセレスティアの存在に行きあたる。
アレクシスの言う通り、口止めもロクにせず、場当たり的で、あまりにお粗末な計画だ。
馬鹿げている。
そんな自分本位な計画のために、リアムごと素性も知れない人間たちに依頼するなんて。
やはりあの時、リアムを振り切ってでもトドメを刺しておけばよかった。
ふつふつと怒りが再燃してくる。
「なぜリアムを巻き込むのですか。あなたの目的はリアムを取り戻すことなのでしょう?」
質問者が私に変わった瞬間、セレスティアの表情が舐め切ったものになる。
よほど私を見下しているのだろう。怪物ごときが口を開くなとでも思っているのかもしれない。
だが聞かずにはいられなかった。
自分を律するために、重ねられているアレクシスの手をぎゅっと掴む。
どんなに怒り狂っていたとしても、彼の手なら握りつぶすことはない。
それが私の自制心に繋がると信じて。
「私を殺せたとしても、リアムがいなければ意味がないのでは?」
あの場にいたのは庭で襲ってきた連中より強かったが、あれが私をおびき出すためのものだったとは思えない。
あの男は間違いなくリアムを殺そうとしていた。
そして周囲の男たちはそれを見ていただけ。
セレスティアも、止めもせず薄く笑って見ていた。
「んー、そうねぇ……」
激情を抑えながらの指摘に、セレスティアは顎に手を当てて考える仕草をした。
「どっちでもよかったの。死んでいても、死んでいなくても」
天気の話でもするように軽やかに言う。
「生きていればリアムの母親としてここに戻れるし、死んだら死体を持っていけばお兄様が褒めてくださるもの」
自分の考えを名案だと思っているのか、うっとりと目を細める。
あまりに身勝手な言い分に、アレクシスの目が怒りで据わった。
私も喉まで出かかった罵倒をこらえるので必死だった。
無言になった私たちに、自分の言い分の正しさを確信したのだろうか。
「リアムも嫌い。わたくしに懐かないんだもの」
セレスティアはもう隠す必要もないとばかりに、得意げな顔で先を続けた。
「あんな痛い思いをして産んであげたのに。まったく、役に立たないんだから」
「その薄汚い口を閉じなさ――」
カッとなって腕を振り上げたその瞬間。
あってはならない気配に、ギクリと身体が固まった。
なぜ今まで気づかなかったのか。
セレスティアへの怒りで、注意力が散漫になっていたのだろうか。
恐る恐る、視線を移す。
さっきハインツが出ていくときに閉めたはずのドアが開いていて。
その向こうに、リアムが立ち尽くしていた。




